第24話∶約束のフォンダンショコラ

 ズガァァァァァァン!!

 稲村ヶ崎(いなむらがさき)の夜空に、蒼い炎と金色の雷光が交差した。

 それは神話の再現であり、現代に蘇った神々の戦争だった。

「遅いぞ、駄猫! 右が空いている!」

「うるせぇ! てめぇこそ尻尾が邪魔なんだよ!」

「僕の計算通りに動けばいいんだ。……座標固定、結界展開!」

 三柱(みはしら)の神が、戦場を駆ける。

 **青龍・清水(しみず)**が水を操り、敵の動きを封じる。

 **白虎・琥太郎(こたろう)**が風を纏い、音速の爪で切り刻む。

 **玄武(げんぶ)**が絶対防御の障壁を展開し、敵の反撃を無効化する。

 かつては反目し合っていた彼らが、今は一つの目的のために連携している。

 その中心にあるのは、たった一つの熱源。

 ――古都宮(ことみや)紬(つむぎ)の料理がくれた、「熱」と「祈り」だ。

『ヌオオオオオッ……! ナゼダ、ナゼ凍ラヌ……!』

 四凶の幹部・冬帝(とうてい)が悲鳴を上げる。

 彼の放つ絶対零度の吹雪は、清水たちの体に触れた瞬間に蒸発していた。

 彼らの体内には、紬のグラタンによって点火された、燃え盛るような生命力が渦巻いているからだ。

「貴様の氷は、冷たいだけで味がしない」

 清水が冬帝の眼前へ飛翔した。

 その右腕に、全ての水を圧縮した蒼い光剣が形成される。

「俺の料理番が作った飯は、もっと熱く、濃厚で……愛に満ちている!」

 ズバァッ!!

 一閃。

 光剣が冬帝の白骨の仮面を砕き、その核を一刀両断にした。

『バカ、ナ……。愛、ナドトイウ……不確カナモノニ……』

 冬帝の体が崩れ落ち、無数の氷の結晶となって夜空へ舞い上がった。

 黒い雲が割れ、そこから月光が差し込む。

 キラキラと輝くダイヤモンドダスト。

 それは、長く厳しかった鎌倉の冬が終わりを告げる、美しい幕引きだった。

          ◇

 波の音だけが響く海岸。

 戦いを終えた三人は、人間の姿に戻り、砂浜に降り立った。

「……ふぃ~。久々に暴れたぜ」

 琥太郎が首を鳴らす。

「計算より3分早かったな。非合理的だが……悪くない結果だ」

 玄武が眼鏡を拭きながら息をつく。

 そして、清水は。

 瓦礫の影でへたり込んでいた紬の元へと、一直線に歩み寄った。

「……清水さん」

 紬は震える足で立ち上がろうとした。

 怪我はない。ただ、緊張の糸が切れて力が入らないだけだ。

 清水は何も言わず、紬の目の前で片膝をついた。

 その美しい顔には、戦闘の高揚による紅潮と、安堵の色が混じっている。

「終わったぞ、紬」

「……はい。おかえりなさい」

「ああ。……それで?」

 清水が金色の瞳を細め、悪戯っぽく笑った。

 そして、期待を込めた眼差しで、スッと右手を差し出した。

「約束のモノは?」

 紬はハッとして、コートのポケットを探った。

 大切に、大切に守り抜いてきた小さな箱。

 昨夜、祈りを込めて焼き上げたバレンタインの贈り物。

「……これ。形、崩れちゃったかもしれませんけど」

 紬はおずおずと、赤いリボンのかかった箱を渡した。

 清水はそれを、まるで世界で一番高価な宝石でも扱うかのように、丁寧に受け取った。

 リボンを解き、箱を開ける。

 中には、粉砂糖でお化粧された、小ぶりなチョコレートケーキが入っていた。

 『特製スパイス・フォンダンショコラ』。

 冷たい海風に晒されているはずなのに、そのケーキからは、ほんのりと温かさが伝わってくる。

 紬がずっと懐に入れて温めていたからか、それとも、込められた想いの熱量か。

「……いただきます」

 清水はケーキを手に取り、そのまま一口齧った。

 サクッ。

 表面の焼きチョコが割れる音がした。

 その瞬間。

 トロォ……。

 中から、生温かいチョコレートガナッシュが、濃厚なソースとなって溢れ出した。

 それは舌の上で滑らかに広がり、カカオの苦味と砂糖の甘さが爆発する。

 そして、後から追いかけてくる複雑な香り。

 シナモンの甘い香り、カルダモンの清涼感、ブランデーの芳醇さ。

 最後に喉の奥でチリリと弾ける、カイエンペッパーの刺激。

「……っ」

 清水の目が、驚きに見開かれた。

 甘いだけじゃない。

 苦くて、スパイシーで、熱くて、とろけるほど優しい。

 まるで、恋そのもののような味。

「……どう、ですか?」

 紬が不安そうに尋ねる。

 清水はゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

 そして、溢れ出たチョコを指で拭うと、紬を見つめた。

「……甘いな」

 彼は低く、甘い声で囁いた。

「だが、今まで食ったどんな供物よりも、どんな菓子よりも……美味い」

 その言葉を聞いた瞬間、紬の目から涙が溢れた。

 安堵と、喜びと、愛おしさで胸がいっぱいになる。

「よかった……っ!」

 泣き出した紬を、清水は力強く抱き寄せた。

 冷たい風の中で、二人の体温だけが熱く溶け合う。

 彼の心臓の音が聞こえる。生きている。温かい。

 その事実が、何よりも嬉しかった。

「ありがとう、紬。……俺に力をくれて」

「清水さんこそ、守ってくれて、ありがとうございます」

 月明かりの下、二人は長い間抱き合っていた。

 その様子を、少し離れた場所から二人の神様が見守っている。

「けっ、やってらんねぇな。甘すぎて胸焼けしそうだぜ」

 琥太郎が肩をすくめる。

「……同感だ。だが、これこそが『変数』の正体か」

 玄武が小さく笑った。

          ◇

 翌朝。

 嵐が嘘のように晴れ渡った『萬(よろず)相談所』の居間には、奇妙な光景が広がっていた。

「おい亀! こたつのど真ん中を陣取るな! 俺様の足が伸ばせねぇだろ!」

「君こそ足癖が悪いぞ、駄猫。……紬、ミカンを追加してくれ」

 こたつの中に、新たな住人が増えていた。

 瓶底メガネの少年――玄武だ。

 彼は「北の山は寒いから」という理由で、ちゃっかり相談所に居候を決め込んでいた。

 しかも、こたつの魔力に魅入られ、一歩も出ようとしない。

「はいはい。喧嘩しないの」

 紬は台所から、山盛りのミカンと熱いお茶を運んできた。

 清水、琥太郎、そして玄武。

 狭い居間に、日本最強クラスの神様が三柱も揃っている。人口密度ならぬ神様密度が高すぎる。

「……清水さん、食費がさらにピンチですよ」

「ふん。玄武に働かせろ。あいつの予知能力を使えば、株でも競馬でも百発百中だ」

「おい青龍、神の力をそんな俗なことに使うな。……だが、食費のためなら検討しよう」

「やるんかい!」

 琥太郎がツッコミを入れ、みんなが笑う。

 賑やかで、騒がしくて、温かい日常。

 昨夜の死闘が夢だったかのように、穏やかな時間が流れている。

 紬は縁側に出て、庭の梅の木を見上げた。

 枝先に、小さなピンク色の蕾(つぼみ)がついている。

 梅が咲けば、次は桜。そして、紫陽花の季節が巡ってくる。

「……春が、来ますね」

 背後から、清水がやってきた。

 彼は紬の隣に立ち、同じ蕾を見上げる。

「ああ。……だが、まだ寒い日は続く」

「そうですね」

「だから、今夜は……」

 清水は少し言い淀んでから、紬の方を向いた。

「今夜は、シチューがいい。……ホワイトソースのやつだ。昨日のグラタンが、忘れられん」

 神様のくせに、子供みたいなおねだり。

 紬はクスッと笑って、大きく頷いた。

「わかりました。鶏肉とブロッコリーをたっぷり入れて、最高に温まるやつを作りますね」

「うむ。期待している」

 清水の手が、紬の手をそっと握る。

 握り返すと、春の日差しのような温かさが返ってきた。

 四凶の脅威は去っていない。西の空にはまだ、不穏な影がある。

 けれど、今は怖くない。

 最強の神様たちと、美味しいご飯と、大切な人がそばにいるから。

「さあ、みんなでお昼ご飯にしましょう! 今日はオムライスですよ!」

「「「オムライス!!」」」

 三柱の神様の声が重なる。

 鎌倉の片隅、あやかし相談所の台所からは、今日も幸せな湯気と笑い声が立ち上っていた。

 冬を越え、絆を深めた彼らの物語は、やがて来る春の嵐へと続いていく。

 けれどそれは、また別のお話。


(第24話 完)


(第三章 完)

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鎌倉あやかし事変 ~転生巫女は、腹ペコ龍神様の専属料理番になりました~ 小乃 夜 @kono3030

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