第19話∶除夜の鐘と、年越し天ぷら蕎麦  

 十二月三十一日。大晦日。

 一年の終わりを告げるこの日、鎌倉の街は独特の静けさと、地下で煮えたぎるような熱気に包まれていた。

 鶴岡八幡宮へ続く若宮大路には、初詣の準備をするテキ屋の屋台が並び始め、古刹(こさつ)からは煤払(すすはら)いを終えた清々しい香りが漂ってくる。

 『萬(よろず)相談所』もまた、新年を迎える準備に追われていた。

「おい琥太郎(こたろう)! 天井の埃、ちゃんと払ったか?」

「ああん? 俺様は戦闘要員だぞ、掃除なんざ……って、水かけんじゃねぇ!」

「口を動かす前に手を動かせ。神を迎えるのに、埃一つ残すな」

 三角巾をつけた清水(しみず)が、ハタキを片手に指示を飛ばしている。

 金髪の白虎・西園寺(さいおんじ)琥太郎はブツブツ言いながらも、その身軽さを生かして梁(はり)の上の掃除をこなしていた。

 すっかり馴染んだ光景だ。

 台所で出汁(だし)の味見をしていた古都宮(ことみや)紬(つむぎ)は、その様子を見てクスリと笑った。

(今年の六月にここに来た時は、まさかこんな賑やかな年末になるなんて思わなかったな)

 あやかしに怯えていた日々。

 けれど今は、最強の龍と虎が、ここの掃除をしてくれている。

 窓の外では、雪がちらついている。

 クリスマスの夜から降り始めた雪は、降ったり止んだりを繰り返し、鎌倉の街をうっすらと白く染めていた。

 北風が窓を叩くたび、清水の視線が鋭く北の方角へ向くのを、紬は見逃していなかった。

「……紬。準備はできているか」

「はい。お蕎麦、茹で始めますね」

 時刻は二十三時。

 除夜の鐘が鳴る前に、一年の厄を断ち切る儀式――**『年越し蕎麦』**の時間だ。

          ◇

 蕎麦は「細く長く生きる」という長寿の願いと、「切れやすい」ことから一年の災厄を断ち切るという意味がある。

 今の彼らにとって、これほど必要な願いはない。

「よし、揚げるよ!」

 紬は天ぷら鍋の油を適温まで熱した。

 今日のメインは、豪華な**『海老天』と、野菜たっぷりの『かき揚げ』**だ。

 まずはかき揚げ。

 玉ねぎ、人参、春菊、そしてサツマイモを細切りにする。さらに、彩りと旨味のアクセントに桜えびをたっぷりと。

 冷水で溶いた衣をさっくりと混ぜ合わせる。混ぜすぎは厳禁、グルテンが出るとベチャッとしてしまうからだ。

 お玉ですくって、静かに油へ滑らせる。

 ジュワワワワ……ッ!

 勢いよく泡が立つ。

 菜箸で数箇所つついて穴を開け、中まで火を通す。水分が抜け、音が「パチパチ」と高く軽くなったら揚げ上がりの合図だ。

 網に上げると、サクサクの黄金色のかき揚げが完成した。

 次は主役の海老だ。

 奮発して買ったブラックタイガーは、殻を剥いて背わたを取り、腹側に切り込みを入れて筋を断つ。こうすると揚げた時に丸まらず、真っ直ぐな美しい天ぷらになる。

 尻尾の先を斜めに切り落とし、中の水をしごき出すのも忘れずに(油跳ね防止だ)。

 薄力粉をまぶし、衣液にくぐらせて油へ投入。

 チリチリチリ……。

 衣が花を咲かせるように広がる。

 海老の赤と、衣の白と金。縁起の良い紅白だ。

 隣のコンロでは、大鍋で湯が沸騰している。

 生蕎麦をパラパラとほぐし入れる。

 茹で時間は短め。コシが命だ。

 冷水でキリッと締めてから、熱湯にくぐらせて温める。これを丼へ。

 最後に、魂の出汁を注ぐ。

 北海道産昆布と、厚削りの鰹節、そして干し椎茸の戻し汁を加えた、濃厚な合わせ出汁。

 醤油と味醂で味を整えた「かえし」を合わせれば、芳醇な香りが台所いっぱいに広がる。

「お待たせしました! 揚げたて天ぷらの年越し蕎麦です!」

 湯気の立つ丼を三つ、こたつの上へ運ぶ。

 琥太郎が目を輝かせ、清水が満足げに頷く。

「おおっ! 海老がでけぇ!」

「香り高い出汁だ。……やはり、日本の年末はこれに限る」

 丼の中には、褐色のつゆに浸った蕎麦。その上に、丼からはみ出すほどの海老天二本と、分厚いかき揚げが鎮座している。

 刻みネギと柚子の皮を散らせば、完璧だ。

「いただきます!」

 三人揃って手を合わせる。

 まずはつゆを一口。

 カツオの力強い香りと、椎茸の深みが染み渡る。少し濃いめの関東風の味付けが、寒い夜には嬉しい。

「うめぇ……! 体の芯から温まるぜ」

「蕎麦もいい。コシがあって、喉越しが良い」

 清水が蕎麦を啜(すす)る。

 ツルツルッ、という音が小気味良い。

 そして天ぷら。

 サクッ。

 つゆに浸かっていない部分はクリスピーに、浸かった部分は出汁を吸ってじゅわりと解ける。

 海老のプリプリとした弾力と甘みが、口の中で弾ける。

「かき揚げも最高です! 玉ねぎが甘くて、桜えびが香ばしくて……」

「サツマイモが入っているのが良いな。甘みがつゆに溶け出して、味が変化する」

 ハフハフと熱い蕎麦を啜りながら、三人は今年一年(といっても半年だが)を振り返った。

 出会い、鳩のストライキ、大百足との死闘、白虎との喧嘩、そして今の団欒。

 激動だったけれど、悪い一年じゃなかった。

「来年も、美味いもん食わせてくれよな、紬」

「ふん。当然だ。俺の専属だからな」

「はいはい。お二人とも、来年もよろしくお願いしますね」

 温かい空気が流れる。

 だが、その平穏は、唐突な「来客」によって破られた。

 コン、コン。

 控えめだが、切羽詰まったノックの音が、裏口の勝手口から聞こえた。

 表の戸ではない。あやかし専用の通用口だ。

「……ん?」

 清水が箸を止め、鋭い目つきになった。

「客か? だが、気配が小さいな」

 紬が立ち上がり、勝手口を開ける。

 そこにいたのは、手のひらサイズの小さな「亀」だった。

 ただし、甲羅は青白く発光し、小さな風呂敷を背負っている。

『……あ、あのぅ。こちらに、青龍様はいらっしゃいますでしょうか……』

 消え入りそうな、お爺さんのような声。

 寒さで震えているのか、手足がカタカタと動いている。

「亀さん? どうぞ、中に入って」

 紬が招き入れると、亀は土間で平伏した。

『も、申し遅れました。私、北の玄武(げんぶ)様の眷属(けんぞく)で、亀吉(かめきち)と申します』

「玄武……!」

 清水と琥太郎が顔を見合わせた。

 四神の最後の一柱。北を守る水の神。

 ここ数週間、北鎌倉から流れてくる異常な冷気の発生源だ。

「玄武の使いが何の用だ。まさか、年越しの挨拶に来たわけではあるまい」

 清水が問うと、亀吉は涙声で訴えた。

『青龍様、白虎様……! どうか、我が主をお助けください!』

『主様は……玄武様は、心を閉ざしてしまわれたのです!』

「心を閉ざした?」

『はい。予知の夢をご覧になってから、「もう終わりだ」「何もしたくない」と、北の洞窟に引きこもってしまわれました。結界の維持すら放棄して……』

 琥太郎が「あいつらしいな」と舌打ちした。

「あの陰気野郎、また悪い未来でも見たのかよ。昔っからそうだ。すぐに悲観して殻に閉じこもる」

「だが、今回は度が過ぎている」

 清水が厳しい表情で窓の外を見た。

 雪の勢いが増している。

「玄武が結界を放棄すれば、北から『厄』が入り放題になる。……いや、すでに何かが入り込んでいるからこそ、あいつは怯えているのかもしれん」

『左様でございます……。主様は、西から来る「四つの災い」を恐れておいでです。このままでは、鎌倉は氷に閉ざされ、死の都になってしまいます!』

 四つの災い。

 その言葉に、琥太郎の顔色が変わった。

「四凶(しきょう)か……。やっぱり、俺を襲った呪いの正体はそれか」

 室内の空気が、一気に冷え込んだ気がした。

 せっかく温まった体が、芯から凍えていくような感覚。

 その時。

 ゴォォォォォォォン……

 遠くから、重厚な鐘の音が響いてきた。

 建長寺か、円覚寺か。

 除夜の鐘だ。

 煩悩を払う百八つの鐘。

 だが、その第一打が鳴った瞬間――世界が一変した。

 ピキピキピキッ……!

 不気味な音が響き渡り、窓ガラスに霜の結晶が走った。

 ただの霜ではない。ガラスが悲鳴を上げるほどの、急激な温度低下だ。

「なっ!?」

 紬が窓を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 北の空。

 北鎌倉の山々が、真っ白な氷に覆われていたのだ。

 雪ではない。山全体が、巨大な氷山のように凍りつき、そこから白い冷気が鎌倉市街へと雪崩のように押し寄せてきている。

「……おいおい、マジかよ」

 琥太郎が絶句する。

「あいつ、完全に引きこもりやがった。自分の領域ごと凍らせて、外部を遮断する気だ!」

「玄武の『絶対防壁』か」

 清水が忌々しげに呟く。

「自分を守るためなら、周囲がどうなろうと知ったことではない、か。……相変わらず極端な奴だ」

 冷気の波が、すぐそこまで迫っている。

 街の灯りが、白い霧に飲み込まれていく。

 このままでは、初詣客で賑わう八幡宮も、この相談所も、氷漬けになってしまう。

「清水さん、どうしましょう……!」

「行くぞ、紬」

 清水は立ち上がり、食べ終わった蕎麦の丼を置いた。

「年越し蕎麦で精はついた。……新年の初仕事だ。あのひねくれ者の亀を叩き起こしに行く」

「俺も行くぜ。あいつには、俺の呪いを治すヒントがあるかもしれねぇ」

 琥太郎も拳を鳴らして立ち上がる。

 亀吉が、涙を流してひれ伏した。

『ありがとうございますぅぅ……! 何卒、何卒よろしくお願いいたします!』

 紬は頷き、台所へ走った。

 エプロンを外し、厚手のコートを羽織る。

 そして、リュックサックにあらゆる道具を詰め込んだ。

 カセットコンロ、水、小豆、餅、調味料。

 相手は引きこもりの神様だ。力ずくでこじ開けるよりも、もっと効果的な「武器」が必要になるはずだ。

「心も体も凍ってるなら、溶かしてあげましょう。……私の料理で!」

 ゴォォォォォォォン……

 二つ目の鐘が鳴る。

 外は吹雪。

 行く年来る年。

 あやかしと人間が入り乱れる、波乱の新年が幕を開けようとしていた。

「よし、出陣だ!」

 清水の号令と共に、三人と一匹は、凍てつく北の山へと飛び出した。

 寒さに負けない熱い闘志と、胃袋に残る蕎麦の温かさを抱いて。



(第十九19話 完)

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