第18話∶鎌倉クリスマスと、ローストチキンの憂鬱
十二月二十四日。
古都・鎌倉は、一年のうちで最も浮き足立った空気に包まれていた。
夕闇が迫ると、小町通りの商店街にはイルミネーションが灯り、赤い鳥居とLEDライトが奇妙な調和を見せている。
スピーカーからはシャンシャンと鈴の音が流れ、行き交う恋人たちは寒さも忘れて身を寄せ合う。
世間はクリスマス・イブ一色だ。
だが、路地裏の『萬(よろず)相談所』には、北風よりも冷たい空気が流れていた。
「……却下だ」
こたつに入り、ミカンを剥いていた清水(しみず)が、にべもなく言った。
古都宮(ことみや)紬(つむぎ)は、持っていたサンタ帽を隠すように背中に回した。
「ええ~、いいじゃないですか! たまにはパーティーしましょうよ」
「断る。なぜ我々日本の神が、西洋の神の生誕を祝わねばならんのだ。節操がないにも程がある」
「別に信仰の話じゃなくて、イベントとして楽しみましょうって話ですよ。美味しいもの食べて、ケーキ食べて……」
「ケーキだと?」
清水の手が止まった。
すかさず、こたつの対面にいた金髪の少年――西園寺(さいおんじ)琥太郎(こたろう)が身を乗り出した。
「おい青龍、頭固ぇぞ。今はグローバル社会だ。美味いモンが食えるなら、クリスマスだろうが盆踊りだろうが乗っかっとけ」
「貴様はただ、甘いものが食いたいだけだろう」
「ちげぇよ。……紬、今日の献立は何だ?」
琥太郎がウィンクを投げてくる。ナイスアシストだ。
紬はここぞとばかりに宣言した。
「今日は特別です! 骨付きもも肉を丸ごと焼いた**『特製ハニー・ローストチキン』と、真っ白なクリームたっぷりの『イチゴのショートケーキ』**です!」
ピクッ。
清水の龍の耳(見えないが)が反応した。
鶏肉。しかも骨付き。そして、生クリーム。
彼の好物ど真ん中だ。
「……ふん。まあ、料理番がそこまで言うなら、付き合ってやらんこともない」
「やった! じゃあ、私買い物に行ってきますね!」
紬はパッと笑顔になり、財布を持って飛び出した。
その後ろ姿を見送りながら、清水は「やれやれ」とため息をつき、再びミカンに手を伸ばした。
「……へえ。余裕だねぇ、旦那」
琥太郎がニヤニヤと笑いながら、スマホの画面を清水に見せてきた。
そこには『クリスマスプレゼント 彼女 ランキング』という検索結果が表示されている。
「な、なんだそれは」
「紬のやつ、期待してるんじゃねえの? ほら、人間界じゃ『イブに好きな人と過ごす』ってのは特別な意味があるんだぜ」
「……俺は神だ。人間の風習など関係ない」
「へーえ。じゃあ、俺があいつにマフラーでも買ってやろうかな。西の白虎様の加護付きだ、一生離れられなくなる呪い付きのな」
バヂッ。
清水の指先で、ミカンの皮が弾け飛んだ。
室温が一気に下がり、金色の瞳が剣呑な光を帯びて琥太郎を射抜く。
「……殺すぞ、駄猫」
「怖っ! 冗談だよ、冗談!」
琥太郎は肩をすくめたが、その目は真剣だった。
「でもよ、あいつはお前を選んだんだ。言葉や態度で示してやらねえと、人間の時間はあっという間に過ぎちまうぞ。……三百年、後悔してきたんだろ?」
清水は言葉を詰まらせた。
琥太郎の言う通りだ。
神の寿命に比べれば、人間の時間は瞬きするほど短い。
ためらっている暇など、本当はないのだ。
「……チッ。余計なお世話だ」
清水は立ち上がり、懐から財布を取り出した。
壺を売った金が、まだ少し残っているはずだ。
「おい、出かけるぞ」
「へ? どこに?」
「……買い物だ。荷物持ちに付き合え」
◇
紬が買い物から戻ると、二人の姿はなかった。
「あれ? 珍しい」
まあいいか、と紬は調理に取り掛かった。二人が戻ってくるまでに、最高のご馳走を用意しておかなくては。
まずはメインディッシュ、『ハニー・ローストチキン』。
立派な骨付き鶏もも肉に、フォークで穴を開け、塩コショウを擦り込む。
味の決め手は、特製マリネ液だ。
醤油、酒、おろしニンニク。そして、たっぷりの**『蜂蜜(はちみつ)』**。
蜂蜜の酵素が肉を柔らかくし、焼いた時に美しい照りとコクを生み出す。
ジップロックに肉とタレを入れ、よく揉み込んで少し寝かせる。
その間に、**『ショートケーキ』**のスポンジを焼く。
卵と砂糖を湯煎にかけながら、ハンドミキサーで泡立てる。
ここで手を抜かないのが、フワフワにするコツだ。「の」の字が書けるくらいまで、しっかりと。
薄力粉をふるい入れ、溶かしバターを加えてサックリと混ぜる。
オーブンに入れると、すぐに甘い卵の香りが漂い始めた。
(美味しくなあれ。今日は特別な日だから)
紬が祈りを込めると、光の粒子がオーブンの中に吸い込まれていく。
焼き上がったスポンジは、きめ細やかで、雲のように軽い。
冷めたら半分にスライスし、シロップを打つ。
泡立てた純白の生クリームを塗り、真っ赤なイチゴを並べる。
ナッペ(クリーム塗り)は難しいが、今の紬には神様パワー(?)が宿っているのか、驚くほど綺麗に仕上がった。
「よし、ケーキは冷蔵庫へ!」
次はチキンの出番だ。
タレが染み込んだ肉を天板に並べ、周りにジャガイモや人参、ローズマリーを散らす。
200度のオーブンでじっくりと焼き上げる。
途中、何度か肉を取り出し、残ったタレを刷毛(はけ)で塗り重ねる。
このひと手間が、パリッとした皮目と、黄金色の照りを作るのだ。
ジュワワワワ……!
オーブンから、脂の爆ぜる音と、蜂蜜醤油の焦げる香ばしい匂いが溢れ出した。
暴力的とも言えるほどの、食欲を刺激する香り。
ちょうどその時、玄関の引き戸が開いた。
「「ただいま」」
寒空の下から帰ってきた二人が、同時に鼻をひくつかせた。
「うおっ! なんだこの匂いは!」
「……素晴らしい。玄関先まで香ばしさが漂っているぞ」
清水と琥太郎が、吸い寄せられるように居間に入ってきた。
卓袱台の上には、焼き上がったばかりのローストチキンが大皿に盛られている。
付け合わせのポテトが肉汁を吸って輝き、ローズマリーの香りが上品さを添えている。
「メリークリスマス!」
紬がクラッカー(百均で買った)を鳴らすと、二人は少し驚き、それから席についた。
琥太郎が待ちきれずにチキンに手を伸ばす。
「いただきッ!」
ガブッ。
豪快な音がした。
「あっつ! ……う、うめぇえええ!!」
琥太郎が叫んだ。
「皮がパリパリで、中から肉汁がドバッて! なんだこの甘じょっぱいタレ! 蜂蜜か!? 最高に合うじゃねぇか!」
白飯を片手に、肉食獣の本能を全開にして貪り食う。
清水もナイフとフォークを使い、上品に切り分けた。
一口運ぶ。
「……ん」
金色の瞳が細められた。
口の中に広がる、鶏肉の旨味と蜂蜜のコク。ニンニクの香りが食欲を煽るが、決して下品ではない。
肉は骨からホロリと外れるほど柔らかく、噛みしめるたびに幸せな脂が溢れ出す。
「美味い。……西洋の祭も、悪くないかもしれん」
「ふふっ、ゲンキンですね」
食後はケーキだ。
ロウソクを灯し、部屋の明かりを消す。
揺れる炎が、三人の顔を照らす。
神様と人間。奇妙な組み合わせだが、今はそれがとても温かい。
「フーッ!」
三人で息を吹きかけ、明かりをつける。
切り分けたケーキは、口どけの良いスポンジと、甘さ控えめのクリーム、そして酸味のあるイチゴが完璧なハーモニーを奏でていた。
「甘い……。だが、軽いな。いくらでも入る」
「だろ? 紬のケーキは世界一だぜ」
琥太郎がドヤ顔で言い、紬は照れくさそうに笑った。
賑やかな宴が終わる頃、琥太郎が大きなあくびをした。
「ふぁ~……食った食った。俺様はもう寝るぜ。サンタが来るかもしれねえからな」
「えっ、片付けは?」
「今日は特別だ、免除! じゃあな!」
琥太郎は意味深な視線を清水に投げ、パタンと襖を閉めて隣室へ引っ込んでしまった。
居間には、紬と清水の二人きりが残された。
急に静かになり、ストーブの音だけが聞こえる。
「……あー、片付けちゃいますね」
「待て」
紬が立ち上がろうとすると、清水が低い声で制した。
彼は懐から、丁寧に包装された小さな包みを取り出した。
「……やる」
「え?」
「クリスマス、なんだろう。……琥太郎が、用意しないと呪うとうるさいからな」
ぶっきらぼうに突き出された包み。
紬は目を丸くして、それを受け取った。
「開けても、いいですか?」
「……勝手にしろ」
清水はプイと顔を背けてしまった。耳が赤い。
紬は震える手でリボンを解いた。
中に入っていたのは、深紅の**『マフラー』**だった。
カシミヤだろうか。驚くほど手触りが良く、上品な艶がある。
「わあ……きれいな色」
「お前の店(こっとん)の看板娘なら、それくらい良いものを身に着けておけ。……それに」
清水は咳払いをして、ボソリと言った。
「今年の冬は寒くなる。……風邪など引かれたら、俺の飯が不味くなるからな」
素直じゃない。
でも、その言葉の裏にある「体を大事にしろ」「心配だ」というメッセージは、痛いほど伝わってきた。
紬はマフラーを首に巻いた。
ふわりとした温かさが、首元を、そして心を包み込む。
「ありがとうございます、清水さん。……すごく、温かいです」
紬が微笑むと、清水は眩しそうに目を細め、不意に手を伸ばしてきた。
マフラーの上から、紬の首筋に触れる。
大きな手が、マフラーごと紬を引き寄せた。
「……っ」
至近距離。金色の瞳が、紬だけを映している。
心臓が破裂しそうだ。
「……似合っている」
清水はそれだけ言うと、満足げに微笑んだ。
その笑顔は、いつもの意地悪なものではなく、雪解け水のように優しかった。
窓の外では、いつの間にか雪が降り始めていた。
ホワイトクリスマス。
ロマンチックな夜。
だが――清水の視線は、ふと窓の外、北の空へと向けられた。
その瞳から、一瞬にして甘い色が消え、鋭い守護神の色に戻る。
「……降ってきたか」
「え? 雪ですか?」
「ああ。……だが、ただの雪ではない」
清水は立ち上がり、窓を開けた。
ヒュウウウ……と冷たい風が吹き込み、温かい部屋の空気を冷やす。
北の山の方角から、どす黒い雲が湧き上がり、鎌倉の街を飲み込もうとしていた。
それは、聖夜の祝福などではない。
季節外れの、そして禍々しい気を孕んだ、異常気象の前触れだった。
「紬。マフラーを外すなよ」
「え?」
「この冬は、厳しくなるぞ」
清水は窓を閉め、紬を振り返った。
その表情は厳しかったが、紬を守るという決意に満ちていた。
甘く温かいクリスマスの夜。
その終わりと共に、鎌倉を凍てつかせる「北の試練」が、静かに幕を開けようとしていた。
(第18話 完)
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