第16話∶紅葉の約束と、冬支度の豆乳鍋
鎌倉の秋は、遅れてやってくる。 海からの暖かな風が、冬の足音を少しだけ遠ざけるからだ。
けれど、十一月も半ばを過ぎると、古都は錦(にしき)の衣を纏い始める。
北鎌倉の円覚寺(えんがくじ)や、長谷寺の紅葉が燃えるような赤に染まり、銀杏の葉が黄金の絨毯となって参道を埋め尽くす。
そんな晩秋の夕暮れ。
『萬(よろず)相談所』の庭先で、古都宮(ことみや)紬(つむぎ)は竹箒(たけぼうき)を手に、落ち葉掃きに精を出していた。
「……ふぅ。掃いても掃いてもきりがないなぁ」
サッサッ、とリズミカルな音が響く。
あの大嵐のような『神無月(かんなづき)の戦い』から、一ヶ月が経とうとしていた。
鎌鼬(かまいたち)の群れは一掃され、西から流れてきていた「呪い」の気配も、今のところは鳴りを潜めている。
日常が戻ってきたのだ。……ほんの少しの変化を加えて。
「おい紬。腹が減ったぞ。夕飯はまだか」
「俺様もだ。今日はガッツリしたもんが食いてぇ」
縁側で二人の男が、並んでお茶を啜っていた。
一人は、銀髪の麗しい龍神・清水(しみず)。
もう一人は、金髪のヤンキー神様・琥太郎(こたろう)こと白虎だ。
紬は箒を止め、ジト目で二人を見た。
「……あの、琥太郎君。いつまで居るつもり?」
「ああん? 水臭ぇこと言うなよ。俺たちは同じ釜の飯を食った仲だろうが」
琥太郎は悪びれもせず、煎餅を齧った。
そう、彼は西へ帰らなかった。
表向きの理由は「西の情勢が安定するまで、東の拠点(ここ)で情報収集をする」というものだが、本音はバレバレだ。
「お前の飯が美味すぎるのが悪い」
「そうだそうだ。責任を取って養え」
「清水さんまで! なんで琥太郎君の肩を持つのよ!」
以前は顔を合わせれば殺し合い寸前だった二柱(ふたはしら)だが、あの共闘を経て、奇妙な悪友関係のようなものが成立してしまっている。
清水は「追い出すのも面倒だ」と言いつつ、なんだかんだで琥太郎の滞在を許していた。長い時を孤独に過ごしてきた龍神にとって、喧嘩相手がいる日常も、案外悪くないのかもしれない。
「それで、今日の飯は何だ?」
「最近、急に寒くなりましたからね……」
紬は空を見上げた。
吐く息が白い。こんな日は、体の芯から温まるものがいい。
それに、琥太郎が好む「肉」と、清水が好む「優しい味」を両立させるメニュー。
「お鍋にしましょう。みんなで囲めるやつ」
◇
台所に立つと、寒さで強張った体が少し緩んだ。
調理の熱気と香りが、何よりの暖房だ。
今日のメニューは、『鶏団子と白菜の豆乳鍋』。
琥太郎(白虎)のイメージカラーである「白」を基調とした、優しくも濃厚な鍋だ。
まずは主役の鶏団子作り。
鶏ひき肉に、刻んだ長ネギ、生姜のすりおろし、卵、片栗粉。
そして、紬流の隠し味は、粗みじんにした**『蓮根(れんこん)』**だ。
これを加えることで、フワフワの食感の中に、シャキッとしたアクセントが生まれる。
塩麹(しおこうじ)を少し加えて粘り気が出るまでよく練る。
次にスープ。
土鍋に昆布とカツオの合わせ出汁を張り、火にかける。
具材は、たっぷりの白菜、長ネギ、人参、しめじ、豆腐。そして薄切りの豚バラ肉も少し。豚肉の脂がスープにコクを与えるからだ。
出汁が沸騰したら、スプーンで丸めた鶏団子を次々と落としていく。
団子が浮き上がってきたら、野菜を投入。
くたくたに煮えたところで、仕上げの魔法だ。
トクトクトク……。
成分無調整の**『豆乳』**をたっぷりと注ぎ入れる。
ここでのポイントは、決して沸騰させないこと。強火にすると分離してしまう。
弱火でコトコト。スープが白濁し、クリーミーな香りが立ち上る。
最後に、白味噌を溶き入れ、すりごまを振る。
これで、まろやかさの中に深みのある、特製スープの完成だ。
「できましたよー! 運ぶの手伝って!」
声をかけると、ドタドタと二人が入ってきた。
土鍋を卓袱台(ちゃぶだい)の真ん中に置く。
蓋を開ける瞬間は、いつだってエンターテインメントだ。
「オープン!」
ボワァァァ……!
真っ白な湯気が立ち上り、部屋中をごま油と味噌の香ばしい匂いで満たす。
白濁したスープの中で、ピンク色の鶏団子や、鮮やかな人参、緑の春菊が踊っている。
「おおっ! 白いな!」
「豆乳鍋か。……悪くない。今の季節には丁度いい」
三人はこたつ(昨日出したばかりだ)に入り、それぞれの取り皿を構えた。
「いただきます!」
まずはスープを一口。
豆乳のまろやかな甘みと、白味噌のコク、そして鶏と野菜から染み出した旨味が、口いっぱいに広がる。
とろりとした液体が喉を通り、胃袋を優しく撫でていくようだ。
「うめぇ……! なんだこれ、すげぇクリーミーだ!」
琥太郎が目を丸くする。
「牛乳とは違う、大豆の優しい甘さだな。……それに、この団子」
清水が鶏団子を頬張った。
フワッとした食感の直後、シャキッという蓮根の歯ごたえ。噛むほどに生姜の香りと肉汁が溢れ出す。
「食感が楽しい。いくらでも入るぞ」
「柚子胡椒をつけると、また味が変わって美味しいですよ」
紬のアドバイス通りに柚子胡椒を溶かすと、ピリッとした辛味が全体の味を引き締め、大人の味わいに変化した。
ハフハフ、ツルツル。
熱々の具材を頬張り、冷たいビール(琥太郎はコーラ)で流し込む。
こたつの温もりと、鍋の熱気。
外では木枯らしが吹いているが、この部屋の中だけは常春のような暖かさだった。
「……へへっ。なんか、いいな」
琥太郎が、湯気の向こうでふにゃりと笑った。
「俺はずっと西の神殿で、供え物を一人で食ってたからよ。こうやって誰かと鍋つつくなんて、初めてだ」
その言葉に、清水の手が止まった。
彼もまた、三百年の間、この鎌倉で一人、孤独に生きてきたのだ。
誰かと食卓を囲む温かさを、ずっと忘れていたはずだ。
「……そうだな」
清水は短く答え、紬の皿に黙って豆腐を入れてくれた。
「食え、紬。作るばかりで食っていないだろう」
「あ、ありがとうございます」
不器用な優しさ。
鍋の湯気が、二人の顔をほんのり赤く染めて隠してくれる。
〆(シメ)はうどんを入れて、最後の一滴までスープを飲み干した。
満腹になった琥太郎は、「極楽だぜ……」と呟いて、こたつの中で猫のように丸くなって寝息を立て始めた。
◇
食器を洗い終えた紬は、縁側に出た。
夜風は冷たいが、鍋で温まった体には心地よい。
空には、冴え冴えとした白い月が浮かんでいる。
「……風邪を引くぞ」
背後から、肩に羽織がかけられた。
清水だ。彼からは、洗い立ての石鹸と、微かに白檀の香りがする。
彼は紬の隣に腰を下ろし、同じ月を見上げた。
「琥太郎君、寝ちゃいましたね」
「ああ。図太い神経をした猫だ」
「ふふっ。でも、賑やかでいいじゃないですか」
紬が笑うと、清水は「うるさいだけだ」と肩をすくめた。
だが、その横顔は穏やかだった。かつてのような、鋭利な孤独の影はない。
「……紬」
「はい」
「もうすぐ、冬が来るな」
清水が呟く。
「鎌倉の冬は、存外寒い。海風が冷たいし、観光客も減る。……静かで、長い季節だ」
彼の言葉に、過去の三百年分の冬の重みを感じて、紬は胸が締め付けられた。
ずっと一人で、この縁側から枯れゆく庭を見ていたのだろうか。
「でも、美味しいものもいっぱいありますよ」
紬は明るく言った。
「大根も甘くなるし、鰤(ぶり)も美味しくなる。お正月にはお雑煮も作らなきゃいけないし、バレンタインにはチョコも……あ、神様はチョコ食べます?」
「……甘いものは好物だ」
「じゃあ、フォンダンショコラにしましょうか。中からトロッと溶け出すやつ」
食べ物の話をすると、清水が少し笑った。
そして、紬の手をそっと握った。
大きくて、少しひんやりとした手。でも、今は体温が通っている。
「そうだな。……お前がいれば、冬も悪くないかもしれん」
その言葉は、どんな愛の言葉よりも温かく、紬の心を満たした。
紬は握り返した。強く、離さないように。
「はい。任せてください。私が、清水さんの心も体も、ご飯で温めますから」
「ふん。頼もしい料理番だ」
二人は寄り添い、月を見上げた。
秋が終わり、冬が来る。そしてまた、春が来て、紫陽花の季節が巡る。
そんな当たり前の四季を、これからは二人で――いや、あの騒がしい居候も含めて三人で、過ごしていくのだ。
西の空には、まだ不穏な星が瞬いているかもしれない。
けれど今は、この温かいスープのような幸せを、じっくりと味わっていたい。
「明日の朝ごはんは、何にします?」
「……卵焼き。甘いやつだ」
「了解です」
古都・鎌倉の片隅。
あやかしと人間が紡ぐ、美味しくて愛おしい日々は、まだまだ続いていく。
ごちそうさまのその先へ。
(第16話 完)
(第二章 完)
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