第15話∶月見の宴、最強の月見バーガー

 ゴオオオオオオッ!!

 鎌倉の夜空を、季節外れの台風のような暴風が引き裂いていた。

 それは自然現象ではない。西から襲来した妖怪・鎌鼬(かまいたち)の群れが巻き起こした、呪いの風だ。

 『萬(よろず)相談所』の雨戸は悲鳴を上げ、屋根瓦がバラバラと音を立てて飛んでいく。

「ちっ、キリがねぇぞ! このイタチ野郎ども!」

 庭先では、満身創痍の白虎・西園寺(さいおんじ)琥太郎(こたろう)が、風の刃を爪で弾き返していた。

 松茸で一時的に回復したとはいえ、呪毒の後遺症は重い。彼の動きにはキレがなく、全身には無数の切り傷が刻まれている。

「無駄口を叩くな、駄猫。後ろを抜かせるなよ」

 背中合わせに立つ清水(しみず)龍(りょう)もまた、苦悶の表情を浮かべていた。

 神無月(かんなづき)の影響で土地神の加護が薄れている上、敵の数が多すぎる。

 彼らが守っているのは、背後の台所――そこで調理を始めた、古都宮(ことみや)紬(つむぎ)だ。

『ギャハハハ! 匂ウ、匂ウゾ!』

『神ノ肉ト、極上ノ飯ノ匂イダァァァ!』

 闇の向こうから、巨大な鎌を振りかざした親玉――**『大鎌鼬(おおかまいたち)』**が姿を現した。

 その目は赤く濁り、口からは絶え間なく飢餓の涎(よだれ)を垂れ流している。

 呪いに侵され、理性を失った哀れな獣。彼らを鎮めるには、力でねじ伏せるか、あるいはその「飢え」を満たすしかない。

          ◇

(……外の音が、近い)

 台所の中、紬は震える手を太ももに押し付け、深呼吸をした。

 窓ガラスがガタガタと揺れ、今にも割れそうだ。

 怖い。逃げ出したい。

 でも、ここで私が逃げたら、あの二人は確実に負ける。

 今日は、旧暦の八月十五日。

 **『中秋の名月』**だ。

 本来なら、縁側で団子を食べながら美しい月を愛でるはずの日だった。

 けれど今、空は厚い黒雲に覆われ、月など欠片も見えない。

(月が見えないなら……私が作ればいい)

 紬はバシッ! と両頬を叩いた。

 気合が入る。

 冷蔵庫から取り出したのは、琥太郎のために買っておいた秘蔵の**『黒毛和牛』**の切り落としと、文化祭の試作で余っていた高級バンズ。

 そして、新鮮な卵。

 今夜のメニューは、和食じゃない。

 繊細な出汁でもない。

 暴力的なまでのカロリーと、肉の旨味、そして満月を模した卵で殴りつける、最強のジャンクフード。

 **『特製・黒毛和牛の月見バーガー』**だ。

 紬は包丁を握った。

 和牛の切り落としを、あえて粗めに叩く。ミンチにするのではない。肉の食感を残した「超粗挽き」にするのだ。

 そこに炒めた玉ねぎ、パン粉、牛乳、そしてナツメグと黒胡椒を強めに利かせる。

 つなぎは最小限。肉の力だけでまとめる。

 ペタン、ペタン!

 空気を抜く音が、嵐の音に対抗するように響く。

 フライパンを熱し、牛脂を溶かす。甘い脂の香りが立ち上った瞬間、パティを投入する。

 ジュゥゥゥゥゥゥ――ッ!!

 強烈な音が弾けた。

 肉が焼ける匂い。それは人間の、いや、生きとし生けるものの本能を直撃する香りだ。

 表面をカリッと焼き固め、肉汁を内部に閉じ込める。

 裏返すと、食欲をそそる焦げ目がついている。

 蓋をして蒸し焼きにする間に、隣のコンロでソースを作る。

 赤ワイン、ケチャップ、ウスターソース、醤油、砂糖、バター。

 煮詰めて、濃厚なデミグラスソースに仕上げる。隠し味に、少しだけ八丁味噌を加えるのが紬流だ。

 そして、主役の準備。

 セルクル(丸い型)を使い、卵を焼く。

 黄身は崩さない。白身はプルプルに、黄身は半熟のトロトロに。

 これこそが、今夜の「満月」だ。

 さらに、厚切りのベーコンと、チェダーチーズも用意する。

 カロリー? 知ったことか。今は戦(いくさ)なのだ。

(美味しくなあれ。……ううん、違う)

(みんなを黙らせるくらい、とびきり強烈になあれ!)

 紬が念じると、フライパンから立ち上る湯気が、金色のオーラとなって台所を包み込んだ。

 換気扇が回るたび、その「飯テロ」の香りは外へと拡散していく。

          ◇

「……な、なんだこの匂いは」

 庭先で戦っていた清水が、鼻をひくつかせた。

 焦げた醤油と肉の脂、そして濃厚なソースの香り。

 それは、高貴な神の食事とは程遠い、下世話で、暴力的で、抗いがたい魅力を持った香りだった。

「へへっ……こいつはすげぇ。腹の虫が暴れ出しそうだぜ」

 琥太郎がニヤリと笑う。

 そして、その香りは敵にも届いていた。

『肉……肉ウゥゥゥ!』

『ウマソウナ匂イ! 神ノ肉ヨリ、ウマソウダァァ!』

 鎌鼬たちの動きが止まり、視線が台所の換気扇へと釘付けになる。

 その隙を、紬は見逃さなかった。

 バンッ!!

 勝手口の扉が勢いよく開け放たれた。

 暴風が吹き込み、紬のエプロンを激しく煽る。

 だが、彼女は一歩も引かなかった。

 その手には、大皿に乗った三つの「塔」が握られている。

「お待たせ! 腹ペコたちはどいつよ!!」

 紬が叫ぶと、皿の上で積み上げられたバーガーが、稲妻の光を受けて神々しく輝いた。

 バンズの間から溢れ出す肉汁。とろけるチーズ。はみ出すベーコン。

 そして、頂点に挟まれたプルプルの目玉焼き。

『ウオォォォォォ!』

 理性を失った大鎌鼬が、涎を撒き散らしながら紬へと突っ込んでくる。

 鋭利な鎌が振り上げられる。

「紬ッ!?」

「逃げろ!」

 清水と琥太郎が叫ぶが、間に合わない。

 だが、紬は逃げなかった。

 彼女は一番大きなバーガーを掴むと、あろうことか、襲いかかる化け物の目の前に突き出したのだ。

「食ってみなさいよ! 飛ぶわよ!!」

 ガブッ!!

 大鎌鼬は紬の手ごと、バーガーに食らいついた。

 いや、食らいつこうとして――止まった。

 口の中に、爆発的な旨味が広がったからだ。

 カリッと焼かれたバンズの香ばしさ。

 粗挽き肉の弾力。噛み締めた瞬間にほとばしる、黒毛和牛の甘い脂。

 濃厚なデミグラスソースの酸味とコク。

 そして――。

 プチュッ。

 半熟の黄身が弾けた。

 濃厚な卵のコクが、全ての具材をまろやかに包み込み、ソースと混ざり合って黄金色の奔流となる。

 ベーコンの塩気、チーズの旨味、肉の脂。

 それらが渾然一体となって、脳髄を直撃した。

『――ッ!?!?』

 大鎌鼬の動きが止まった。

 赤く濁っていた瞳孔が開き、そこから涙が溢れ出した。

『ウ、ウマ……イ……』

『ナンダ、コレハ……アタタカイ……』

 ドサリ。

 巨大な化け物が、その場に崩れ落ちた。

 戦意喪失ではない。あまりの幸福感に、魂が昇天しかけているのだ。

 彼の体から、ドス黒い呪いの瘴気が、湯気のように抜けていく。

 代わりに満ちるのは、満月のような黄金色の満足感。

「よし、落ちた!」

 紬はガッツポーズをした。物理的な餌付け、成功だ。

 そして、残りの二つを、呆然としている二柱の神へと放り投げた。

「清水さん、琥太郎君! 君たちの分!」

「お、おう!」

「寄越せ!」

 二人は空中でバーガーをキャッチし、そのままかぶりついた。

 ガツガツッ!

 一口食べた瞬間、二人の全身がカッと発光した。

「……ッ!!」

「こいつは……力が、湧いてきやがる!」

 肉のエネルギーが、直に霊核へと変換されていく。

 松茸のような繊細な治癒ではない。

 もっと原始的な、生命の炎を油で燃え上がらせるようなブースト効果。

 神無月の制限など吹き飛ばすほどの、カロリーという名の神気。

「美味い……! 肉汁が五臓六腑を駆け巡る!」

「このソース、反則だろ! 卵のとろけ具合が神懸かってやがる!」

 二人はあっという間に巨大なバーガーを平らげた。

 琥太郎の胸の呪い傷が消え、清水の傷も塞がる。

 そして、二人の背後に、巨大な龍と虎の幻影が立ち上った。

 それは以前よりも大きく、力強く輝いている。

「行くぞ、白虎! 腹ごなしだ!」

「指図すんな青龍! ……だが、今の俺は最高に調子がいいぜ!」

 オォォォォォォォ!!

 龍の咆哮と、虎の咆哮が重なった。

 二柱の神威が、嵐の雲を一気に吹き飛ばす。

 残りの鎌鼬たちは、そのプレッシャーだけで戦意を喪失し、風となって散り散りに逃げ去っていった。

          ◇

 風が止んだ。

 厚い雲が割れ、そこからぽっかりと、大きく丸い月が顔を出した。

 中秋の名月。

 雨上がりの澄んだ夜空に、皓々(こうこう)と輝く月光が、荒れた庭を優しく照らす。

 庭の真ん中で、大鎌鼬だったものは、小さなイタチの姿に戻って眠っていた。

 呪いが解け、ただの野生動物に戻ったようだ。

「ふぅ……。なんとかなった」

 紬はその場にへたり込んだ。

 緊張の糸が切れ、ドッと疲れが押し寄せてくる。

 そこへ、人の姿に戻った清水と琥太郎が歩み寄ってきた。

「……紬」

「お前、すげぇな」

 二人は紬の前にしゃがみ込み、じっと顔を覗き込んだ。

 その顔には、先ほどまでの殺気はなく、呆れと、尊敬と、そして深い感謝が混じっていた。

「あんな化け物の口に、躊躇なく手を突っ込むとは。……肝が据わりすぎだ」

「マジでビビったぜ。喰われるかと思った」

「だって、食べてくれたら大人しくなると思ったから」

 紬が笑うと、清水はため息をつき、それから愛おしそうに紬の頭を撫でた。

 琥太郎も、「へっ」と照れくさそうに鼻をこすり、紬の背中をバンと叩いた。

「借りができちまったな。……あのバーガー、マジで最高だった。今まで食った肉の中で一番だ」

「そう? よかった」

「俺はジャンクなものは好かんのだが……」

 清水は口元についたソースを指で拭い、ペロリと舐めた。

「あれは別格だ。月見とは、よく言ったものだ。……俺の体の中に、新しい月が昇った気がした」

 キザな台詞だが、今のシチュエーションだと妙に決まっている。

 三人は縁側に並んで腰掛けた。

 月見団子はないけれど、お腹の中には最高の月見バーガーが入っている。

「……綺麗ですね、月」

「ああ」

「来年も、三人で見れるといいな」

 琥太郎が何気なく言った言葉に、清水がピクリと反応した。

「おい、来年も居座る気か?」

「当たり前だろ。西の情勢が落ち着くまで、俺はここの用心棒をしてやるよ。……ま、一番の目的は紬の飯だがな」

「断る。食費がかさむ」

「ケチケチすんなよ!」

 ギャーギャーと言い合う二人の神様。

 その横顔を月明かりが照らしている。

 賑やかで、騒がしくて、でも温かい。

 紬は夜空を見上げ、小さく呟いた。

「……ごちそうさまでした」

 それは、平和な日常を取り戻してくれた彼らへの、そして命を繋いでくれた食材たちへの、心からの感謝だった。

 鎌倉の夜に、満月が優しく微笑んでいた。


(第15話 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る