第14話∶神無月の暴風と、二人の神様

 バァァァァァン!!

 『萬(よろず)相談所』の台所の引き戸を、古都宮(ことみや)紬(つむぎ)は背中で叩き閉めた。

 鍵をかける暇などない。すぐさま傍らにあった米びつを引きずり、扉の前にバリケードとして置く。

「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」

 心臓が早鐘を打っている。

 狭い廊下を隔てた向こう側から、キィキィという耳障りな鳴き声と、爪で板戸を引っ掻く音が響いてくる。

 鎌鼬(かまいたち)たちだ。

 三匹の妖怪は、松茸の香りと紬の霊力に引き寄せられ、一直線にここへ向かってきている。

(大丈夫。ここは私の城だ。私のテリトリーだ)

 紬は震える手で、腰のエプロンの紐をギュッと締め直した。

 薄暗い台所。

 七輪、包丁、鍋、フライパン。使い込まれた調理道具たちが、月明かりを受けて鈍く光っている。

 彼らはただの道具ではない。紬が毎日愛情を込めて手入れし、数々の「神饌(しんせん)」を生み出してきた相棒――付喪神(つくもがみ)予備軍だ。

 ガガガガッ!! メリメリッ!!

 鋭利な鎌の刃が、引き戸を貫通した。

 木屑が舞い散り、裂け目から赤く充血した目がギョロリと覗く。

『イタ……オンナ……ミツケタ……』

『腹ヘッタ……喰ワセロ……』

 腐臭を含んだ風が吹き込んでくる。

 普通の女子高生なら、ここで悲鳴を上げて腰を抜かすだろう。

 だが、紬は違った。

 始めての戦いを経て、彼女は知っている。神様やあやかしが「腹を空かせている」時の、あの切実な痛みを。

「……食わせろ、ですって?」

 紬は棚からある物を掴み取ると、裂け目に向かって構えた。

「悪いけど、今の私は機嫌が悪いの。ウチの大事な神様たちを傷つけたお仕置きよ!」

 彼女が投げつけたのは、**『粗塩(あらじお)』**の塊だった。

 料理の基本にして、最強の退魔具。

 バシィッ!!

『ギャアアアアアッ!?』

 塩を浴びた鎌鼬が、焼けつくような悲鳴を上げて後ずさる。

 清められた塩は、穢(けが)れに侵された彼らにとって硫酸にも等しい劇薬だ。

「みんな、力貸して!」

 紬が叫ぶと、台所中の道具がカタカタと震え出した。

 フライパンが勝手に宙に浮き、お玉がカチカチと鳴る。

 まるでポルターガイスト現象だが、今の紬には頼もしい援軍だ。

(時間を稼ぐ。清水さんと琥太郎君が体勢を立て直すまで、私がここを死守するんだ!)

          ◇

 一方、崩壊した居間では。

「……チッ。あの馬鹿娘、本当に囮(おとり)になりやがった」

 西園寺(さいおんじ)琥太郎(こたろう)は、瓦礫の山から這い出しながら毒づいた。

 松茸ご飯で回復したとはいえ、体の芯にはまだ「呪毒」がこびりついている。指先が痺れ、思うように力が入らない。

 だが、彼のプライドが、ここで寝ていることを許さなかった。

「おい、ミミズ。生きてるかよ」

「……誰に向かって口を利いている」

 清水(しみず)が、ふらつきながら立ち上がった。

 頬の傷から血が流れている。神無月の影響で神気が薄れている上に、先ほどの奇襲で深手を負っていた。

 それでも、その金色の瞳だけは、燃えるように台所の方角を見据えている。

「行くぞ、駄猫。俺の料理番に指一本でも触れさせてみろ……末代までの恥だ」

「けっ。指図すんな。あの女は俺が貰うんだよ」

 二柱の神が並び立つ。

 本来なら決して相容れない、青龍と白虎。

 東の水と、西の金(風)。

 だが今、共通の敵――そして共通の「守るべきもの」を前にして、彼らの間に奇妙な連携が生まれようとしていた。

 ヒュゴォォォォ……!

 屋根が吹き飛んだ頭上には、渦巻く黒雲。

 そこから、新たな鎌鼬の群れが降ってきた。

 三匹だけではない。十、いや二十匹。西から流れてきた「呪い」の群れだ。

「数が多いな。掃除のしがいがある」

「俺の背中には立つなよ。巻き添え食らっても知らねえぞ」

 琥太郎が咆哮する。

 その背後に、巨大な白虎の幻影が顕現した。

 彼は地を蹴り、疾風となって敵の群れに突っ込んだ。

「オラァッ!!」

 白虎の拳が、鋭い爪となって鎌鼬を引き裂く。

 風を操る鎌鼬に対し、さらに速く、鋭い風の刃で対抗する。それが白虎の権能だ。

 だが、敵もさるもの。切られた端から黒い霧となって再生し、琥太郎の手足にまとわりつく。

「クソッ、しつけぇ! この泥みてぇな呪い、鬱陶しいんだよ!」

「退け!」

 清水の声と共に、高圧の水流が琥太郎の横を薙ぎ払った。

 ウォーターカッターのような鋭利な水が、鎌鼬たちを一網打尽にする。

 再生しようとする霧を、水が包み込み、凍結させて封じ込める。

「……へぇ。やるじゃねえか」

「お前が雑すぎるんだ。力任せに振るうだけでは、穢れは払えん」

 背中合わせに立つ二人。

 清水が防御と封印を、琥太郎が攻撃と攪乱を。

 示し合わせたわけではない。数百年、互いにいがみ合い、競い合ってきたからこそわかる「呼吸」があった。

 だが、戦況は芳しくない。

 倒しても倒しても、西の空から新たな敵が湧いてくる。

 そして何より――彼らの体力が限界に近かった。

「はぁ、はぁ……ッ! 神無月ってのは、厄介だな……」

「ぐっ……毒が、回ってきたか……」

 琥太郎が膝をつく。清水もまた、防壁を維持する手が震え始めていた。

 その隙を、敵は見逃さない。

『親玉ガ弱ッタゾ!』

『喰エ! 神ヲ喰エ!』

 鎌鼬たちが一斉に襲いかかる。

 万事休す。

 その時、台所の方から、パン! という破裂音が響いた。

          ◇

「ううっ、しつこい!」

 台所は戦場と化していた。

 紬はフライパンを盾にし、お玉を剣にして応戦していたが、所詮は人間と妖怪。じりじりと追い詰められていた。

 バリケードは突破され、三匹の鎌鼬が狭い台所に入り込んでいる。

『イイ匂イダ……』

『女、ウマソウ……』

 彼らの目は、食欲に支配されている。

 ただ殺しに来たのではない。彼らもまた、飢えているのだ。

 西の地で何かがあり、拠り所を失い、呪いに侵され、満たされない飢餓感に苦しんでいる。

(……そっか。こいつらも、被害者なんだ)

 紬はふと、以前清水が言っていたことを思い出した。

 ――あやかしは、執着の塊だ。満たされれば、浄化される。

 力でねじ伏せるだけじゃダメだ。

 彼らの腹を、そして心を満たさなければ、この戦いは終わらない。

 そして、外で戦っている清水たちもまた、限界が近い。

 今の彼らに必要なのは、敵を倒す武器ではない。活力を与え、呪いを打ち消す「最強の食事」だ。

「……わかったわよ。あんたたち、お腹が空いてるんでしょ?」

 紬はフライパンを下ろした。

 鎌鼬たちが怪訝そうに動きを止める。

「作ってあげる。飛び切り美味しくて、力がみなぎるやつを。だから……」

 紬は鬼気迫る表情で、冷蔵庫を指さした。

「調理の間だけ、大人しく待ってなさい! 邪魔したら飯抜きよ!」

 その剣幕に、妖怪たちがビクッとした。

 料理番の覇気。それは時に、龍神すらも黙らせる迫力がある。

 紬は冷蔵庫から食材を取り出した。

 使うのは、今日の夕飯用にとっておいた最高級の**『黒毛和牛』の切り落とし。

 それに、『新鮮な卵』、『チーズ』、『ベーコン』。

 そして、パンケースにあった『バンズ(パン)』**。

 和食? 薬膳?

 いいや、そんな繊細なものじゃ、この暴れん坊たちは満足させられない。

 もっと暴力的で、本能に訴えかけ、ガツンと脳髄を揺さぶるような「ジャンク」なエネルギーが必要だ。

(テーマは……『月見』!)

 窓の外、嵐の切れ間から、中秋の名月が顔を覗かせていた。

 月は「陰」の気を司るが、同時に満ち欠けによる「再生」の象徴でもある。

 この月の力を借りて、最強のスタミナ食を作る。

 ジュワァァァァァッ!!

 熱した鉄板(フライパン)に、牛脂を引く。

 そこに、粗く刻んで成形したパティ(肉)を投入する。

 つなぎは最小限。ほぼ肉そのもの。

 脂が弾け、香ばしい煙が立ち上る。その匂いだけで、鎌鼬たちの喉がゴクリと鳴った。

 隣で厚切りベーコンを焼く。カリカリになるまで。

 さらに、目玉焼き。

 水を差して蓋をし、黄身がトロトロの半熟になるように蒸し焼きにする。この黄色い丸が、今宵の「月」だ。

「まだよ! まだ待て!」

 ヨダレを垂らして近づこうとする鎌鼬を、菜箸で威嚇する。

 バンズを軽くトーストする。

 下バンズにマヨネーズとマスタード。レタス。

 焼き上がった肉厚のパティを乗せ、その熱でスライスチーズを溶かす。

 カリカリベーコン。

 そして、プルプルの目玉焼き。

 仕上げに、醤油とみりん、砂糖、そして赤ワインで煮詰めた**『特製照り焼きソース』**をたっぷりと回しかける。

(美味しくなあれ。みんなを幸せにして!)

 紬の全身から、金色の燐光が溢れ出した。

 それは今までで一番強く、温かい光だった。

 料理に込められた「食べる人への愛情」が、神気となって爆発する。

 ドォン!!

 台所の窓ガラスが、内側からの圧力で割れた。

 光の柱が立ち上り、家の外へと溢れ出していく。

          ◇

「……なんだ、あの光は!?」

 庭で戦っていた清水と琥太郎が、目を見張った。

 台所から放たれた黄金色の光が、黒い瘴気を払い除け、周囲を真昼のように照らしている。

 そして漂ってくる、暴力的なまでに食欲をそそる香り。

 焦げた醤油、肉の脂、甘いソース。

「ぐぅ……ッ」

「腹が……減った……」

 その匂いを嗅いだ瞬間、襲いかかってきていた鎌鼬たちが、ピタリと動きを止めた。

 彼らの殺意が、「食欲」へと上書きされたのだ。

「清水さん! 琥太郎君! 受け取って!」

 勝手口から紬が飛び出してきた。

 その手には、巨大なハンバーガーが載ったお盆がある。

「な、なんだそれは!?」

「特製『月見バーガー』よ! 敵も味方も関係ない、みんなで月見の宴よ!」

 紬はお盆を掲げた。

 その瞬間、雲が切れ、満月の光がバーガーを照らし出した。

 料理の神気と、月の霊力が共鳴する。

「食ってみろ、飛ぶぞ!!」

 紬は叫び、一番近くにいた敵の親玉(ボス鎌鼬)の口に、バーガーをねじ込んだ。

『ンガッ!?』

 ボス鎌鼬が目を白黒させる。

 そして――。

 バクリ。

 咀嚼した瞬間、ボスの体から黒い霧が噴き出した。

 肉汁の奔流。半熟卵のまろやかさ。濃厚なソースの旨味。

 それらが脳天を直撃し、彼の魂を蝕んでいた「飢え」と「呪い」を、圧倒的な満足感で塗りつぶしていく。

『ウ、ウマァァァァァイッ!!』

 ボス鎌鼬が絶叫し、その体が浄化の光に包まれた。

 それを見た他の鎌鼬たちも、我先にと紬の周りに群がる。襲うためではない。「くれ!」とねだるためだ。

「はいはい、並んで! まだあるから!」

 紬は次々とバーガーを配っていく。

 まるで炊き出しだ。地獄絵図だった戦場が、一瞬にして平和な食事風景に変わってしまった。

「……あいつ、すげぇな」

 琥太郎が呆然と呟いた。

「敵を餌付けして無力化しちまったぞ」

「フッ。……俺の料理番をナメるなよ」

 清水は誇らしげに笑い、そしてふらつく足で紬の元へ歩み寄った。

 彼の腹もまた、限界を訴えていた。

「おい紬。俺の分は?」

「もちろん、ありますよ! 特大サイズがね!」

 紬が差し出したバーガーには、パティが二枚、卵も二つ挟まれている。

 清水と琥太郎は顔を見合わせ、そして同時にかぶりついた。

 その一口が、弱りきった神々の体に、爆発的な活力を注ぎ込む。

 さあ、反撃――いや、最後の仕上げの時間だ。


(第14話 完)

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