第九章 詰局(チェックメイト)


「……さて。ようやく観客がいなくなりました。カーテンコールを始めるには、最高の静寂だと思いませんか」

 蓮見は、完全に意識を失い、操り人形のように力なく倒れた二人の前で、悠然と椅子に座り直した。先ほどまで阿久津たちに見せていた「悲劇に打ちひしがれる探偵」の顔は、仮面を剥ぎ取るように消え去っていた。眼鏡の奥にある瞳には、氷のような冷徹さと、目的を完遂した勝者特有の不気味な愉悦が宿っている。彼は懐から、兼重の死体から密かに回収しておいた、鈍い黄金の輝きを放つ「キング」の駒を取り出し、卓上に置いた。

「阿久津さん、志保さん。まだ脳の奥底で、私の声が微かに響いていますか? せっかくですから、真の解答編を教えてあげましょう。誰も知らない、この島で私だけが描き上げた、完璧な詰局(エンドゲーム)の全貌を」

 蓮見の声は、深夜の静寂に溶け込む名曲を奏でる指揮者のように、穏やかでいて悦びに満ち溢れていた。

「まず、兼重氏を殺したのは私です。密室の仕掛けは古典的だが確実な、磁石と細いテグスを使ったものだ。あなたが扉を壊した瞬間に、私は壊れた金具を拾うフリをして、足元に落ちた仕掛けを鮮やかに回収した。名探偵が最初に現場を確認するという特権を、最大限に利用させてもらった。貴広さんの殺害も、私の周到な準備の賜物だ。キッチンの物音は、ただのネズミ捕りとタイマーを組み合わせた時限装置に過ぎない。あなたが地下で驚いて腰を抜かしている数秒の間に、私は事前に殺して隠しておいた死体を、たった今殺されたかのように再配置したのだよ。死体の鮮度を保つために、冷蔵庫の氷を使わせてもらったが、気づきもしなかっただろう?」

 蓮見は楽しそうに、黄金のキングを指先で愛おしげに、あるいは嘲笑うように撫で回した。

「絵里奈さんの墜落死も、私の演出だ。彼女にはビタミン剤だと偽って、極めて強力な幻覚剤を服用させた。意識が混濁した彼女が窓の外を見た瞬間、私がテグスで操って躍らせた『駒の模型』を見せれば、彼女は勝手に亡霊を見たと思い込み、恐怖から逃れるために自ら死の跳躍を選んだ。実に簡単なことだ。そして慎二さんに至っては、言葉という名のナイフ一本で十分だった。恐怖に追い詰められ、判断力を失った人間に、偽りの『脱出口』という幻想を提示してやれば、彼は自らの足で崖下のゴミ捨て用シュートへと飛び込んでくれる。実に、実に忠実で優秀なポーンだったよ。……遺書? もちろん私が書いた。私は、相手の筆跡や筆圧、癖を数分観察するだけで完璧に模写できる特技がありましてね。彼の絶望を代筆するのは、最高に知的な娯楽だった」

 蓮見は立ち上がり、完全に沈黙した阿久津の耳元に、死神の囁きのように口を寄せた。

「なぜ、こんなことをするのか……と問いたいのでしょう? 理由など、この美しい盤面を、私の思い描いた通りの絶望で塗り替えること以外に必要ですか? 私は名探偵だ。だが、世間が知る名探偵は、ただ事件を解決するだけの受動的な存在に過ぎない。私が目指すのは、最も美しく、最も完璧な惨劇を自らデザインし、それを『真実』として歴史に定着させる能動的な芸術家だ。警察が来れば、あなたは私の薬物による暗示通り、慎二の狂気を涙ながらに語り、私を救世主として崇めることになる。……これこそが、人間の心理を駒として扱う、最高の知能ゲームだと思いませんか?」

 蓮見は満足げに微笑むと、冷めかけたコーヒーを優雅に飲み干した。その姿は、朝日を待つ闇の王のように気高く、そしてどこまでも悍ましかった。彼の脳内では、既に次なる対局の駒が並べ始められていた。

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