第七章 消失


 嵐はもはや、六駒館という巨大な檻そのものを揺さぶっていた。窓を叩く雨の音は、まるで無数の怨霊が爪を立てて石壁を削っているかのように響く。蓮見は阿久津と共に、西棟へと続く薄暗い廊下を急いでいた。

「慎二さん! 私です、蓮見です! 扉を開けてください、一人にするのは危険だ!」

 蓮見は慎二の部屋の重厚なオーク材のドアを、拳が痛むほどに激しく叩いた。だが、返事はない。先ほどまで廊下に漏れ聞こえていたという、家具を乱暴に引きずるような音も、今は深海のような静寂に飲み込まれている。その沈黙が、この世の終わりのような不気味さを孕んで、二人の背筋に冷たい汗を走らせた。

「阿久津さん、予備の鍵を! 早く!」

「は、はい! ええと、これです……」

 震える手で阿久津が差し出した鍵を、蓮見はひったくるように受け取り、鍵穴に差し込んだ。冷たい金属音が重く響き、蓮見は肩をぶつけるようにしてドアを押し開けた。

 だが、そこに慎二の姿はなかった。

 部屋の中は、まるで狂気が渦巻いた後のように荒れ果てていた。中央のテーブルは無残に倒れ、白黒のチェス駒が床に散乱している。そして何より異様だったのは、部屋の奥にある巨大な窓が全開になっており、吹き込む雨風がカーテンを狂ったように躍らせ、床を水浸しにしていたことだ。

「慎二様……そんな、どこへ消えてしまったのですか!」

 阿久津が絶句し、膝をつく。蓮見はすぐさま水浸しの窓辺へ駆け寄り、身を乗り出して暗闇の先、断崖絶壁の下を確認する素振りを見せた。

「……ここから飛び降りた形跡は見当たりません。ですが、この暴風雨の中、自ら外へ出たのだとしたら絶望的だ。阿久津さん、落ち着いてください。犯人は慎二さんを誘い出したのか、あるいは……」

 蓮見は慎二の机の上に置かれた、一通の紙切れを鋭く見つめた。そこには、意味をなさない殴り書きのような跡と、何かを必死に拒絶したような爪痕が残されていた。

「阿久津さん、あなたは志保さんのそばにいてください。彼女を一人にしてはいけない。私は館の隅々まで、慎二さんの足跡を追います。犯人はまだこの館のどこかに、彼を連れて潜んでいる可能性がある」

 蓮見は阿久津を半ば強引に、安全な一階のサロンへと促すと、自らは「慎二を救出する」という悲壮な決意を背負った表情で、一人館の暗闇へと消えていった。

 廊下を進む蓮見の足音は、やがて嵐の音に消される。彼は懐中電灯を頼りに、館の深部、地下へと続く重い石扉の前に立った。

「……待っていてください。必ず、真相を掴んでみせる」

 彼は独り言を漏らした。その瞳には、一人の若者を救えなかったことへの自責と、見えない怪物に対する探偵としての闘志が宿っているように見えた。彼は地下のワインセラーへ続く階段を、迷いのない足取りで降りていった。その姿は、暗闇に挑む光の騎士そのものであった。

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