第四章 攻撃
九条貴広の遺体が発見されたことで、六駒館の空気は完全に冷え切った。もはや「遺産相続」などという言葉を口にする者はいない。そこにあるのは、剥き出しの生存本能と、隣人への底なしの不信感だけだった。
「どうして……貴広兄さんまで……」
リビングのソファで、里中志保が過呼吸気味に肩を揺らしている。慎二は部屋の隅で腕を組み、鋭い眼光で蓮見を睨み据えた。
「蓮見先生。あんたは『二人一組で行動しろ』と言った。だが、兄貴は一人で殺された。……これは、あんたの指示が間に合わなかったのか、それとも、あんたの目を盗んで動ける『ナイト』がこの中にいるということか?」
蓮見は慎二の挑発を、静かな眼差しで受け止めた。
「慎二さん。貴広さんがなぜ一人でキッチンへ向かったのか、それがこの事件を解く鍵になるでしょう。彼は、他の誰にも知られたくない『何か』のために、自ら孤立を選んだ。犯人はその心理を突いたのです」
蓮見の声には、一点の曇りもなかった。
「私が阿久津さんと地下を確認している間の、わずか十五分の空白。その間に貴広さんを呼び出し、一突きで仕留める……。犯人は、この館の構造と、貴広さんの性格を完璧に把握している人物です」
蓮見は机の上に、館の概略図を広げた。
「ここで一度、全員のアリバイを整理しましょう。……まず慎二さん。あなたは十時から十一時の間、絵里奈さんと一緒にサンルームにいたと言いましたね?」
「ああ。父さんの死で混乱してたからな。ずっと姉さんと酒を飲んでいた。志保ちゃんも、時々顔を出したはずだ」
絵里奈は、虚ろな目で頷いた。
「そうよ……ずっと一緒だったわ。だから、私たちには不可能よ」
蓮見はペンで図面に印をつけた。
「志保さんは、十一時過ぎに自室へ戻ったあと、誰かの足音を聞いた。阿久津さんは、私と一緒に地下へ降りる前、十二時頃まで図書室で資料を整理していた。……そうなると、物理的に自由だったのは、実は『誰もいない』ということになります。全員が誰かの目にあるか、あるいは密室にいた」
「だったら、幽霊の仕業だってのかよ!」
慎二が吐き捨てるように言った。
蓮見は僅かに目を細め、手元のチェス駒『ナイト』を弄んだ。
「いいえ。チェスのナイトは、他の駒を飛び越えて移動できる唯一の駒です。この館にも、私たちが気づいていない『跳躍のルート』があるのかもしれない」
その時、阿久津が思い出したように声を上げた。
「……そういえば、先生。貴広さんの部屋を調べた時、妙なものがありました」
阿久津が差し出したのは、一枚の破れた紙切れだった。そこには殴り書きでこう記されていた。
『一時、キッチンで。黄金のキングの隠し場所を教える』
一同に戦慄が走った。
「……これを書いた奴が、犯人か」
慎二が呟く。
蓮見は紙切れを光に透かし、深いため息をついた。
「貴広さんは、欲望に負けて罠に飛び込んだ。……犯人は、この『黄金のキング』という餌を使えば、彼が一人で来ることを確信していたのでしょう。慎二さん、絵里奈さん。あなた方の部屋に、不審な手紙などは届いていませんか?」
二人は顔を見合わせ、首を振った。
「……いいでしょう。犯人は次に、別の『駒』を狙うはずです。今度は、私自身が囮(デコイ)となって、夜の廊下を見張りましょう。阿久津さん、あなたは志保さんの部屋の前で待機してください」
蓮見の提案に、阿久津は心強そうに頷いた。
「分かりました。先生がいれば、もう犠牲者は出ないはずだ……」
夜。蓮見は一人、暗い廊下に椅子を置いて座った。
手の中には、誰にも見せていない「もう一枚の紙切れ」があった。それは、彼が自ら書き、懐に忍ばせていたものだ。
窓の外、落雷の閃光が蓮見の横顔を白く照らし出す。その表情には、犯人を追う探偵の峻厳さと、盤面を支配するプレイヤーの静寂が同居していた。
(……ナイトの跳躍。次は、誰を飛び越えるべきか)
闇の中で、彼だけが、次の「手番」を知っていた。
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