第三章 展開
九条兼重の遺体は、冷え切った自室にそのまま安置されることになった。
嵐は一向に衰える気配を見せず、六駒館は重苦しい沈黙に支配されていた。リビングに集まった一同の顔には、疲労と疑心暗鬼の色が濃く滲んでいる。
「……信じられない。父さんが殺されるなんて。しかも、あんな密室で」
九条慎二が力なく首を振った。その隣で、絵里奈は真っ青な顔でブランデーのグラスを握りしめている。
「ねえ、探偵さん。犯人は外部から来た人間なのよね? そう言ってよ。この中に犯人がいるなんて、そんなの……」
「今のところ、外部からの侵入の痕跡は見つかっていません。絵里奈さん」
蓮見は冷静に、しかし冷酷な事実を告げた。
「館の窓はすべて内側から施錠されていました。嵐の中、海から誰かが上陸した形跡もない。……残念ながら、私たちは『身内』を疑わなければならない状況です」
「ふざけるな!」
長男の貴広がテーブルを叩いて立ち上がった。
「俺たちが親父を殺したって言うのか? 動機なら全員にあるさ。二十億の遺産だ。だがな、あの密室をどう説明するんだ。俺は鍵なんて持っちゃいない!」
蓮見は貴広の怒りを受け流し、手帳に記したアリバイのメモを見つめた。
昨夜の晩餐会が終わったのは午後十時。その後、各自が自室に引き上げた。秘書の阿久津が最後に兼重の姿を見たのが十時半。それから今朝、死体が発見されるまで、全員に「空白の時間」がある。
「一つ、気になることがあります」
蓮見が顔を上げた。
「里中志保さん。あなたは昨夜、十一時頃に廊下で誰かの足音を聞いたと言いましたね」
名指しされた志保は、肩を震わせた。
「……はい。私の部屋は、階段の近くなのですが。誰かが、急ぎ足で一階に降りていくような音がして……でも、怖くて覗けませんでした」
「それが犯人かもしれないな」
慎二が鋭く指摘する。
蓮見は一つ頷き、一同を見渡した。
「皆さんは、今夜は二人一組で行動してください。決して一人にならないように。私はもう一度、館の中を調査します。阿久津さん、手伝っていただけますか?」
「もちろんです、蓮見先生」
阿久津は忠実な猟犬のような目で応じた。
蓮見と阿久津は、館の地下にある備蓄庫や裏口の鍵を点検して回った。
薄暗い廊下を歩きながら、阿久津がポツリと漏らした。
「先生……先生がいてくださって本当に良かった。あなたがいなければ、私たちは恐怖でどうにかなっていたでしょう」
「私は、ただ真実を明らかにしたいだけですよ。阿久津さん」
蓮見は穏やかに微笑んだ。その笑みは、暗がりの中ではひどく曖昧なものに見えた。
その直後だった。
館のどこからか、鋭い金属音が響いたのは。
「今の音は……キッチンの方か?」
二人は顔を見合わせ、一階の厨房へと急いだ。
扉を開けた瞬間、生暖かい鉄の匂いが鼻腔を突いた。
「……嘘、だろ」
阿久津が絶句する。
キッチンの勝手口近く。そこには、床に這いつくばるようにして倒れている九条貴広の姿があった。
彼の背中には、肉切包丁が深く突き立てられていた。周囲の白いタイルは、どす黒い血の海と化している。
そして、その傍ら。
貴広の開いた手のひらの中に、ポツンと置かれていたのは――『白のポーン』だった。
「ポーン……歩兵、か」
蓮見は遺体の側に膝をつき、冷静に観察を始めた。その目は、悲しみよりも先に「観察者」としての知性が勝っているように見えた。
「背後からの刺殺。争った形跡はありません。……貴広さんは、ここで誰かと待ち合わせをしていた可能性があります」
「そんな……二人一組で行動しろと言ったばかりなのに」
阿久津が震える声で言った。
蓮見は立ち上がり、血に染まったポーンを見つめた。
「犯人は、私たちの警告を嘲笑っているようです。この殺人は、チェスの序盤戦における『駒の交換』に過ぎない……。彼はそう言いたいのでしょう」
窓の外で、雷鳴が轟いた。
館の中に残されたのは、あと五人。
蓮見の眼鏡の奥で、鋭い光が明滅した。
「……皆さんを呼び戻しましょう。ゲームは、より残酷な段階に入ったようです」
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