第二章 防御


 嵐は夜が深まるにつれてその牙を剥き、六駒館を外界から完全に切り離した。窓を打つ雨礫の音は、まるで館そのものを叩き壊そうとしているかのようだった。

 翌朝、事態は最悪の形で動き出した。

 午前八時。朝食の時間になっても、館の主である九条兼重が姿を見せなかったのである。秘書の阿久津が二階の寝室へ呼びに行ったが、返事がない。不審に思った阿久津の叫び声が、冷え切った廊下に響き渡った。

「先生! 蓮見先生、来てください!」

 蓮見は誰よりも早く廊下へ飛び出した。その後に、寝巻き姿の貴広や絵里奈たちが続く。

 兼重の寝室の扉は、内側から頑丈な閂(かんぬき)が掛けられていた。

「……阿久津さん、退いてください。慎二さん、貴広さん、力を貸して!」

 蓮見の鋭い指示により、男三人で肩をぶつけるようにして扉を破った。蝶番が悲鳴を上げ、扉が内側へ撥ね飛ばされる。

 部屋の中に充満していたのは、死の匂いと、場違いなほどの静寂だった。

 部屋の中央。車椅子に座ったままの九条兼重は、胸に大きなナイフを突き立てられ、絶命していた。白のパジャマは赤黒い血に染まり、その膝の上には、一つの「チェスの駒」が置かれていた。

「……父さん!?」

 貴広が絶句し、絵里奈が悲鳴を上げてその場に頽れた。里中志保は顔を覆って震えている。

 蓮見は一人、冷静に遺体に近づき、手袋を嵌めて首筋に触れた。

「……死後数時間は経過しています。首の角度、出血量から見て即死でしょう」

 蓮見は視線を鋭くし、部屋の中を検分し始めた。

 ここは「密室」だった。窓はすべて内側から鍵が掛かっており、格子があるため人間は通れない。唯一の出入り口である扉も、先ほど自分たちが壊すまで閂が掛かっていた。

 そして何より奇妙なのは、兼重の膝に置かれた駒――『黒のナイト』だった。

「ナイト……跳躍する駒、か」

 蓮見は独り言のように呟き、周囲を見渡した。

「皆さん、落ち着いてください。警察に連絡を……と言いたいところですが、電話線が切られています。この嵐では船も出せない。私たちは今、犯人と共にこの島に閉じ込められたことになります」

「犯人だって!? この密室でどうやって殺すんだよ!」

 慎二が声を荒らげる。蓮見はあえて視線を外さず、毅然とした態度で応じた。

「それを突き止めるのが私の仕事です。阿久津さん、念のため皆さんのアリバイを確認させてください。昨夜、晩餐会のあと、各自何をしていたか。……そして、この部屋の予備の鍵を誰が持っていたかも」

 蓮見の頭脳はフル回転しているように見えた。彼は手帳を取り出し、熱心に状況を書き留めていく。その真剣な横顔は、正義感に燃える探偵そのものだった。

「いいですか、犯人はこの中にいます。そしてこの殺人は、まだ始まったばかりかもしれない。……チェスの対局と同じです。初手(ファースト・ムーヴ)が打たれた以上、ゲームは最後まで止まらない」

 蓮見は、窓の外で荒れ狂う海を見つめた。

 彼の瞳には、深い憂いと、犯人に対する確かな「怒り」が宿っているように見えた。少なくとも、阿久津たちの目にはそう映っていたはずだ。

 密室殺人という、チェス盤の上の詰みのような完璧な犯罪。

 蓮見は壊された扉の閂をそっと拾い上げ、その指触りを確かめた。

(……完璧な布陣だ)

 その言葉が、誰に向けられたものなのかを知る者は、まだ誰もいなかった。

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