第2話 深淵の公爵、レジに立つ

バイト初日の深夜零時。有栖(ベリアル)は、支給された緑色のエプロンを、あたかも決戦前のマントのように翻して身に纏った。

「サトウよ、準備は整った。この『サニーマート』という名の要塞を、今日から私が管理してやろう。民どもを呼び戻せ、一人残らず平伏させてくれるわ!」

「……あー、気合入ってるね。でもまず『平伏』じゃなくて『いらっしゃいませ』な。あとそのエプロン、上下逆だよ」

佐藤に呆れられながら、アリスの初仕事が始まった。


最初の客は、仕事帰りの疲れ果てたサラリーマンだった。アリスはレジカウンターにどっしりと構え、深淵から響くような声で言い放った。

「汝! その手に持つ茶色い液体(コーヒー)を、この私に献上するが良い! 代償として、そこに記された百三十円を差し出すのだ!」

サラリーマンは一瞬目を丸くしたが、あまりに堂々とした(そして美しい)アリスの姿に圧倒され、「あ、はい……」と財布を取り出した。

「アリス、敬語! 『百三十円になります』だろ。……すいませーん、新人なもんで」

佐藤が横からフォローを入れる。

アリスは不器用だった。バーコードリーダーを、まるで魔導杖を振るうかのように大げさに振り回し、パンの袋を詰めるときは「魂を封じ込める儀式」のように慎重すぎて時間がかかる。

おにぎりの棚卸しでは、賞味期限のチェックを「この米に宿る命の灯火を見極める作業」と称して、一粒一粒を凝視する勢いで没頭した。

「遅いぞ、アリス! 次の客が並んでる!」

「ぬぅっ……! この私が、このような矮小な作業に手こずるとは……。待て、サトウ! 今、因果律を調整して最適解を導き出しているところだ!」

命令口調で生意気、しかも不器用。普通なら即クビになりそうなものだが、アリスは決して手を抜かなかった。彼女にとってこれは「人間界侵攻のための修行」であり、不備があっては魔王に合わせる顔がない。

レジが混み合えば、目を血走らせながら(※魔力が漏れている)一生懸命に袋詰めを行い、床掃除を頼まれれば、モップが折れんばかりの力で磨き上げた。その「空回りしているが必死な姿」は、どこか憎めない熱量を持っていた。

「……ま、一生懸命なのは伝わるからいいか」

佐藤は小さく笑いながら、アリスが格闘していたレジのレシート詰まりを直してやった。


午前五時。空が白み始めても、アリスには疲れの色が一切なかった。

魔族にとって数日程度の不眠は造作もない。むしろ、意識の解像度が研ぎ澄まされ、深夜独特の静寂を謳歌していた。

「アリス、お前……元気だな。普通、初日のこの時間は眠くて意識飛ぶんだけど」

佐藤がコーヒーをすすりながら、少し感心したように言った。

「ククク……愚かなことを。我ら深淵の住人にとって、睡眠とは魂の浪費に過ぎぬ。三日三晩不眠で戦い続けたことなど、一度や二度ではないわ」

「へー、ネトゲ廃人か何か? あるいは徹夜でアニメ見るタイプ? ま、若いのはいいことだね」

佐藤はアリスの豪語を、「夜更かしに慣れた現代っ子の自慢」として脳内変換した。

やがて、店の外に朝日が差し込み始めると、アリスは露骨に嫌な顔をした。

「……チッ。忌々しい陽光め。大地の魔力が霧散し、肌を焼くような不快感だ」

彼女にとって、太陽は魔力を弱め、存在を希薄にする天敵だ。フードを深く被り、光を避けて店内の隅に避難するアリスを見て、佐藤はポンと手を叩いた。

「あー、わかった。お前、ガチの『夜型人間』なんだな。太陽の光が眩しすぎて辛いタイプか。……よし、これからはシフト、全部深夜に入れてやるよ。助かるわー、深夜枠埋まって」

「な……。……ふん、まあ良い。暗闇こそが私の本領発揮の場。貴様の頼みならば、引き受けてやらんこともない」

アリスは「夜型の人」という便利なラベルを貼られ、図らずも深夜コンビニの守護神としての地位を確立してしまった。


そうしてアリスのバイト初日は終わりを迎えた。

「お疲れ、アリス。初日にしては上出来だよ」

佐藤から渡されたのは、バイト代……ではなく、廃棄期限の迫った「プレミアム肉まん」だった。

「……これは?」

「初日のご褒美。明日もよろしくな」

アリスは、ホカホカと温かい肉まんを手に、太陽を避けながら帰路についた。

不器用で、命令ばかりで、散々な初日だったはずなのに。

「……明日も、と言ったか。サトウめ、この私を使い倒すつもりか……ククク、面白い。その挑戦、受けて立とうではないか」

ひと口かじった肉まんの温かさが、魔界の冷たい風に慣れた彼女の身体に、妙に心地よく染み渡るのだった。

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