後編
そしてメガネ生一週間目。
つまり、私が死んでから一週間後。
教室に忘れ物を取りにいった田中くんは、ドアに手をかけたところで動きを止めた。
教室内から、会話が聞こえてきたのだ。
それはクラスの女子ふたりの声だった。
「橘さんが亡くなった理由、知ってる?」
「線路に飛び降りて自殺したんじゃないの?」
「ちがうちがう。線路に落ちたおばあさんを助けようとして亡くなったんだって」
「そうなの?! うっわ、悲惨すぎる……」
「おばあさんは無事に助かって、かすり傷で済んだみたいだけどさあ」
「でも、助けたほうが死んじゃったらねえ」
「おばあさんもその家族も責任感じるよね。橘さん、考えなしだよ」
本当にその通り。
あの時、私は駅のホームから転落したおばあさんを慌てて助けたのだ。
おばあさんならワンチャン自分でも助けられると思ったら、体が勝手に動いていた。
線路に降りた私は、おばあさんを助け、そのあと自分もホームに上がろうと歩こうとした時。
電車が迫ってくるのを見て、 慌てて走ったら転んで、起き上った時にはもう遅かったのだ。
だから、助けられたおばあさんも、私を轢いた運転手も、ホームで事故を目撃した人もみんなみんな、迷惑をかけてしまったなあと思っている。
だってトラウマ間違いなしでしょ……。
そして女子二人の言う通り、助けられたおばあさんもその家族も、責任を感じてしまうだろう。
本当になんて考えなしだったんだろう。
私が反省していると、田中くんが勢いよく教室のドアを開ける。
女子たちは驚いた顔で、「あっ」と声をあげた。
田中くんは無言で自分の席からノートを取り出し、それをカバンに入れる。
そして教室を出る時、足を止めてこう言った。
「確かに橘さんは考えなしです。でも、ぼくは橘さんは立派だったと思います」
いつもの柔らかな口調からは考えられいような、ピンと張りつめた緊張をはらんだ声。
それは怒っているような悲しんでいるような声にも聞こえた。
黙りこむ女子たちを一瞥してから、田中くんは早足で教室を出た。
【かばってくれて、ありがとう】
「本音を言えば、立派だったとは思ってない」
そう言った田中くんは、やっぱり怒っているみたいだ。
【だよね。考えなしで行動するなって思うよね……】
「そうではなく、人を助けるのは素晴らしいですが、自分の命を軽く考えるのは最悪です」
田中くんにそう言われる、ありもしない胸がズキリと痛む。
それから、私と田中くんは口を利かなかった。
だって、田中くんに怒られたような気がして……。
もちろん、「最悪」と言われるだけのことをしたとは思う。
謝罪をすればいいというものでもないし。
田中くんも話しかけてほしそうにないから、このまま黙っておくのがいいだろうと思った。
そうだ、そもそもメガネはこんなに持ち主に話しかけない。
田中くんの両親は多忙な人らしく、ちょうどその時も夫婦そろって長期の出張らしい。
だから家には田中くん一人きり。
学校側も田中くん本人が、「体調が悪いです」と電話を入れれば、あっさり信じてしまっていた。
それだけ彼は、大人からも信頼されていたのだ。
両親だって、息子が学校に行っていると信じて疑わないだろう。
私も田中くんが学校をさぼって、家でダラダラしていることが信じられない。
「あー、これは絶対に避けられない攻撃」
田中くんはそう言って、ちょっと悔しそうにした。
彼は今、ベッドの上でゲームをしている。
田中くんはゲームはあまり得意ではないらしく、敵の攻撃に当たっていた。
何度目か分からないゲームオーバー。
田中くんは、ようやくゲームをやめた。
田中くんが学校をサボって一週間。
さすがにこのままではヤバい気がする。
だって、このまま田中くんが、学校をサボり続けたら……。
引きこもりまっしぐらかもしれない。
田中くんは、頭がいいしその辺の同じ年の男子よりもずっと大人。
そんな彼なら心配ない、色々と考えた末で少しだけ休んでいるだけ。
……と思いたいところだけど。
私にだって経験がある。
中学の時、風邪で学校を休んで、熱が下がっても念のために次の日休んで、それからまた次の日も「ちょっと頭痛い」と親に嘘をついて休んだ。
とはいえサボりはたった一日だけだった。
私は田中くんに会いたいから、という理由があったから学校に行けたのだ。
だけど、そのモチベーションがなければ、学校に行かなくなっていた可能性は大いにある。
だから、田中くんだって頭がいいからとか色々と考えているだろうから、安心だなんて言えないのだ。
特に、クラスメイトの死、そしてそのクラスメイトが自分のメガネに転生とか訳の分からない状況になってストレスもすごいだろう。
そんな時、一週間サボったら……このまま学校に行きたくなくなるかもしれない。
でも、メガネの私が一体どうやって田中くんを説得すればいいんだろう?
いや、そもそも田中くんはこのままサボるつもりかどうかも分からない。
このまま学校に行かないつもり? なんてニュアンスで話しかけたら、さすがに田中くんも怒るかもしれないし。
じゃあ、黙って田中くんを見守るしかないのかな。
でも、それじゃあいくらなんでも心配だしな。
「最近、ずいぶんと大人しいですね」
ふいに田中くんに話しかけられて、ビックリした。
本来、メガネはしゃべらないものだし、大人しくて当然なのだ。
【えーっと。その、本来のメガネ業務に戻ろうと思って……】
「本来のメガネ業務ってなんですか?」
【黙っておく、とか】
「あんなに会話しておいて何を今さら……」
【うん、それもそうだよね】
部屋がしんと静まりかえる。
沈黙を破ったのは、田中くんだった。
「そういえば、橘さんって趣味とかないんですか?」
【趣味?】
「そう。なんとなくぼくの中で橘さんがゲームするイメージも漫画読むイメージもないんですよ」
【田中くんの私のイメージってどんななの?】
「料理得意そうですね。勝手なイメージですが」
私は少しだけ考えて、こう続ける。
【お菓子作りは、好きだったな】
そう言葉にすると、もうお菓子は作れないんだと実感した。
田中くんにいつか手作りクッキーを渡すために、中一の頃から特訓し始めた。
そうしたら、いつの間にかお菓子作りそのものにハマってしまったのだ。
高校受験のストレス発散は、お菓子作りだったくらい。
「へぇ。それはいい趣味ですね」
【私が作ったお菓子、家族にも友だちにも評判よかったよ】
私がそう言うと、田中くんは黙り込んだ。
それからポツリとつぶやく。
「……食べてみたかったなあ」
ズキリと痛むのはフレームなのか、はたまたエア心臓か。
一つだけ言えるのは、人間だったら今私はとてつもなく胸が痛いということだけだ。
この田中くんの様子だと、手作りクッキーを渡しても喜んで食べてくれたかもしれない。
どんどん前世に未練が出てきてしまう。
次の日、田中くんは学校に行きはじめた。
完全にいつもの生活スタイルに戻っていった。
よかった、ちょっと休むだけだったんだ。
ある日、下校の最中に駅から家まで歩いている時だった。
ふと私は疑問に思って聞いてみた。
【田中くん、メガネを買い替えるんじゃなくて、またコンタクトにしないの?】
「コンタクトにすると、すぐに充血するんですよ」
【じゃあ、なんで私のお葬式のあとにコンタクトにしたの?】
「あれは……」
田中くんが黙り込んだ。
商店街から土手に差し掛かっていた。
田中くんは勢いをつけるかのように言う。
「ぼくは、このメガネを通してずっと好きな子を見ていたんです」
【へぇ。そ、そうなんだ】
「だから、このメガネごと思い出だったんですよ」
田中くんは、私にそっと触れる。
【そうなんだ。その子のこと、好きだったんだね】
田中くんは少しだけ笑ってから、立ち止まる。
「ぼくはね、橘さんが好きだったんですよ」
強い風が吹いた。
その風が冷たいのか暖かいのか、今がどの季節なのかももうわたしには感じられない。
「中学の入学式の時から、かわいいなあと思ったんです」
【めっ、メガネが合っていないんだよ……】
「アハハ。そうきますか。ま、もし合っていなかったとしても、もう離しませんよ」
ああ、よかった体がなくて。
きっと、心臓が飛び跳ねて、顔は真っ赤になっていたことだろう。
「見た目だけじゃない。勉強も頑張ってて、誰にでも優しくて……。ちょっと……いえ、だいぶドジで、でもそういうところが――」
田中くんが目を伏せた時、わたしはハッとした。
目の前を蛇行して走る車が見える。
田中くんはまだ気づいていない。
このままだと轢かれる!
【田中くん!】
そういった時には、もう目の前まで車が迫っている。
【土手のほうに逃げて!】
「えっ?!」
私の大声に驚き、田中くんは尻もちをついて、そのまま土手のほうへ倒れる。
田中くんの位置は、車に轢かれる距離ではない。
安心した、その瞬間。
私の体が田中くんから離れたことに気づく。
メガネは宙を飛ぶ。
そしてそのままアスファルトの上に落下。
あろうことか道の真ん中だ。
地面に落ちた私は、死を覚悟した。
車のタイヤが迫っている。
田中くんは、急いでわたしを拾いにこようとしてクラクションを鳴らされた。
【田中くん。私もあなたのこと、好きだった】
きっと、私の告白はクラクションで聞こえなかっただろう。
それでいい。メガネから告白されたら不気味だろうし。
次の瞬間、ガシャン、という音がして目の前が真っ暗になった。
ああ……私、壊れちゃったんだ。
でも田中くんが助かってよかった。
【えっ、なにまた死んだの? バカなの?】
頭の中で誰かの声が聞こえた。
あっ、この声、電車に轢かれて死んだ時も聞こえたな。
ってことは神様か。
【さすがにバカすぎるから、時間戻すわ】
バカは余計だ、バカは。
【今度は電車に轢かれるんじゃねぇぞ。ってゆーか頭で考えて行動しろ】
はい、すみません。それは本当に。
気が付けば、私は駅のホームに立っていた。
あれ? と慌ててトイレで鏡を確認。
制服姿のいつもの自分が映っている。
そりゃあそうだ、学校に行くんだし。
ふと、目の前をふらふらと歩くおばあさんが見えた。
このままじゃホームに転落しちゃう!
助けようと走り出そうとしたその時。
腕をつかまれ、振り返ると……。
そこには田中くんが立っていた。
「え? 田中くん?」と私がオロオロしている間に、彼は大声で叫んだ。
「おばあさん!」
すると、おばあさんはその声に立ち止まり、こちらを振り返る。
すかさず、田中くんはおばあさんに駈け寄った。
「危ないですよ。さあ、どうぞこちらへ」
田中くんは、おばあさんの手を引いて歩く。
良かった……あと少しで、あのおばあさん、ホームに落ちるところだった。
田中くんは、おばあさんを改札口まで連れて行き、そのあとは駅員さんに任せた。
ホームに戻った私と田中くんは、ホッと息をつく。
そして、田中くんはハッとして私に聞いてくる。
「橘さん、無事ですよね?」
「え? うん。無事、というか何もないけど……」
「よかった……。本当によかった……」
田中くんはそういうと、目頭を押さえた。
ああ、また私、助けられちゃったな。
田中くんがいなかったら、おばあさんはホームに落ちて、私は無謀にもそれを助けようとして――。
そこまで考えてゾッとする。
「田中くん、ありがとう。何かお礼させて」
「お礼はいいですよ。大したことは――」
田中くんはそういいかけて、ひとりごとのように言う。
「橘さんが作ったクッキーが食べたいです」
「えっ?」
私が驚いて田中くんを見ると、彼の顔はなぜか真っ赤だった。
「すみません。さすがに手間がかかりますね。忘れてください」
田中くんはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
ホームに電車が滑り込んでくる。
私と田中くんは同じ車両に乗り込んだ。
ドアが閉まる。
電車が動きだした時、私は勇気をふりしぼって言う。
「田中くん、私の手作りクッキー、食べてくれるの?」
「もちろんですよ」
田中くんはそう言って笑った。
メガネがキラリと光った。
転生したら田中くんのメガネでした。 花 千世子 @hanachoco
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