転生したら田中くんのメガネでした。
花 千世子
前編
目の前に電車が迫る。
もう、逃げられない……!
死を覚悟した私はこう思う。
神様、来世は人間にしてください、なんて贅沢いいません。
だけどもし、ひとつだけ願いが叶うなら
あ、できれば大事にされるほうがいいな……たとえば、そうだな……。
電車に轢かれた瞬間。
痛みがない代わりに、頭の中でこんな声がした。
【
目の前が真っ暗になる。
さっき頭の中で聞こえたのは、神様的な存在?
そうだとしたら、私が次に生まれ変わるのは……。
目を覚ました私は、驚きで声を上げる。
顔のすぐそばに、真っ黒な何かがあった。
これ、目だ!
しかも、見慣れた形をしている。
すっきりとした一重だけど、黒目がちで、まつげも長い。
でも、この化け物みたいなサイズはなに? 私の体くらいある目ってなに?!
パニックになりながら、私は体を起こす。
その時、ようやく自分の体の異変に気づいた。
銀色のフレームに分厚いレンズ。
それが私の体だった。
つまり、メガネになったのだ。
前世の十六歳女子の姿からずいぶんとかけ離れすぎていて、軽くめまいがした。
メガネもめまいがするし、前世の記憶だってある。
だけど、なぜメガネ?
【橘七海。お前が次に生まれ変わるのは田中聡のメガネだ】
死の直前に頭の中で、神様(?)はそう言った。
確かに私は、田中くんのそばにいたいと願ったよ。どんな形でもいいからって。
だけどまさかメガネになるとは思わなかった。
……でも、メガネってこんなにハッキリと意思があるものなの? しかも前世の記憶とか引き継がれてるし。
うーん、なんだか自分がメガネって実感、全然ないや。
さすがに夢じゃないの?
目を覚ませば、私は普通に朝起きてそれから学校へ行く準備をして――。
いつもの日常が、はじまらなかった。
それどころか私は、メガネになって数時間足らずで転生したことを実感してしまったのだ。
体が動かない。
そもそも、視覚と聴覚以外の感覚がない。
逆にメガネなのに視覚と聴覚があるのがチートっぽいけども。
ただ、匂いとか外の空気とかそういう感覚は一切ない。
あるのは、視覚、聴覚、感情、前世の記憶。
それだけあれば十分か。
そんな特殊なメガネに生まれ変わらせてくれた神様に感謝。
自分と向き合えば向き合うほど、メガネだと実感できていく。
すると、視界が変わる。
見えたのは教室の景色で、田中くんは親指と中指で自分の眉間をマッサージしていた。
やっぱり田中くんは整った顔立ちをしているし、イケメンなんだよね……。
でも、わたしが田中くんに惚れたのは顔が好みってだけじゃない。
田中くんは、メガネ拭きで私を丁寧に磨きあげ、また装着。
【ありがとう】
私がそう言っても、田中くんには聞こえない。
ちょっと寂しいけど、私が話すたびに彼は少しだけ反応してくれる気がする。それが嬉しかった。
さすがメガネを大事にしてくれている人はちがう。
中学の頃から、田中くんは同じメガネ(今の私)をつかっている。
田中くんはメガネをとても大事にしていて、こうして休み時間のたびにレンズをきれいに拭いていた。
その姿を、転生前は遠くからこっそり見ていたっけ。
片思いの相手を見てドキドキするような、私も普通の中学生だった。
あの頃は遠くに感じていた田中くんを、こんなに間近で見られるなんて思わなかったなあ。
私と田中くんは同じ中学だった。
一年生の時に、田中くんと同じクラスになって、その時に初めて彼の存在を知ったのだ。
田中くんはクラス委員長をしていたから、一方的に顔は知っていた。
頭が良くて真面目で優しくて、誰にでも丁寧な口調、おまけに顔立ちも整っている。
そんな田中くんを、「かっこいいなあ」とは思っていた。
あれは中学一年生の初夏のこと。
下校中にぼんやりと歩いていたら、突然だれかに腕を引っ張られた。
直後に私の顔スレスレを、信号無視の車がものすごい勢いで走っていったのだ。
腕を引っ張られていなければ車に轢かれてたよ。
そう思って振り返ると、そこに立っていたのは田中くんだった。
田中くんは、私を見て大慌てでこう言った。
「大丈夫ですか? ケガはありませんか?!」
「うん、大丈夫」
「危険を知らせるより先に、腕をつかんでしまいました。すみません」
田中くんはなぜかそう謝罪した。
別にそんなこと気にしなくていいのに。
なんて真面目で、それに優しい人なんだろうと思って胸がキュンとした。
「助けてくれて、ありがとう」
私がお礼を言うと、田中くんはホッとしたように笑った。
見た目も性格も、なんてイケメンだろうと思ったっけ。
それからは、田中くんのことばかり考えたし、姿を見るたびにドキドキした。
これが初恋だった。
後日、田中くんには助けてくれたお礼にクッキーを渡すことにした。
あれこれ悩んだ末に、既製品を購入。
だって手作りだと重いかなとか、失敗したら嫌だなとか、あれこれを考えちゃって……。
クッキーを渡すのは、テストの時よりもずっとずっと緊張したっけ。
もらってくれないかもしれない、ということも想定していた。
田中くんにクッキーを差し出すと、彼は最初は断ったものの、最終的にはもらってくれた。
その時は、別に大した会話はしていない。
そもそも男の子と、しかも片思いの人と気軽に話せるようなら、もっと人生イージーだろう。
帰り際、私は言い訳のようにこうつぶやいた。
「わたしの手作りとかじゃないから、安心して食べて」 と。
すると、田中くんは独り言のようにいった。
「橘さんの手作り、いいなあ」
聞き間違いかと思った。
だけど、それからすぐに田中くんは逃げるように教室を出て行った。
あれは本音? それともリップサービス?
でも、田中くんは女子にリップサービスをするほど器用な人じゃないことは、私がよく知っていた。
その日の帰り道は、田中くんの言葉がずっと脳内で再生され続けた。
心臓のドキドキは、助けられた時の倍はうるさかった。
こうして私は、命の恩人である田中くんをさらに好きになったのだ。
田中くんを好きになったから余計に意識してしまった。
だから気軽に話しかけることなんてできなくて……。
そもそも、女子にだってなかなか話にかけられないのに、男子なんかとても無理。
結局、同じクラスになれたのは一年生の時だけ。
二年生、三年生とクラスが離れた時、「そろそろこの恋もあきらめろってことかな」と思った。
三年生の始業式の日。
田中くんと廊下でバッタリ会った。
私が落としたハンカチを拾ってくれたのだ。
「お元気そうですね」と笑う田中くんが、まぶしかった。
その時、私はやっぱりこの恋をあきらめたくないと思ったのだ。
志望校を田中くんと同じ高校にして、寝る間も惜しんで必死で勉強をした。
田中くんと同じ高校に合格したのは、奇跡だと思っている。
担任も両親も、ものすごく驚いていたけど、一番ビックリしたのは私だ。
そして田中くんと同じクラスにもなれて、本当に運がいいなあと思ったんだよね。
それなのに、今では田中くんのメガネに転生。
電車に轢かれたのは、私が悪いんだけどさあ……。
ふと気づけば、既に放課後になっていた。
メガネだと時間があっという間に過ぎていく。
中学の思い出に浸っていたけれど、現在は高校一年生。
田中くんに助けられて初恋をしたあの日から、三年が経っていた。
いつのまにか、また夏が来ていた。
田中くんが席を立ったのを見計らって、クラスの女子が声をかけてくる。
「田中くーん。昨日は傘貸してくれてありがとね」
「いいえ、ぼくはたまたま折り畳み傘も持っていたので」
「雨の予報だったのに、傘忘れちゃったから、田中くんに助けられちゃったよ」
「それはよかったです。風邪などひかれたら大変ですからね」
相変わらず、田中くんだれにでも優しいな。好き。
女子は何かを思い出したように言う。
「あっ、そういえば聞いた?」
「なにをですか?」
「なんかねー。今朝、橘さん、電車に轢かれたらしいよ」
おいおい「桜が咲いたらしいよ」みたいなノリで人の死を話すな。
「は?」
目を丸くする田中くん。
そりゃそうだろう。
「それで死んじゃったんだって! かわいそう」
絶対に悲しんでないな、この人。
「橘さんが……死んだ……?」
田中くんはそうつぶやいたきり、なにも言わなくなってしまった。
そして、メガネ転生二日目。
私は早くもピンチになった。
今、私は真っ暗な中にいる。
私はケースにしまわれ、机の引き出しの奥に置かれたのだ。
田中くんはといえば今、コンタクトレンズ。
なんでコンタクトレンズに変えたのかはわからない。
これじゃあメガネに転生した意味がない!
真っ暗な中でメガネ生を終えたくないよー!
田中くんはなんの前触れもなしに突然コンタクトに変えた。
具体的に言えば、私の葬式に来て涙を流し、そして家に帰ってきたらメガネをそっとしまってコンタクト。
急なイメチェン? わたしの葬式直後になぜ?
理由はわからないけど、とっても困る!
すると階段を上がってくる音。部屋のドアが開く音。
田中くんが部屋に戻って来たんだ。
「なんで死んじゃったんだ……。橘さん……」
ひとりごとが聞こえる。
私が死んだことを悲しんでくれてる?
まあ、クラスメイトが急に死んだらショックだよね。
そして私はここにいるんだけど。
「橘さんはバカだ。本当にバカだ」
田中くんがそう言った声がハッキリ聞こえた。
悲しんで……くれてるよね?
「橘さんなんて、橘さんなんて……」
その先はよく聞こえなかった。
田中くん、私のことあんまり好きじゃなかった?
いやいや、それならここまで悲しんでくれないよね。
「本当に橘さんはバカなことをしたよ……」
【えぇ……。そんな何度もバカバカ言わなくても……】
私が発した言葉に、田中くんの背中がぴくりと動いた。
「いま、橘さんの声がしたような……いや、まさか」
【してるしてる! 田中くんのメガネに生まれ変わったんだよ!】
「ああ、幻聴が聞こえる。とうとう、おれ、おかしくなったんだな」
【幻聴じゃないよ! ここにいるんだって!】
私がそう叫ぶと、田中くんのため息が聞こえた。
ダメだ、幻聴だと思われてる!
【田中くーん! メガネを出して!】
【助けてよー! 橘七海だよー! 助けてー!】
田中くんからの返事がない。
そりゃあ、死んだ人の声が聞こえたら勘違いだと思うのが普通だ。
でも、わたしは実際にここにいる。
ここで信じてもらわないと、ずっとこの中にいなきゃいけない。
そんなの嫌すぎる!
そう考えていると、机の引き出しが開いた音がしてメガネケースが揺れる。
私は数時間ぶりに明るい日差しを見たのだ。
「橘さん、そこにいるんですか?」
【うん。いるんだよ】
「なんでメガネ……しかもぼくのメガネに?」
【よくわかんない】
「だって橘さんは……」
田中くんはそこまで言いかけて、それから私を丁寧に持った。
そして、私はいつもの位置におさまったのだ。
田中くんは、私がメガネに転生したことを最初は信じなかった。
その気持ちは分かる。
もし逆の立場だったら、信じない。
それでも、こうなってしまったことは事実。
ただ、クラスメイトが自分のメガネに転生したと信じたら……。
そのメガネをまたかけてくれるだろうか。
気持ち悪がって、コンタクトにされるかもしれない。
だけど、田中くんなら、クラスメイトが転生したメガネを引き出しの奥にしまうようなことはしないだろう。
そう思って、自分の前世が橘七海だということを信じてもらうえるように色々と話した。
中学の時のことや、電車に轢かれて死んだことを話すと、ようやく信じてくれた。
そして、コンタクトレンズにはしないと宣言してくれたのだ。
このまま私(メガネ)を使ってくれる、と。
こうして、私のメガネ生は再スタートを切った。
私は戸惑いながらも、田中くんのそばにいられる幸せをかみしめる。
田中くんは、メガネの扱いが前よりも丁寧になった。
メガネを拭きでレンズを拭く前に、「拭きますよ?」と小声で断りが入るようになった。
私は【そんなふうに断らなくてもいいよ】と言ったけど、田中くんは必ずそう聞くようになったのだ。
私の声は、どうやら田中くん以外の人には聞こえない。
だから、私は堂々と話す。
田中くんは、完全にひとりごとになるので小声で話した。
だから下校中や田中くんの部屋とか、他に人がいない場所では、田中くんもいつもの声のトーンで話してくれる。
二人きりの会話みたいで嬉しかった。
体育の時、居眠りをしそうな時――つまり私が壊れそうな時はケースにしまってくれた。
最初はケースにしまわれるのが怖かったけど。
ケースにしまう前に、「少しだけ待っててください」と田中くんが私に微笑んでくれる。
だから、ケースの中はぜんぜん怖くない。
むしろケースにしまう時の田中くんの優しい笑顔を見るのが、楽しみになったくらいだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます