第二十二章 甘い未来
あれから、一年が経った。
世界は、大きく変わっていた。
王国と帝国は、正式な同盟を結んだ。国境は開放され、人々は自由に行き来できるようになった。交易が盛んになり、両国の経済は発展した。
そして、「甘味」は大陸中に広まった。
蓮は、「大陸甘味師ギルド」の総帥に就任した。王国と帝国、両方に支部を持つ、大陸最大のギルドだ。
各地で甘味師が育成され、菓子店が開かれ、人々は日常的に「甘味」を楽しめるようになった。
砂糖の価格は下がり、庶民でも手が届くようになった。蓮が公開した精製法が、大陸中に広まったからだ。
「レン、新しい見習いたちが来たわよ」
ミラが、蓮の元に駆けてきた。
蓮は、厨房から顔を上げた。
「何人?」
「二十人。王国から十人、帝国から十人」
「そうか。ちょうどいい数だな」
蓮は、手を洗い、エプロンを外した。
「じゃあ、会いに行こう」
厨房を出ると、広い訓練場に二十人の若者が並んでいた。
全員、十代から二十代の若者だ。目を輝かせて、蓮を見つめている。
「みんな、よく来てくれた」
蓮は、見習いたちの前に立った。
「俺は、レン・カルディア。大陸甘味師ギルドの総帥だ。これから、お前たちに菓子作りを教える」
見習いたちは、緊張した面持ちで頷いた。
「最初に、一つだけ聞いておきたい」
蓮は、見習いたちを見回した。
「お前たちは、なぜ甘味師になりたいと思った?」
見習いたちは、顔を見合わせた。
一人の少年が、手を挙げた。
「俺は……誰かを笑顔にしたいからです。レンさんの菓子を食べたとき、すごく幸せな気持ちになりました。俺も、誰かにそんな気持ちを与えたいと思いました」
「俺もです」
「私も」
「俺も、同じです」
見習いたちが、次々と声を上げた。
蓮は、微笑んだ。
「いい答えだ。菓子を作る理由は、それでいい。誰かを笑顔にするため。それが、甘味師の仕事だ」
蓮は、作業台の前に立った。
「最初に、基本を教える。『乳化』という技術だ」
蓮は、ボウルとフエ(泡立て器)を手に取った。
「乳化は、相反するものを繋ぐ技術だ。水と油、熱と冷、甘さと苦さ——。それらを、一つに融合させる」
蓮は、チョコレートと生クリームを見せた。
「この二つを、見てくれ。チョコレートは油分が多い。生クリームは水分が多い。本来、混ざり合わない。でも——」
蓮は、温めた生クリームを、刻んだチョコレートに注いだ。
そして、フエでゆっくりとかき混ぜ始めた。
「温度を管理しながら、ゆっくりと混ぜる。焦らない。根気よく。そうすれば——」
数分後、ボウルの中には、滑らかなガナッシュが輝いていた。
「見ろ。油と水が、一つになった。これが、『乳化』だ」
見習いたちは、感嘆の声を上げた。
「乳化は、菓子作りの基本であり、最も重要な技術だ。これができなければ、美味しい菓子は作れない」
蓮は、見習いたちを見つめた。
「でも、乳化は菓子作りだけの技術じゃない」
「……?」
「乳化は、『繋ぐ』技術だ。相反するものを、一つにする。それは、菓子だけじゃなく、人間関係にも、国と国の関係にも、世界全体にも、当てはまる」
蓮は、窓の外を見つめた。
「一年前、この大陸は戦争寸前だった。王国と帝国は、憎み合っていた。でも、今は違う。両国は、繋がっている。それは、『乳化』の力だ」
見習いたちは、真剣な表情で聞いていた。
「お前たちは、これから甘味師になる。菓子を作り、人々に届ける。それは、小さな仕事に見えるかもしれない。でも、その小さな仕事が、世界を変える力を持っている」
蓮は、見習いたちに向き直った。
「乳化ってのはな、絶対に混ざらないものを、技術と根気で繋ぐ技術だ。この世界だって、同じさ」
見習いたちの目が、輝いた。
「さあ、始めよう。最初は、基本中の基本だ。卵の分離から——」
蓮の声が、訓練場に響いた。
夕方、蓮は一人で厨房に立っていた。
窓の外には、夕日が沈んでいく。オレンジ色の光が、厨房を温かく照らしている。
蓮は、ボウルの中のクリームを見つめながら、過去を振り返った。
前世の記憶。見習いパティシエとして、底辺で必死に働いていた日々。黒田の嘲笑。シェフの叱責。報われない努力。
そして、異世界への転生。新しい人生の始まり。
「俺は、変われた」
蓮は、静かに呟いた。
才能がないと言われ続けた。役立たずと罵られ続けた。でも、諦めなかった。
そして、今——。
蓮は、「大陸甘味師ギルド」の総帥だ。世界を繋ぐ力を持つ存在だ。
「レン」
背後から、声がした。
振り返ると、黒田が立っていた。
「黒田……」
黒田は、一年前とは別人のようだった。
黒いローブではなく、白いコックコートを着ている。表情も、穏やかになっていた。
「邪魔するぞ」
黒田は、蓮の隣に立った。
一年前、黒田は全ての罪を認め、裁判にかけられた。しかし、蓮が減刑を嘆願し、処刑は免れた。
代わりに、黒田は「菓子職人」として、一から修行をやり直すことになった。
蓮の甘味工房で、見習いとして。
「新作、試作してるのか」
「ああ。まだ、納得いかないけど」
「見せてくれ」
蓮は、ボウルの中身を黒田に見せた。
黒田は、じっとそれを観察した。
「……温度が高すぎる。もう少し下げた方がいい」
「そうか?」
「俺の経験上、この材料なら——」
二人は、自然に議論を始めた。
かつて、憎み合っていた二人。
今は、同じ厨房で、同じ夢を追いかけている。
「レン」
「何だ」
「……ありがとう」
「何がだ」
「俺を、見捨てなかったこと。俺に、もう一度チャンスをくれたこと」
蓮は、少し照れくさそうに笑った。
「別に。俺は、お前の菓子が食べたかっただけだ」
「……そうか」
黒田も、小さく笑った。
「じゃあ、期待に応えないとな」
二人は、並んで作業台に向かった。
窓の外では、夕日が沈み、星が輝き始めていた。
その夜、蓮は屋上に出て、星空を見上げた。
「レン」
セラフィーナが、隣に立った。
「今日も、忙しかったわね」
「ああ。でも、充実してた」
「そう。良かった」
セラフィーナは、蓮の手を握った。
「レン、これからも、一緒にいてくれる?」
「……ああ、もちろん」
蓮も、セラフィーナの手を握り返した。
「俺には、まだやりたいことがたくさんある。全ての人に甘味を届けること。貧しい人にも、遠い国の人にも。そのためには、まだまだ時間がかかる」
「私も、手伝うわ。これからも、ずっと」
「ありがとう」
二人は、星空を見上げた。
「ねえ、レン」
「何だ」
「あなたの夢、叶ったと思う?」
蓮は、少し考えてから答えた。
「……まだだ。夢は、まだ叶っていない」
「え?」
「俺の夢は、全ての人に甘味を届けること。まだ、届いていない人がたくさんいる。だから、まだ終わりじゃない」
蓮は、微笑んだ。
「でも、着実に近づいている。一歩ずつ、夢に近づいている。それだけで、俺は幸せだ」
セラフィーナは、蓮を見つめた。
「……あなたらしいわね」
「そうか?」
「うん。レンは、いつもそう。諦めないで、一歩ずつ進む。その姿が、私は好きよ」
蓮の頬が、少し赤くなった。
「……ありがとう」
二人は、手を繋いだまま、星空を眺め続けた。
翌朝、蓮は厨房に立っていた。
新しい一日が、始まる。
見習いたちが集まってきた。王国の若者も、帝国の若者も。みんな、目を輝かせている。
「さあ、今日も始めよう」
蓮は、フエを手に取った。
「今日は、昨日の続きだ。乳化の練習をする。何度でも、繰り返す。成功するまで」
見習いたちは、元気よく返事をした。
「はい!」
蓮は、見習いたちを見渡しながら、心の中で呟いた。
俺は、変われた。
才能がないと言われた見習いが、今は多くの人に菓子を教えている。
底辺だった俺が、世界を変える力を手に入れた。
それは、「乳化」の力だ。
相反するものを繋ぐ力。
諦めずに、一歩ずつ進む力。
「みんな、覚えておけ」
蓮は、見習いたちに語りかけた。
「乳化ってのはな、絶対に混ざらないものを、技術と根気で繋ぐ技術だ。菓子も、人も、世界も、同じさ。諦めなければ、必ず繋がる」
見習いたちは、真剣な表情で頷いた。
「さあ、行くぞ」
蓮は、ボウルを手に取った。
新しい菓子を作る。新しい笑顔を生み出す。新しい世界を繋ぐ。
それが、レン・カルディアの——かつて神崎蓮と呼ばれた男の——生きる道だ。
窓の外では、朝日が昇っていた。
新しい一日が、始まる。
甘くて、苦くて、でも幸せな——そんな一日が。
【完】
パティシエ×異世界転生_乳化の錬金術師 ~転生パティシエは甘味で世界を繋ぐ~ もしもノベリスト @moshimo_novelist
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