第二十一章 乳化の奇跡

戦争は、終わった。


いや、正確には「始まらなかった」と言うべきだろう。


黒田の降伏により、帝国軍は撤退。皇帝と王国の国王が握手を交わし、正式な和平が宣言された。


しかし、蓮にはまだやるべきことがあった。


「両軍の兵士たちに、菓子を配りたい」


蓮は、両国の首脳に提案した。


「菓子?」


「はい。俺が作った菓子です。王国と帝国、両方の食材を使った菓子。これを、両軍の兵士全員に食べてもらいたい」


皇帝と国王は、顔を見合わせた。


「何のために?」


「『乳化』のためです」


蓮は、説明した。


「『乳化』は、相反するものを繋ぐ技術です。水と油、光と闇——。この世界は、『乳化』によって創造されました。俺の菓子は、その『乳化』を物質レベルで実現しています」


「……」


「両軍の兵士が、同じ菓子を食べる。その瞬間、彼らの中で何かが変わるはずです。敵と味方という壁が、溶けていくはずです」


皇帝は、興味深そうに蓮を見つめた。


「面白い。試してみる価値はあるな」


国王も、頷いた。


「よかろう。やってみよ」


蓮は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


両軍の兵士たちが、広い野原に集められた。


王国軍が数万、帝国軍が数万。合わせて十万人以上の兵士が、整然と並んでいる。


蓮は、その中央に立った。


「皆さん、俺はレン・カルディアです。王国の甘味師ギルドマスターです」


声が、野原に響く。魔法で増幅されているようだ。


「今日、俺は皆さんに、菓子を配ります。これは、王国と帝国、両方の食材を使った菓子です。食べてください」


兵士たちの間に、ざわめきが広がった。


「菓子だと?」


「戦場で、何を言っている」


「敵からもらったものなど、食えるか」


蓮は、構わず続けた。


「俺には、剣の才能がありません。魔法の才能もありません。戦うことは、できません。でも、菓子は作れます。そして、菓子は人を笑顔にする力があります」


蓮は、籠から菓子を取り出した。


「この菓子は、『乳化』という技術で作りました。相反するものを、一つに繋ぐ技術です。王国と帝国——。二つの国は、長い間対立してきました。でも、この菓子の中では、両国の食材が完璧に調和しています」


蓮は、菓子を掲げた。


「食べてください。そして、感じてください。俺たちは、本当は繋がれるのだということを」


沈黙が流れた。


そして——。


一人の帝国兵士が、前に出てきた。


「……俺が、最初に食べる」


兵士は、蓮の前まで来て、菓子を受け取った。


そして、一口かじった。


「……っ」


兵士の目が、大きく見開かれた。


「なんだ、これは……。こんな味、初めてだ……」


兵士の目から、涙が溢れた。


「美味い……。美味いよ……」


それを見た他の兵士たちが、動き始めた。


「俺も、食べてみたい」


「私も」


「俺にも、くれ」


兵士たちが、蓮の周りに集まってきた。


王国軍も、帝国軍も、関係なく。


蓮は、次々と菓子を配った。


兵士たちが、菓子を口にするたびに、表情が変わっていく。


怒りが、驚きに変わる。


警戒が、感動に変わる。


そして——。


笑顔が、広がっていく。


「美味いな」


「ああ、美味い」


「お前も食べたか?」


「ああ、最高だった」


王国軍の兵士と、帝国軍の兵士が、一緒に笑っている。


さっきまで殺し合おうとしていた相手と、菓子の感想を語り合っている。


蓮は、その光景を見つめた。


「これが……『乳化』か……」


相反するものを、繋ぐ力。


水と油を、一つにする力。


敵と味方を、笑顔で結ぶ力。


蓮の目から、涙が溢れた。


「できた……。俺にも、できたんだ……」


そのとき、蓮の身体から、不思議な光が溢れ出した。


「な、何だ……?」


蓮自身も、驚いていた。


光は、蓮を中心に広がっていく。野原全体を、柔らかな光が包み込む。


「これは……『ニュウカ』の光じゃ……」


グランが、驚きの声を上げた。


「創造神と同じ……世界を繋ぐ光……」


光は、さらに広がっていく。


野原を越え、大地を越え、世界全体を包み込む。


その光に触れた人々の心の中で、何かが変わっていく。


憎悪が、希望に変わる。


恐怖が、信頼に変わる。


分断が、繋がりに変わる。


「乳化」が、世界規模で起きていた。


光が収まったとき、世界は変わっていた。


目に見える変化ではない。しかし、人々の心の中で、確かに何かが変わった。


「敵」という概念が、薄れていた。「味方」という概念も、同時に薄れていた。


代わりに、「隣人」という感覚が生まれていた。


同じ大陸に住む、同じ人間。それだけの、シンプルな認識。


「……すごい」


セラフィーナが、呆然と呟いた。


「本当に、世界が変わった……」


蓮は、自分の手を見つめた。


「俺が……こんなことを……」


「レン・カルディア殿」


グランが、蓮に近づいてきた。


「お主は、創造神と同じことをした。世界を『乳化』させたのじゃ。相反するものを繋ぎ、新しい世界を創造した」


「でも、俺は……ただ、菓子を配っただけで……」


「それが、『乳化』の本質じゃ。大げさな魔法ではない。小さな繋がりの、積み重ね。それが、世界を変える力になる」


蓮は、グランの言葉を噛み締めた。


「小さな繋がりの、積み重ね……」


「そうじゃ。お主は、それを証明した。菓子という小さな存在で、世界を繋いだ。それは、どんな剣や魔法よりも、偉大な力じゃ」


蓮は、野原を見渡した。


王国軍と帝国軍の兵士たちが、一緒に笑っている。菓子を分け合い、感想を語り合っている。


これが、蓮の夢見た光景だった。


全ての人が、笑顔でいる世界。


「……やった」


蓮は、静かに呟いた。


「俺、やったよ……」

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