第十八章 黒田の過去

セラフィーナの説得により、王国は帝国に和平交渉を申し入れた。


帝国——いや、黒田——は、意外にもその申し入れを受け入れた。


「罠かもしれない」


国王は、警戒の色を隠さなかった。


「あの男が、素直に和平に応じるとは思えぬ」


「俺も、そう思います」


蓮は、正直に答えた。


「でも、これが最後のチャンスです。話し合いの場を、作らなければ」


「……よかろう。ただし、今回は護衛を増やす。何かあれば、すぐに撤退できるように」


和平交渉の場所は、両国の国境近くにある中立地帯に設定された。


王国からは、国王、セラフィーナ、蓮、そして護衛の騎士団。帝国からは——黒田が来ることになっていた。


交渉当日。


蓮は、中立地帯に設営された大きな天幕の中で、黒田を待っていた。


テーブルの上には、蓮が作った「タルト・デュ・パシフィック」が並んでいる。両国の食材を融合させた、和平の象徴。


「来たぞ」


護衛の騎士が、報告した。


天幕の入り口から、黒いローブを纏った男が入ってきた。


黒田健吾。


いや、今は「ケンゴ・シュヴァルツ」——帝国の宰相にして、実質的な支配者。


「久しぶりだな、神崎」


黒田は、蓮を見て嘲笑を浮かべた。


「牢から逃げ出したと思ったら、また俺の前に現れるとはな。命知らずだ」


「話がしたい、黒田。二人きりで」


「二人きり? 何を企んでる」


「何も企んでいない。ただ、話がしたいだけだ」


蓮は、真剣な表情で黒田を見つめた。


「お前の本当の気持ちを、聞きたい」


黒田は、しばらく蓮を見つめていた。そして、周囲の護衛に向かって言った。


「全員、外に出ろ。俺と神崎、二人だけにしろ」


「宰相殿、危険です——」


「出ろと言っている」


黒田の声には、有無を言わせぬ威圧感があった。


護衛たちは、渋々ながら天幕の外に出ていった。


天幕の中には、蓮と黒田、二人だけが残った。


「さて、何を話したい」


黒田は、椅子に座りながら言った。


「お前が俺を説得しようとしているのは分かる。『戦争をやめろ』とでも言うつもりか?」


「……ああ、そのつもりだ」


「無駄だ。俺は、お前を潰すと決めた。その決意は、変わらない」


「なぜだ」


蓮は、黒田の目をまっすぐに見つめた。


「なぜ、そこまで俺を憎む。前の世界でも、この世界でも。俺は、お前に何かしたのか」


「何もしていない。それが、腹立たしいんだよ」


黒田の声には、苦しみが滲んでいた。


「お前は、何もしていない。俺を攻撃したわけでも、邪魔したわけでもない。ただ、そこにいて、黙々と努力していただけだ」


「……」


「でも、それが俺には耐えられなかった。お前は、才能がなかった。誰がどう見ても、俺の方が上だった。なのに——」


黒田の拳が、震えた。


「お前は、諦めなかった。何度失敗しても、何度罵倒されても、夢を捨てなかった。俺には、それができなかった」


「お前だって、才能があっただろう。俺より、ずっと——」


「才能があったから、怖かったんだよ!」


黒田が、叫んだ。


「俺には、才能があった。周りからも、『期待の新人だ』と言われた。でも、それがプレッシャーになった。本気を出して、失敗したらどうする。期待を裏切ったらどうする。そう思うと、怖くて本気を出せなかった」


蓮は、黙って聞いていた。


「だから、俺は適当にやった。七割の力で仕事をして、『まあまあの成果』を出し続けた。本気を出さなければ、失敗しても言い訳ができる。『本気じゃなかったから』って」


「……」


「でも、お前は違った。才能がないのに、いつも全力だった。失敗しても、また挑戦した。俺には、その勇気がなかった。だから——」


黒田は、蓮を睨みつけた。


「だから、お前が憎かった。お前を見るたびに、自分の弱さを思い知らされた。だから、お前を潰したかった。お前が諦めれば、俺は自分を正当化できると思った」


蓮は、黒田の言葉を噛み締めた。


黒田の苦しみが、初めて理解できた気がした。


才能があるからこその、恐怖。期待に応えられないかもしれないという、不安。それが、黒田を歪ませていたのだ。


「黒田……」


「何だ」


「お前が、本当に作りたかった菓子は何だ」


黒田は、言葉を詰まらせた。


「俺は知ってるぞ。お前が、夜遅くまで一人で練習していたこと。誰もいない厨房で、何度も失敗しながら、菓子を作っていたこと」


「……それは」


「お前は、本当は菓子作りが好きだったんだろう。俺と同じで、誰かを笑顔にしたかったんだろう」


黒田は、目を伏せた。


「……昔の話だ」


「昔じゃない。今でも、お前の中にあるはずだ。菓子作りへの情熱が」


蓮は、テーブルの上のタルトを指さした。


「これを食べてくれ。俺が作った、新しい菓子だ」


黒田は、タルトを睨みつけた。


「毒でも入ってるのか」


「入ってない。俺は、お前を殺したくない。お前と、話がしたいだけだ」


黒田は、しばらく躊躇していた。


そして、タルトを手に取り、一口かじった。


「……っ」


黒田の表情が、変わった。


「これは……」


「王国と帝国、両方の食材を使った。二つの国を、一つに繋ぐ菓子だ」


黒田は、二口目をかじった。三口目。


気づけば、タルトを完食していた。


「……美味い」


黒田は、小さく呟いた。


「こんな味、初めて食べた。王国の味と、帝国の味。両方が、完璧に調和している」


「これが、俺の技術だ。『乳化』——相反するものを、繋ぐ技術」


蓮は、黒田を見つめた。


「黒田、俺と一緒に菓子を作らないか」


「……何?」


「戦争なんか、やめよう。お前の才能を、菓子作りに使え。俺と一緒に、この世界に甘味を広めよう」


黒田は、蓮を見つめた。


その目には、戸惑いと、かすかな希望が混じっていた。


しかし、次の瞬間——。


黒田の表情が、再び歪んだ。


「……無理だ」


「なぜ」


「俺は、もう後戻りできない。クーデターを起こした。皇帝を幽閉した。今さら、『やっぱりやめます』なんて言えるわけがない」


黒田は、立ち上がった。


「お前の菓子は、確かに美味かった。でも、俺の決意は変わらない。戦争は、始まる」


「黒田——」


「さよならだ、神崎。次に会うときは、戦場だ」


黒田は、天幕を出ていった。


蓮は、その背中を見送ることしかできなかった。

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