第6話:進化する能力

 土間の鍋が、壺が倒れている。ひっくり返された長火鉢から、白い炭がこぼれている。布団は乱雑にめくられて、タンスが動かされ、中の物が引き出されている。大したものは入れていなかったが、空っぽだ。


「なんで? なんで」


 ザドーは外に出て、あたりを見回した。一番近い隣の家の戸に触れると、金色の光が爆発するように煌めき、戸が吹き飛ぶ。


「うわ、うわ、なんだお前」


 目を白黒させて腰を抜かした男が、朝飯の椀を投げ出す。行商に使う籠を横目に、ザドーは土足で板敷きに上がり込んだ。男が「ぎゃっ」と叫び声をあげ、情けなく壁際に逃げる。


「うちの旦那、知らない?」


「知らない、知らない。おれは知らない。戒民局が連れていった。おれは何も知らない。戒民局に聞いてくれ、戒民局に……」


 ザドーは黙って、その家を出た。男の叫び声を聞きつけたのか、近所の住民が数人ほど集まっている。


「どうしたんだ、おい、待て、どこに行く……」


 マクジに高価な薬を飲ませ、何度も町医者に診てもらった。でも、どんどん食べられなくなる一方で、良くなることはこれまでなかった。坂の上にへばりついた粗末な家に住む人間が、たった少し、高尚な存在に助けてもらおうとしただけだ。そんなに不自然なことだとは思えない。


 いつだったか炭を分けてやった婆さんが、息を切らして、ザドーに追いついてきた。女であることを売って、やっと暮らしている人だ。着物の帯から、平たい紐がはみ出ている。ザドーが家のタンスにしまっていた物だった。


「行っちゃいけない。旦那はかわいそうだけど、あんたは身を隠すんだよ」


 真冬の空のくせに、嫌味みたいに青い。雲はどこへ行ったのか、まるで明るくて暖かいことが正しいみたいに冴えわたっている。それなのに、空気はまだ冷たい。


「大丈夫。あたしが全部、開けてやるんだから……」


「行っちゃいけない……」


 爆ぜない炭を分けてもらえるからか。戒民局に荒らされた家に入り、紐を盗む相手が近くに住んでいることが嬉しいのか。


 結局、考えることが目先のことばかりで、うんざりする。どうしても欲しいものに手が届かないのは、計算して、うまく隠して、誰より賢く立ち回れなかった罰なのか。


 えんじ色の制服を着た衛兵が、白い漆喰の門の前に背筋を伸ばして立っていた。黙って通り抜けようとすると、立ちはだかって鋭い目で射抜いてくる。ザドーは眉を上げ、睨み返した。


「何の用だ?」


「旦那を返せ」


 言った途端、腹を殴られて足を蹴られた。がくんと膝を折ったザドーは、不揃いな石に両手をつき、つぶやいた。


「腹が痛いんだよ……なんで分かんないかなぁ」


「誰だ、お前は? 罪人の身内か?」


 頭上から、厳しい声が刺してくる。ザドーの手に触れているのは、白い石だった。ざらざらして、手触りはちっとも優しくない。一粒は宙に舞うくらい軽いのに、わざわざ寄り集まって、重い荷馬車や蹄にも耐えるほどの厚みを作っている。


「おい、罪人の身内かと聞いている」


 まずは目の前の一粒から、始めよう。もう難しいことじゃない。


「マクジは罪人なんかじゃない!」


 誰に見られてもいい。能力なんか惜しくない。衛兵の足元の石が金色に光り、破裂音に似た弾ける音と共に、白い粉塵があたりを支配した。ザドーは袖で口元を押さえ、建物をめがけて走った。前は見えない。後ろで衛兵が叫んでいる。


「誰か手を貸せ、誰か!」


 粉塵を抜けると、平たい瓦を貼り付け、あいだを漆喰で埋めた壁が現れた。


「どうした、どうした」


 声の方を向くと、えんじ色の制服を着た戒民官が、荒々しく怒鳴りながら外へ出てくるのが見えた。長い銃を携えている。ザドーは壁に手をついた。


「おい! そこの……」


 どれだけ大声を出されたって、怖くもなんともない。その棒きれで撃てるものなら、やってみろ。


 金色の光は壁中にある無数の鎧じみた瓦を砕き、漆喰に白煙を上げさせることなど、もはや簡単にできる。ザドーは、瓦の内側に隠れていた真っ黒な土に手を伸ばした。


 低く火薬が爆ぜる音がし、コソ泥を探す鉄の弾が、煙をねじ切って鼻先をかすめる。指がひるんだ拍子に、土壁をザドーの爪先がひっかいた。


「全部あたしのせいなんだ」


 黒土が雪崩れのように、だらしなく滑った。足元をとられながら、網目のように張り巡らされた竹の骨格に両手で触れる。目が眩むような光だ。それだけしか見えなくなるくらいの、強い光だ。ザドーは床を割り、壁を崩しては、小柄な体をかがめてマクジを探した。


「地割れだ!」


 ひっくり返るような大騒ぎは、大勢の意識を引きつけてくれる。漆喰の粉が舞って視界を塞いでも、ザドーには手の平からつたう絵がしっかりと見えていた。


 ここは、マクジには似合わない場所だ。男の腕より太い角材の向こう、窓もない板敷きの上に、何人もの臭い男たちと一緒になって詰められるような、そんな人間じゃない。


「うわ、うわ」


「助かった」


「何したんだ、あんた……」


 いくつもの格子を崩し、壁をぶち抜いて、風通しを良くしてやりながら、マクジの名前を叫ぶ。蟻の子を散らすように牢から逃げ出す男たちのあいだに、見知った愛しい背中が目に入った。横になり、膝を折って、丸くなっている。


 もう、ダメかな。この騒ぎに背を向けたまま、起き上がれないほど弱っている。いや、それならまだいい。心臓が動いてさえいれば、なんとでもなる。

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