第十五章「覚悟の夜」

始原の水が、蓮の身体を駆け巡っていた。


細胞の一つ一つに、膨大な魔力が染み渡っていく。それは痛みを伴う変容だった。骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、血管が灼熱の流れに焼かれる。


だが、蓮は倒れなかった。


歯を食いしばり、両足で大地を踏みしめる。


「何をしている……!」


黒沢が叫んだ。


「その水を、直接身体に取り込んだだと……! 馬鹿か、死ぬぞ!」


「死なない」


蓮は、自分の身体の変化を感じていた。


始原の水は、普通の人間が直接取り込めるものではない。その魔力は強すぎて、身体が耐えられない。だが——


「俺には、【水揚げ】がある」


スキル【水揚げ】が、自動的に発動していた。


始原の水の魔力を、蓮の身体の「導管」——血管や神経——を通じて、全身に均等に行き渡らせている。詰まりを防ぎ、流れを整え、負荷を分散する。


まさに、切り花を長持ちさせる技術と同じだ。


「馬鹿な……そんなことが、できるはずが……」


黒沢は、信じられないものを見る目で蓮を見つめていた。


蓮は、エリシアの方を向いた。


彼女は床に倒れ、肩から血を流している。意識はあるようだが、立ち上がれない状態だ。


「エリシア。大丈夫か」


「蓮さん……私のことは、いいから……儀式を……」


「分かっている」


蓮は黒沢に向き直った。


「黒沢。お前との決着は、後だ。今は——」


「逃がすと思うのか」


黒沢は剣を構えた。


「お前を止める。ここで」


「止められると思うか」


蓮の身体から、淡い光が溢れ出した。


始原の水の魔力が、蓮の意志に応えて形を成す。それは、蓮を包む光の鎧のようだった。


「お前の【支配】は、もう効かない。剣も、届かない」


「くそ……!」


黒沢が斬りかかる。だが、剣は光の鎧に弾かれ、黒沢自身が吹き飛ばされた。


「がっ……!」


黒沢は壁に叩きつけられ、床に倒れ込んだ。


「黒沢」


蓮は、倒れた黒沢を見下ろした。


「お前が俺を憎んでいた理由、少しだけ分かる気がする」


「……何?」


「俺が、お前より水揚げがうまくなったからだ。お前が教えた技術で、お前を超えた。それが、許せなかったんだろう」


「……」


黒沢は黙っていた。だが、その目には、否定の色はなかった。


「だが、それは俺の責任じゃない」


蓮は続けた。


「俺は、ただ花を生かしたかっただけだ。お前に追いつくためでも、お前を超えるためでもない。ただ、目の前の花を、一日でも長く生かしたかった。それだけだ」


「……黙れ」


「お前が俺を憎もうが、嫉妬しようが、それは俺には関係ない。俺は俺のやるべきことをやる。それだけだ」


蓮は背を向けた。


「行くぞ、エリシア」


「は、はい……」


蓮はエリシアを抱き起こし、根源の泉の傍に連れていった。


「待て……!」


黒沢が叫んだ。


「俺を放っておくつもりか……! 俺はまだ——」


「お前を殺すつもりはない」


蓮は振り返らずに言った。


「俺の目的は、世界を救うことだ。お前を倒すことじゃない。お前のことは、この世界の人間に任せる。俺には、やるべきことがある」


「くそ……くそ、くそ、くそ……!」


黒沢の呪いの声が、洞窟に響いた。


だが、蓮はもう聞いていなかった。


________________________________________


根源の泉の傍で、蓮はエリシアの傷を確認した。


「深い傷だ。すぐに手当てしないと——」


「大丈夫です。これくらいなら、自分で治療できます」


エリシアは、震える手で傷口に手を当てた。かすかな光が漏れ、傷の出血が止まっていく。


「治癒魔法……使えたのか」


「初歩的なものだけです。深い傷は治せませんが、止血くらいなら……」


「十分だ。ありがとう」


蓮はエリシアを壁にもたれさせ、根源の泉に向き直った。


「儀式を、始める」


「蓮さん……」


「エリシア。最後まで、傍にいてくれ。お前の存在が、俺の支えになる」


「……はい。必ず」


蓮は泉の水に手を触れた。


青白い光が、蓮の身体を包み込む。泉の魔力と、蓮の中にある始原の水の魔力が、共鳴を始めた。


「世界樹よ」


蓮は念じた。


「俺の力を、受け取ってくれ」


意識が、拡張していく。


蓮の感覚は、根源の泉から世界樹の根へ、そして根から幹へ、幹から枝へと広がっていった。世界樹の全体が、蓮の身体の延長のように感じられる。


そして——


世界樹の「導管」が、見えた。


数え切れないほどの導管が、世界樹の内部を走っている。その一本一本が、詰まり、滞り、機能を停止していた。


「……これほどとは」


蓮は呆然とした。


一本一本の導管を開通させるのに、どれほどの時間がかかるか分からない。数十万、いや数百万の導管がある。普通にやっていては、何百年かかっても終わらない。


だが——


「普通にやる必要は、ない」


蓮は、花屋時代の知識を思い出した。


水揚げには、様々な技法がある。水切り、湯揚げ、焼き揚げ、逆さ水——それぞれの花に、最適な方法がある。


だが、すべての技法に共通する原理がある。


それは、「流れを作る」ということだ。


詰まった導管を、一本一本開通させる必要はない。最初の一押しを与え、流れを作り出せば、後は自然と水が流れていく。


「世界樹よ」


蓮は念じた。


「俺が、最初の流れを作る。後は、お前自身の力で、導管を開通させてくれ」


蓮は、自分の生命力を集中させた。


生命力を、魔力に変換する。その変換された魔力を、始原の水を通じて、世界樹の根に注ぎ込む。


痛みが走った。


身体の奥から、何かが吸い出されていく感覚。生命力が、急速に失われていく。


「ぐっ……!」


蓮は歯を食いしばった。


止まるな。止まったら、すべてが終わる。


もっと多くの力を。もっと強い流れを。


「蓮さん!」


エリシアの悲鳴が聞こえた。


「身体が……光って……!」


蓮の身体から、眩い光が放たれていた。それは、蓮の生命力が魔力に変換され、放出されている証だった。


「大丈夫だ……まだ、大丈夫だ……」


蓮は自分に言い聞かせた。


リーネとの約束。エリシアとの約束。みんなのところに、必ず戻る。


その約束を、守るために。


「水揚げの儀——発動!」


蓮は、全身全霊の力を込めて叫んだ。


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