第八章「敵影」
領都での生活は、蓮にとって新鮮なものだった。
グレンの村や道中の集落とは比較にならない規模の街。石畳の道路、立ち並ぶ商店、行き交う人々の喧騒。枯死地帯の影響で活気は失われつつあるとはいえ、ここには確かに「文明」があった。
蓮はカイン伯爵の客人として城に滞在し、エリシアと共に水揚げの技術研究を続けていた。同時に、領都の周辺で枯れかけた植物を蘇らせる活動も行っていた。
「蓮さん、これを見てください」
ある日の午後、エリシアが興奮した様子で蓮の部屋を訪ねてきた。手には、分厚い古文書を抱えている。
「どうした?」
「昨夜、城の書庫で調べものをしていたら、これを見つけたんです。千年前の文献で、世界樹に関する記述があります」
蓮は古文書を受け取り、ページをめくった。文字は見たことのない形をしているが、不思議と意味が理解できた。転生の際に、言語能力も付与されたのかもしれない。
「『世界樹ユグドラシアは、大地の魔力を司る根源なり。その根は大陸全土に広がり、あらゆる生命に魔力を供給す。されど、その力を維持するためには、定期的な「儀式」が必要とされる』……」
「ここです。次のページを見てください」
エリシアに促され、蓮はページをめくった。
「『その儀式の名を「水揚げ」という。世界樹の根から魔力を汲み上げ、大地全体に循環させる聖なる儀式なり。この儀式を司る者を「水揚げの司祭」と呼び、代々その技術を継承してきた』」
蓮の手が、止まった。
「水揚げ……」
「気づきましたか? 蓮さんのスキルと同じ名前です」
「ああ。だが、偶然か?」
「偶然とは思えません。続きを読んでください」
「『しかし、千年前、水揚げの司祭の血統は途絶えた。原因は定かではないが、以後、儀式は行われなくなり、世界樹は徐々に衰退を始めた。大地は枯れ、生命は失われ、やがて世界は終焉を迎えるであろう』」
蓮は古文書から顔を上げた。
「つまり、世界樹が枯れ始めた原因は——」
「『水揚げの儀』が途絶えたからです。千年前に、儀式を行う者がいなくなったから、魔力の循環が滞り、枯死地帯が広がった」
エリシアの目が、蓮をまっすぐに見つめていた。
「蓮さん。あなたのスキル【水揚げ】は、この古代の儀式と何らかの関係があるのではないでしょうか」
蓮は黙って考え込んだ。
イリスが自分を選んだ理由。「植物と深く結びつく力」があると言っていた。そして、授けられたスキルが【水揚げ】。
もしそれが、この古代の儀式を再現する力だとしたら——
「この文献に、儀式の詳しい方法は書かれているか?」
「残念ながら、ここには概要しか記されていません。詳細な方法は、聖地の神殿に保管されているとあります」
「やはり、聖地に行くしかないか」
蓮は窓の外を見た。灰色の空が、どこまでも続いている。
「エリシア。帝国について、もう少し詳しく教えてくれないか。聖地に行くには、帝国の勢力圏を通る必要があるんだろう?」
エリシアの表情が曇った。
「はい。ヴァルハルト帝国は、この大陸の東側を支配しています。軍事力は周辺諸国の中で最強であり、最近は領土拡大の動きを見せています」
「なぜ、今になって?」
「枯死地帯の拡大が関係しています。各国の農業生産力が低下し、国力が衰えている中で、帝国だけが軍事力を維持——いえ、むしろ強化しているんです」
「どうやって?」
「分かりません。ただ、噂によれば……帝国には、異界から来た『参謀』がいるそうです。その者の知恵によって、帝国は急速に力をつけたと」
蓮の胸に、冷たいものが広がった。
「その参謀の名前は?」
「正確な名前は知られていません。ただ、帝国の者たちは彼を『黒沢参謀』と呼んでいるとか」
やはり、黒沢だ。
蓮は拳を握りしめた。あの男が、この世界で何をしようとしているのか。なぜ帝国の参謀になっているのか。分からないことだらけだが、一つだけ確かなことがある。
黒沢は、自分の敵になる。
イリスの言葉が、現実のものになろうとしていた。
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その夜、蓮はカイン伯爵の執務室に呼ばれた。
「入りなさい」
扉を開けると、伯爵は窓際に立ち、外を見つめていた。その背中には、重い憂いが漂っている。
「お呼びでしょうか」
「ああ。座ってくれ」
蓮は勧められた椅子に腰を下ろした。
「今日、王都から使者が来た」
伯爵は窓から離れ、蓮の向かいに座った。
「帝国が、我が国に対して最後通牒を突きつけてきた。『世界樹のある聖地を、帝国の管理下に置く。拒否すれば、武力行使も辞さない』と」
「聖地を……?」
「帝国は、世界樹を手に入れようとしている。衰退した世界樹であっても、その力は計り知れない。もし帝国がそれを支配すれば、大陸全土が帝国の手に落ちることになりかねん」
蓮は眉をひそめた。
「帝国は、世界樹を治そうとしているわけではないんですね」
「逆だ。帝国は、世界樹の力を『利用』しようとしている。枯死地帯を武器として使い、他国を弱体化させながら、自らは世界樹から直接魔力を吸い上げて軍事力を維持する——そういう戦略らしい」
「そんなことをすれば、世界樹は完全に枯れてしまう」
「彼らには関係ないのだろう。自分たちが勝てばいい。世界がどうなろうと知ったことではない——そういう考えだ」
伯爵の声には、怒りと悲しみが混じっていた。
「我が国は、帝国に抵抗する力を持たない。軍事力では、到底敵わない。だが、何もせずに屈服することもできない」
「……」
「蓮。お前に頼みがある」
伯爵は蓮の目をまっすぐに見つめた。
「聖地に行ってくれ。そして、世界樹を救ってくれ」
「俺が……?」
「お前にしかできない。エリシアから聞いた。『水揚げの儀』——それを行えるのは、お前だけなのだろう」
蓮は黙り込んだ。
確かに、自分は世界樹を救うためにこの世界に来た。それはイリスとの約束でもある。だが、帝国という巨大な敵が立ちはだかっている今、一人で聖地に向かうことが可能なのか。
「護衛をつける。我が領地の精鋭騎士だ。そして——」
伯爵は一度言葉を切り、深く息を吸った。
「エリシアも、同行させる」
「エリシア様を?」
「あの子は、古代の文献に詳しい。聖地の神殿で儀式の方法を調べるには、あの子の知識が必要だろう。そして何より——」
伯爵の目に、複雑な感情が浮かんだ。
「あの子は、お前についていきたいと言っている。自分の意志で、世界を救う旅に参加したいと」
「……」
「親としては、危険な旅に娘を出したくはない。だが、あの子の意志を尊重したい。お前には、娘を守ってほしい。できるか?」
重い問いだった。
蓮には戦う力がない。護衛騎士がいるとはいえ、帝国軍と遭遇すれば、全員が危険にさらされる。その中で、エリシアを守り切れるという保証はない。
だが——
「約束します」
蓮は答えた。
「俺にできることは限られています。戦う力もない。でも、エリシア様を守るために、できる限りのことはします」
「……ありがとう」
伯爵は、深く頭を下げた。
「我が領地の——いや、この世界の未来を、お前に託す」
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翌朝、蓮は城の中庭で、同行者たちと顔合わせをした。
「俺はガルド。カイン伯爵家に仕える騎士だ」
名乗ったのは、三十代半ばの精悍な男だった。短く刈り込んだ茶色の髪、鍛え上げられた体格。腰には長剣を帯びており、その佇まいからは歴戦の戦士であることが窺える。
「よろしく頼む。蓮だ」
「ああ、噂は聞いている。枯れた土地を蘇らせる『緑の聖者』だと」
「大げさな呼び名だ。俺にできるのは、水揚げだけだ」
ガルドは蓮をじっと見つめ、それから小さく頷いた。
「謙虚な男だな。悪くない。戦いは俺に任せろ。お前は、お前にしかできないことをやればいい」
「ありがとう」
「それと——」
ガルドは視線を蓮の後ろに向けた。
「あの子も、本当についてくるのか?」
振り返ると、リーネが立っていた。旅装束に身を包み、小さな荷物を背負っている。
「リーネ? なぜここに」
「蓮さん! 私も連れていってください!」
リーネが駆け寄ってきた。その目には、強い決意が宿っている。
「村に残れと言ったはずだ」
「でも、やっぱり我慢できなくて……。村の畑はもう大丈夫です。蓮さんに教えてもらった方法で、村の人たちが手入れを続けてくれています。だから——」
「駄目だ」
蓮はきっぱりと言った。
「これから向かうのは、帝国の勢力圏だ。危険すぎる。君を巻き込むわけにはいかない」
「でも、私だって——」
「リーネ」
静かな声が割って入った。エリシアだった。彼女もまた、旅装束に身を包んでいる。
「蓮さんの言う通りよ。この旅は、命がけになる。あなたには、村で待っていてほしいの」
「エリシア様……」
「でも、あなたの気持ちは分かるわ。私も、父に反対されたもの。それでも、自分の意志で行くと決めたの」
エリシアはリーネの手を取った。
「だから、約束して。私たちが帰ってくるまで、村を守っていて。蓮さんが蘇らせた畑を、枯らさないように」
リーネは唇を噛んだ。目に涙が浮かんでいる。
「……分かりました」
「ありがとう」
「でも、約束してください。絶対に、帰ってきてください。蓮さんも、エリシア様も」
「約束する」
蓮は頷いた。
「必ず、帰ってくる」
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出発は、その日の昼過ぎとなった。
蓮、エリシア、ガルド。三人は馬に乗り、領都の東門を出た。
「聖地までは、最短でも二ヶ月の道のりだ」
ガルドが地図を広げながら説明した。
「まず、この領地を抜けて隣国のベルク王国に入る。そこから東に進み、中立地帯を通過して帝国領に——いや、できれば帝国領を迂回して聖地に向かいたいところだが……」
「迂回は無理か?」
「難しい。聖地は帝国領の奥深くにある。どうしても、帝国軍と遭遇するリスクは避けられない」
蓮は前方を見つめた。
枯死地帯が、どこまでも続いている。灰色の大地と、枯れた木々。この景色を変えるために、自分はここにいる。
「行こう」
蓮は馬を進めた。
エリシアとガルドも、それに続いた。
世界樹への旅が、始まった。
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