第七章「領主の目」
集落を出て四日後、蓮はようやく領都の城壁が見える場所まで辿り着いた。
「でかいな……」
思わず呟いた。
城壁は高さ十メートル以上あり、灰色の石が積み重なっている。その内側には、建物がひしめき合っているのが見えた。これまで見てきた村や集落とは、規模が桁違いだ。
城門に近づくと、衛兵に呼び止められた。
「止まれ。どこから来た」
「グレンの村から。旅をしている者です」
「グレン? あの辺りから来た者が、領都に何の用だ」
衛兵は懐疑的な目で蓮を見つめた。蓮の服装は、この世界の標準とは明らかに異なっている。怪しまれるのは当然だった。
「領主様に、お目通りを願いたいのです」
「領主様に? お前のような平民が、領主様に会えるわけがないだろう」
「それでも、伝えていただきたいことがあります。グレンの村で起きた『奇跡』について」
衛兵の表情が変わった。
「奇跡……? お前、まさか——」
「噂になっているか」
「ああ。枯れた畑を蘇らせた男がいるという話は、領都にも届いている。それが、お前なのか」
蓮は頷いた。
衛兵は少し考え、隣の兵士に何か指示を出した。しばらくして、別の衛兵が駆けてきた。
「上からの指示だ。この者を、城へ案内しろとのことだ」
「え?」
「領主様が、噂の男に会いたいそうだ。ついて来い」
蓮は衛兵に従い、城門をくぐった。
領都の中は、外から想像していたより活気があった。市場では商人たちが声を上げ、通りには人々が行き交っている。だが、よく見ると、その顔には疲労と不安が刻まれていた。枯死地帯の影響は、この大きな都市にも及んでいるのだろう。
城は、領都の中心にそびえ立っていた。四つの塔を持つ堅牢な建物で、周囲を濠が囲んでいる。
城内に案内され、蓮は大広間に通された。
そこに、一人の男が待っていた。
四十代半ばの壮年の男。短く刈り込んだ黒髪に、鋭い目つき。だが、その瞳には慈愛の光があった。質素だが仕立ての良い服を着ており、一目で高位の人物だと分かる。
「お前が、噂の『異界の男』か」
男が口を開いた。低く、落ち着いた声だった。
「はい。水谷蓮と申します」
「私はカイン。この領地を治めている伯爵だ」
蓮は頭を下げた。領主本人が、自ら会いに来るとは思わなかった。
「噂は聞いている。グレンの村で、枯れた畑を蘇らせたそうだな」
「はい。わずかな範囲ではありますが」
「謙遜するな。グレンの村長から、詳細な報告が届いている。十年以上何も育たなかった土地から、芽が出た。それは、どんな魔法使いにもできなかった奇跡だ」
カイン伯爵は、蓮をじっと見つめた。
「お前は、何者だ? どのような力を持っている?」
「私は、別の世界から来ました。そこでは、ただの花屋でした。花を扱い、植物を生かすことだけが取り柄の、平凡な人間です」
「花屋……」
伯爵は首を傾げた。
「その『花屋』の技術で、枯れた土地を蘇らせることができるのか」
「分かりません。私にあるのは、『水揚げ』という技術だけです。植物の導管を開通させ、水や魔力の流れを正常化する。それだけのことです」
「それだけ、と言うが……」
伯爵は立ち上がり、窓際に歩み寄った。
「この領地は、枯死地帯に囲まれている。年々、耕作可能な土地は減り続けている。民は飢え、領を離れる者が後を絶たない。私は領主として、民を守る義務がある。だが、どうすることもできないでいた」
伯爵の背中には、重い責任の影が見えた。
「お前の力が本物ならば——この領地を救う希望になるかもしれない」
「お言葉ですが、私一人の力では、領地全体を救うことは不可能です。一度に処理できる範囲は限られていますし、処理のたびに大きく消耗します」
「分かっている。だが、お前の技術を広められないだろうか。他の者に教え、同じことができる人間を増やす」
蓮は考え込んだ。
確かに、技術を広めることができれば、効率は飛躍的に上がる。だが、スキル【水揚げ】は、自分固有の能力だ。他者に伝授することが可能なのかどうか、分からない。
「試してみる価値はあると思います。ただ、成功する保証はありません」
「構わない。やれることはやってみたい。——ところで」
伯爵は振り返り、蓮に視線を合わせた。
「お前には、娘を紹介しておきたい。植物学を専攻している学者でもある。お前の技術を分析する上で、力になれるかもしれない」
「娘さん?」
「エリシア。入りなさい」
伯爵が呼びかけると、大広間の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
十八歳ほどだろうか。長い栗色の髪を後ろで束ね、知性的な瞳をしている。質素だが上品な服装をまとい、手には分厚い本を抱えていた。
「父上、お呼びでしょうか」
「エリシア、こちらが噂の男——水谷蓮だ」
「お会いできて光栄です。エリシアと申します」
エリシアは蓮に向かって、優雅に一礼した。その所作には、貴族としての教育が垣間見える。
「グレンの村の報告書、読ませていただきました。魔力の導管を開通させる技術——非常に興味深いです。よろしければ、詳しくお聞かせいただけませんか?」
「ああ、もちろん」
こうして、蓮は領都に滞在することになった。
________________________________________
それから数日間、蓮はエリシアと共に、水揚げの技術について分析を行った。
エリシアは予想以上に優秀な学者だった。蓮が説明する「導管の詰まり」や「魔力の流れ」について、すぐに理解を示し、さらに深い質問を投げかけてくる。
「つまり、元の世界の植物には『水の導管』と『養分の導管』があり、この世界の植物には、それに加えて『魔力の導管』がある、ということですね?」
「そうだ。そして、枯死地帯の植物は、その魔力の導管が詰まっている。俺のスキルは、その詰まりを取り除く効果があるようだ」
「興味深い……。では、詰まりの原因は何なのでしょう?」
「分からない。ただ、世界樹の衰退と関係があることは間違いないと思う」
エリシアは考え込んだ。
「世界樹——ユグドラシア。古文書によれば、世界樹は大地全体に魔力を循環させる『心臓』のような役割を担っているとされています。もし世界樹が弱っているなら、魔力の供給量が減少し、循環が滞る……」
「そうだと思う。だから、俺は世界樹のある聖地に行きたい」
「聖地……」
エリシアの表情が曇った。
「聖地への道は、容易ではありません。まず、この領地から聖地までは、数ヶ月の旅になります。しかも、途中には帝国の勢力圏があります」
「帝国?」
「ヴァルハルト帝国。この大陸の東側を支配する国家です。彼らは——世界樹の枯死を『好機』と捉え、領土拡大を狙っているという噂があります」
蓮は眉をひそめた。
「枯死を好機……?」
「はい。枯死地帯が広がれば、各国の国力は衰退します。帝国は、そこにつけ込んで侵略を行おうとしている、と」
「何のために?」
「分かりません。ただ、帝国には——最近、異界から来た『知恵者』が仕えているという噂があります。その者が、帝国の軍事戦略を指揮しているとか」
蓮の心臓が、一瞬止まったように感じた。
異界から来た知恵者。
イリスが最後に言った言葉が、蘇る。
——お前の他にも、お前の世界から魂を呼び寄せた者がいる。その者は、敵となるかもしれない。
「その『知恵者』の名前は、分かるか?」
「いいえ、詳しいことは……。ただ、『黒い沢の男』と呼ばれているとか」
黒い沢——黒沢。
蓮は拳を握りしめた。
あの男が、この世界に来ている。しかも、帝国の軍師として。
偶然ではないだろう。イリスは、意図的に二人の魂をこの世界に呼び寄せたのだ。蓮を「救済者」として、黒沢を「何か別の役割」として。
だが、なぜ黒沢が「敵」になるのか。
あの男は、蓮を嫌っていた。それは間違いない。だが、異世界に来てまで敵対する理由が、蓮には分からなかった。
「蓮さん? 顔色が悪いですが……」
エリシアの声で、蓮は我に返った。
「……いや、大丈夫だ。少し、考え事をしていただけだ」
「そうですか。では、続けましょう。水揚げの技術を他者に伝授する方法について——」
蓮は頷き、議論を再開した。
だが、頭の片隅では、黒沢の存在がずっと引っかかっていた。
________________________________________
ある日の午後、蓮はカイン伯爵に呼び出された。
「蓮。お前に見せたいものがある」
伯爵に案内されたのは、城の中庭にある温室だった。
ガラス張りの建物の中には、様々な植物が植えられている——いや、植えられていた痕跡がある。今は、ほとんどの植物が枯れ、または枯れかけていた。
「この温室は、私の妻が生前、丹精込めて作り上げたものだ」
伯爵の声には、深い悲しみが滲んでいた。
「妻は、花が好きだった。領地の各地から珍しい花を集め、この温室で育てていた。だが、十年前——妻が病で亡くなった後、温室の花も次第に枯れていった」
「……」
「最初は、私が世話を怠ったせいだと思っていた。だが、違った。どれほど手をかけても、花は枯れ続けた。枯死地帯の影響が、この温室にまで及んでいたんだ」
蓮は温室の中を見渡した。
かつては美しかっただろう空間が、今は荒廃している。枯れた茎が鉢から垂れ下がり、土は乾ききっている。だが——
「まだ、生きているものがある」
蓮は一つの鉢に近づいた。
その鉢には、小さな芽が残っていた。枯れかけているが、かすかに魔力の気配を感じる。
「これは……何の花だ?」
「妻が最も愛した花だ。『月光蘭(げっこうらん)』という。満月の夜にだけ咲く、珍しい花だ」
蓮は鉢を手に取り、観察した。
導管の詰まりがひどい。だが、まだ完全には死んでいない。蘇らせることは、可能かもしれない。
「やってみましょう」
蓮は芽に触れ、スキル【水揚げ】を発動した。
光が芽を包み、ゆっくりと浸透していく。詰まった導管を、一本一本、丁寧に開通させていく。
数分後。
枯れかけていた芽が、少しずつ緑を取り戻し始めた。茎がしっかりと立ち上がり、葉が開いていく。
「……おお」
伯爵が息を呑んだ。
「生き返っている……。妻の花が……」
やがて、芽は蕾をつけ、ゆっくりと花を開いた。
淡い銀色の花弁が、温室の中で輝いている。月光を浴びているかのような、神秘的な美しさだった。
「……ありがとう」
伯爵は、蓮の手を握った。
「ありがとう、蓮。お前のおかげで、妻の花が戻ってきた」
その目には、涙が浮かんでいた。
蓮は何も言えなかった。ただ、この花が咲いたことで、一人の人間の心が救われたのだと感じた。
これが、自分の力の意味なのかもしれない。
世界を救うという大きな目標。その前に、一つ一つの小さな命を、一人一人の心を、救っていく。
蓮は改めて決意を固めた。
世界樹のある聖地へ。そして、この世界の全ての花を——全ての命を、救うために。
________________________________________
【第一部・萌芽編 終】
________________________________________
第二部 成長編
________________________________________
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます