03. 左遷

 週明け。

 出社した俺を待っていたのは、英雄への称賛ではなかった。


 営業一課のフロアが近づくにつれ、同僚たちが不審物を見るような目で俺を見る。それでいて、視線は合わせずに逃げていくもんだから、話の聞きようがない。


「まさか、契約に不備があったんじゃないよな?」

 不安が胸をよぎったが、いやいや、と考え直した。もしそうなら、一番に俺に連絡が来るはずだ。同僚が知っていて俺が知らない、なんてことはあり得ない。


 着席して、通勤鞄から契約書の原本を取り出していると。

 契約社員の女性が、営業一課の課長から呼び出しがかかっていると、会議室の番号を知らせた。

 俺は頷き、指定された会議室へ向かった。

 ちょうどいい。重要な書類だ。上司にも一緒にチェックしてもらおう。

 そんな風に考えていたのだが。


 すでに上座に着席していた上司の表情には、巨大な契約を持って帰ってきた部下を歓迎する色はかけらもなかった。

 しかし、いくら考えても、原因が思い当たらない。

 不思議に思いながらも、促されるまま着席する。


 すると、上司はタブレットである動画を再生した。

 そこには、混雑する交差点の様子が映し出されていた。

 のろのろと動く自動車、そこを一台突っ切る白い軽自動車、ブレーキを踏む救急車。


 俺は、「あぁ」と得心した。

 この時の俺は、社用車を運転していた。どこかの誰かによってこの動画が拡散され、会社のイメージを損ねた――と説教を食らうに違いない。

 一般人が、気軽にスマホで撮影できる時代だ。確かに、これはうかつだった。

 ミスを言い訳すると、周囲からの印象は圧倒的に悪くなる。

 俺は、潔く頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。私が、軽率でした。今後、このようなことがないように……」

 という俺の謝罪を、上司は遮る。

「君に、などという選択肢はない。我が社は右肩上がりの業績を維持する優良企業。君より優秀な人材を雇用することはたやすい」


「……はぁ?」

 間の抜けた声が出てしまったが、それは仕方ないだろう。

 たかが、こんな動画程度で、俺の出世街道が閉ざされる?

 ないない。だって、俺の婚約者は、常務の娘だぞ?


 上司は、無造作に指先で救急車を指した。

「君、これに乗っていたのが誰か、知らないだろう。佐々木常務のお母様だよ」


 「……はぁ?」

 いや、それ以外に、どんなリアクションをしろって言うんだ。


 たまたま遭遇した救急車に、婚約者の母親が乗っていた。

 ゴルフでホールインワンを決めるよりはるかに低い確率だ。

 そんなことが、現実に起こったのか?

 俺の身に、起こったのか……?


 何も言わない俺に、上司は辞令を差し出した。

「新しい出向先だ。営業一課には、中途採用で新しい人材を採用するから、心配はいらない。新たな人材に、席を譲ってもらおうか……まぁ、君は、他人に譲るのが嫌いな男みたいだがね」


 午前中で引き継ぎを終えてくれ、と言い残し、上司は、会議室の扉を閉めた。

 窓の外から、雑踏の喧騒にまぎれて、救急車のサイレンが聞こえる。そんな日常的な空間の中で……「左遷させん」という、俺の辞書にはなかった文字が、でかでかと辞令の上で踊っていた。

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