第4話

 夏が終わって秋へと向かう季節。外に出ると興奮で火照った体をほぐすような涼しい風が通り抜けていって、これから到来する冬の予兆を感じさせた。

 夜の町はまるで一足先にイルミネーションを飾り付けたような様相で、キラキラと眩しく光を放っている。かと言って、それに感動する余裕は、今のわたしにはなかったけど。


「ね、ねえヤコ!? やっぱり恥ずかしいよ……っ!」


 風を受けて揺れるスカートを抑えながら、わたしは前方を行くキツネに話しかける。彼は顔をこちらへと向けて、いたずらな笑みを浮かべた。


「せっかくの衣裳を見てもらわなくていいのかよ?」


「だって、恥ずかしいものは恥ずかしいよ! というか、こんな空で誰に見せるの!?」


 わたしの言葉が風に流されていく。そう。わたしは今、空を飛んでいた。それも何か乗り物に乗っているわけではなく、ふわふわと浮かんでいる状態だ。

 ヤコに言われるがままにイメージしたら飛べたんだけど、まるで落ち着かない。


「まあ、今のオマエは極限まで認識されにくくなってるから、誰にも見られねえんだけどな。だから恥ずかしがるなよ」


「それでも恥ずかしいの!」


「魔法でも使ってみれば恥ずかしい気持ちも薄れるだろ。ほら、あそこ見てみろよ」


 そのまま空中で滞空するわたしに、ヤコがその小さな手を下へと向ける。指し示された先は、小さな公園。そしてそこにいる黒い靄のようなものが、わたしの目には映った。


「黒い煙みたいなの、見えるか? あれが、ルマの敵で、倒すべき悪者だ」


「倒すべき、敵……」


 繰り返して、その言葉を呑み込む。靄はゆらりと姿かたちを変えていて、その公園内に留まり続けている。


「試しに魔法使って、あれを消してみろよ」


「いきなりそんなこと言われても……、魔法なんてどうやって使えばいいの?」


「今やってるだろ? イメージするだけで良いんだよ」


「イメージ……」


 そんな曖昧な表現で果たして本当に魔法が使えるのかは疑問だが、言われた通りにやってみる。

 わたしは、水を想像する。冷たくて、苦しい水。悪いモノを全部洗い流す、濁流を。心の奥から滲み出て、嫌な思考が溢れて溺れる。そんな、負のイメージ。

 その溜まった感情を吐き出すかのように、無意識にわたしが向けていた指先から、弾丸が放たれていた。

 弾丸は風を裂き、夜を流れてあっという間にその公園へと着弾。

 耳慣れない破裂音と共に、辺りに水が飛び散った。


「良い魔法だな! 見てみろよ。あそこにいた黒いの、消えてるだろ? ルマの魔法で浄化されたんだよ」


「え、えと……」


 いったい何が起きたのか、まずは理解するところから始めたかったけど、ヤコに言わせれば慣れろということらしかった。確かに、魔法のようなものは使えたし、黒い靄も消えている。全部夢のような出来事だけど、今はそれを受け入れるしかないようだった。


「今日は初めてだしこんなもんだろ。また明日もよろしく頼むぜ」


「え? え?」


「そんじゃあな!」


 混乱するわたしを置き去りにして、ヤコが一瞬で姿を消した。色々と聞きたいことがあるのに、説明が面倒だとでも言うように、早口だったな。

 唖然として浮かぶわたしを笑うように、秋口の風が囁いて。

 こうしてわたしの魔法少女としての初めての夜は、終わったのだった。




 あれから、わたしは次の日も魔法少女として黒い靄を祓っていた。家に戻ると魔法少女としての姿からいつものわたしの姿に戻って、夜になったらまたこの姿になる。

 次の日も、その次の日も、それを繰り返し続けた。

 学校でのわたしは、変わらない。机の上に花瓶が置かれていたり、とうとう存在を無視され始めたりと質の悪いイジメは、相変わらずだった。

 でもそれも、前よりは気にならなくなっていた。どうしてだろう。魔法少女として良いことをしているから? 今ではちょっとだけ、前を見て歩けるようになっている気がする。

 ずっと、こんな日が続けばいいのに、なんて。

 そう思っていた。


「ルマのおかげで黒い靄が減ってきてる。もう次のヤツで最後の相手になる」


 ヤコの声はいつも通りに聞こえたけど、少しだけ怖いような、わざと声色を低くしているように感じた。


「うん……、わかったよ」


「なんだ? 意外とあっさりだな。言っとくけど、靄がなくなったら魔法少女でもなくなる。夢から覚めることになるんだぞ?」


 おどけて言うヤコに、わたしは寂しくはにかんだ。


「わたしも、本当は続けたいけど、でも良くない存在がいなくなるのが一番いいから! 十分、良い夢見れたよ」


 本心なのか、自分でもわからない言葉で身を守る。また明日から、あの虚無みたいな時間を過ごすのかと思うと、本当は嫌だった。できることなら続けたい、というのがやっぱり本音らしかった。


「……ほら、最後の靄はあそこにいる。いつもみたいに、消し飛ばせ」


 寒空のような声から逃げるように、わたしはヤコの示す先に目を向けた。


「……え?」


 その、視線の彼方。飛び込んできた光景に思わず、目を疑う。黒い靄が、一人の少女に纏わりついていたのだ。いや、纏わりつくなんて生易しいものじゃない。全身を呑み込み、締め上げ、命を奪おうとしている。

 違う。そうじゃない。驚いた一番の理由は、もっと別の部分にあった。


「ヨル、ちゃん……?」


 いつもわたしをイジメていた同級生の姿が、そこにはあった。彼女は苦しそうにもがいて、手を虚空へと向かって伸ばしている。涎や涙を垂らしながら、口をパクパクと開く姿はまるで、餌を欲する鯉のようだ。

 呼吸ができないんだ。助けないと!

 すぐにわたしはいつもの魔法を使おうとした。


「ちなみに、あれを放っておくと、黒い靄が増えるんだ」


「え――?」


 ヤコが突然、そう言った。こちらを見もせず、ただもがくヨルちゃんを、ぼんやりと眺めて言葉を紡ぐ。


「靄はああやって人間を媒介に仲間を生み出す。人一人を犠牲に、大体百体の黒い靄が生まれる」


 それがどうしたのだろうか。疑問に思うけど今はそんなことを気にしている場合じゃない。そうわたしが魔法を撃とうとした瞬間、最悪の考えが頭に浮かんでしまった。


 もし、ヨルちゃんを助けなかったら。わたしはまだ魔法少女でいられる?


 それに、イジメているウチの一人もいなくなる。

 わたしにとって、得なことばかりだ。これまでわたしは、ずっと嫌なことに耐え続けていた。良いことも特になく、無い居場所にずっとしがみついて生きてきた。

 だから、良いんじゃないかな。少しだけ、自分のために生きたって。

 魔法少女なら、役に立てる。ダルマみたいな体型とも、その時だけおさらばだ。わたしは、嫌いな自分を遠ざけたい。過去のわたしを、否定したい。

 わたしはダルマじゃない。おばあちゃんに褒められたことも、母から名付けてもらったこの名前も、大切に育ててくれたことも、全部否定して――

 わたしは――

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