第3話
今日も母は帰りが遅いらしい。冷蔵庫に入っていた母の料理をレンジで温めてから口に運ぶ。食べながら、先ほどのことを思い返していた。
アレは夢だったのかもしれない。川に飛び込んだような気がしたけど、体は濡れていないし、キツネが喋るわけがない。そう考え始めるとますます全部が嘘くさく感じてきた。魔法少女になるなんて、危うく甘い言葉で騙されるところだった。
「ごちそうさまでした」
時計の音だけが騒がしく鳴るリビングに、わたしの声が虚しく消えた。食器を無心で洗ってから、自室へと戻る。それから、何をするでもなく、ただぼんやりとノートに落書きをし始める。
絵心があるわけじゃない。何か、手を動かしていないと心が圧し潰されてしまいそうになるから、始めてみたのが絵を描くことだっただけだ。
特に何も考えずに、ノートに線を引いていく。わたしは、頭の中にある理想を、指と手で形作って、そうして出来上がったものを見て、ひとり笑った。
「……あるわけ、ないのにね」
そこに書かれていたのは、魔法少女の服。大きくて可愛らしいリボンに、ひらひらとしたスカート。自作のステッキまでデザインしている。わたしには、縁のないものばかりだ。
ぼうっと眺めているけど、それが出てくるわけでもない。わたしはそれを消しゴムで消そうとした。
「へえ、上手く書けてんじゃねえか」
「――っっ!?」
突然、背後から鳴った声に、わたしは叫びにならない悲鳴と共に、椅子から転げ落ちていた。ついでに肘を強打して、悶絶。のたうち回っているとまた同じ声が耳に届いた。
「驚きすぎだろ」
「いやっ、だって――」
咄嗟に反論するために立ち上がって、わたしはその声の主を見た。
そこには、キツネがいた。あのキツネだ。さっきの今だし、その小さな手には包帯みたいな布が巻かれている。キツネは、机の上に行儀良く座って、わたしをニコニコと眺めていた。
「な、なんでヤコが――」
「はあ? 言っただろ? また夜に来るって」
「だ、だって! あんなの、夢だと思う、し……」
声がどんどん萎んでいく。今のこの状況すらも、もしかしたら夢かもしれないと、頬を抓ってみる。
「何してんだ?」
「夢かどうか確かめてる」
「どうだった?」
「痛い」
ほらみろ、と言わんばかりにヤコが呆れた息を漏らした。恥ずかしくなって頬から手を離すけど、ヤコはそれを揶揄ったりせずに、わたしの頭へと飛び乗った。
「わわ――っ」
グラグラと重さで揺れるけど、ヤコのバランス感覚がいいのか、落ちることなくそのまま頭上で座った。
「そんじゃあ早速魔法少女になろうぜ」
「え、そんないきなり?」
「なんだ? 準備がいるか?」
「いや、その、なりたいのはそうなんだけど。なんというか心の準備が……」
やっぱりわたしにはなれないんじゃないか。そう思うと決意が鈍る。あれこれ言って遠ざけていると、ヤコの尻尾がわたしの顔面にぶつけられた。
「わぷっ」
「もう面倒くせえな! 一回やってみろって! ほら行くぞ!」
「ちょ、ちょっと待って――」
制止する暇もなかった。
それまで自分の部屋にいたはずなのに、体がふわりと浮かんで、世界が真っ白に染まる。その浮遊感に包まれる中で、眩い光が降り注ぐ。それらの光がわたしの体を埋め尽くした、とそう思った瞬間には、世界が元の景色に戻っていた。
「あ、あれ……?」
体も浮いていないし、そこは自分の部屋。他にめぼしい変化は見当たらない。
「おお、なかなか様になってるじゃねえか。似合ってるぜ」
いつの間にか机の上に戻っていたヤコが満足げにそう言った。
「似合ってる?」
その言葉の真意を確かめるよりも前に、ふと目に入った姿見で、今の自分の状態を見てしまった。
「こ、これって――っ!?」
慌てて姿見に駆け寄って、わたしはそこに映る全てを上から下まで見尽くす。
白桃のような髪に光り輝く髪飾り。お姫様が着ているようなドレスの細部にはオーロラのように揺れるフリルが目立っていて、胸元には苺みたいに紅い大きなリボン。少しだけ大人っぽいブーツまで履いている。
それに、何より。
体が細くなっている。同級生のヨルちゃんみたいに、見惚れるほどスタイルが良くなったわたしが、そこにいた。
「それは、ルマが望んだ姿だ。どうだ? これで信じてくれたか?」
「……えっと、まあ、うん」
正直に言うと、喜びよりも驚きが勝ってしまっている。その歯切れの悪さで察してくれたのか、ヤコもうんうんと頷いた。
「いきなりこんな状況になったら、そりゃあそうなるよな。まあ後は段階を踏んで慣れてもらうしかねえよ」
「慣れる……?」
この恰好に慣れるということだろうか。わたしが首を傾げていると、ヤコは器用に窓枠へと乗り移って振り返る。
「魔法少女と言や、決まってるだろ? 次は魔法を使ってみようぜ」
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