第二章、うわさ
2-1、
怪異対策本部。
それは、怪異にまつわる全ての事柄を引き受ける組織機関である。
『怪異』という存在の研究。
『怪異』が起こした犯罪の取り締まり、捜査・解決。そして、処分。
街中の常時監視に加え、二十四時間体制での巡回。
持ち込まれる事件や相談は、数知れず。年々増加の一途を辿っていた。
怪異対策本部は大衆に認知されている機関でありながら、その実態を知るものは少ない。
所属する職員は、身近な家族にすら正体を明かすことが禁じられている。
『怪異』による干渉、それ即ち、組織の崩壊といっても過言ではなかった。
過去には、職員のひとりが『怪異』に成り代わられて、ものの一日も持たずに崩壊した支部も存在する。
骨格から模倣された容姿は勿論、その性格、ましてや思考まで違わないとなると、家族や親友ですら気が付くことが出来ないのが現実だった。
だから、怪異対策本部はその名を世間に響かせ、千以上の支部を全国に起きながらも、その姿を秘匿する。闇夜に紛れ、人知れず怪異を駆逐していく。それが、この組織の存在理由である。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
「……よし、ちゃんと削除された」
古川尚也のひとりごとは、狭い部屋の中で小さく響いた。
怪異対策本部、川崎支部の支部長室。壁に配置された棚には、数多くの書籍と資料が並んでいる。入りきらないものは棚の上や机の上に散らされているどころか、床にも高く積み上げられていた。
そんな部屋の中央に鎮座しているのは、様々な情報を表示した複数のディスプレイだった。その全てに目を通しながら、尚也はもう一度「よし」と頷く。それから目を強く擦ると、机の上で放置され冷めきったコーヒーに手を伸ばした。
――酸っぱ。
口へ含んだ瞬間感じた酸味に、思わず咽る。そうすれば、部屋の隅にあるソファでノートパソコンを見ていた少女――
「淹れ直してきますね」
ぱたんと、静かにパソコンを閉じた沙葉はそう言うと、尚也の返事も待たずに出ていってしまう。
――……、まあいっか。
尚也は口から飛び出しかけた「大丈夫」の言葉を飲み込んで、小さく息を吐き出した。
宵の口大学の新歓中に起きた事件から、およそ一週間。
大学では演劇サークル【暁】をはじめとして、ありきたりな日常が繰り広げられていた。学生たちは勉学に勤しみ、空いた時間を有効に使って人々との交流を深めている。ゼミ活動に、部活に、サークルに。通う皆が、それぞれ活気のある日々を過ごしている。
一方で、件の事件の際に撮られた映像は、昨今の情報社会の中で独り歩きし、ネットの海をどこまでも彷徨っていた。
動画は、女性の大きな悲鳴から始まる。四方八方で交わされる言葉の応酬は、その全てを聞き取れるものではない。それでも、動画内で右往左往する群衆の状況を十分に物語っていた。そんな動画の最後には、怪異対策本部の仮面――狐を模したもの――を付けた男が、見るからに様子のおかしい『怪異』の心臓を貫いた瞬間が映されていた。
この衝撃的な映像が投稿されたのは、事件が起きてからすぐのこと。瞬く間に拡散されたそれは、映像を見た人が転載をし、その転載された動画がまた別のサイトに転載されて、歯止めが効かなくなっていく。
幸か不幸か、尚也と凌雅の姿は群衆に囲まれ殆どが隠れていた。とはいえ、この動画をそのまま野放しにしておく訳にはいかないのだ。だから、怪異対策本部の権力を使って片っ端から削除申請を繰り返すこと一週間。
「ひとまずは良かったですね」
「うん、まあね。……ありがとう」
画面から目を離せば、いつの間にか戻ってきていた沙葉が横にいた。ことん、と置かれたカップには、香り高い淹れたてのコーヒーが入っている。
――確かに、この事件の動画はおおよそ消えたが。
数多の種類存在するSNSには、『怪異』に関する過激な動画がいくつも転がっていた。その全てを把握し、規制することすら出来ていないのが現状だ。
尚也は再び目を擦ると、薄暗い天井を仰ぐ。
「最近ちゃんと寝てますか?」
突然の問いかけに思わず横を見やれば、沙葉の丸い双眸と視線が交差する。
「寝てるよ」
「……そうですか」
若干の間が気まずくて視線を逸らすと、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
新谷沙葉は、約二年前に怪異対策本部 川崎支部へ配属された少女だ。齢十七にして、落ち着いた立ち振る舞いに、冷静な判断力を持ち合わせている。この川崎支部に持ち込まれる仕事や書類のほとんどを整理し、振り分けているのは彼女だった。
控えめな性格に、おっとりとした話し方。その節々から感じられる気遣いに、尚也はマグカップに手を伸ばして啜る。ふわりと鼻腔を擽る香りは、一息つくには十分すぎるほど心地よい。
「これ、本日付けで届いた書留です」
カップを机に置くと、沙葉が封筒を取り出した。
「ん、ありがとう。重要?」
「はい。かなり」
流されるままに受け取って、ざらついた表面を指先でなぞる。“重要 ”と言われたこの書類もまた、何度も受け取ったものだった。
先日の怪異事件で鑑識に回した血液の、DNA鑑定の結果だ。頑丈に留められた封を丁寧に破り、横に立ったままの沙葉に見守られながら中身を確認する。
――……、そう。
結果は、なんとなく予想していたが、まさに想像通りであった。
怪異の姿として利用されてしまった人間は三人とも現在まで消息不明である、という。
尚也が
この結果が出てから安否を確認するまでのタイムラグは、たったの数日。それでも、総力をあげて捜索した結果がこれだ。未然に防げなかったものかと、思ってもどうしようにもない。
「……彼らの捜索は続けて欲しい」
厚手の紙の端を強く握りながら、尚也は目を閉じた。
「期間は」
「あと、一か月」
「はい。……過ぎたら、打ち切りとします」
「うん、頼むよ。俺もあとで捜索班の会議に参加する」
淡々と進んでいく会話は、言葉以外音のない部屋へ静かに響き渡る。すると沙葉が自身の鞄からタブレットを取り出し、手に抱えて戻ってきた。
「話は少し変わりますが、ここ最近の怪異の動向について、どう思います?」
そして、画面に表示された折れ線グラフをこちらへ見せながら首を傾げた。
どうやらそのグラフは、件の事件から今日日までの怪異出現数や目撃数をまとめたものらしい。川崎支部が集めたデータが、地域ごとに並べられている。
「綺麗に右肩あがりだな」
「ええ。先日の事件から、見事に」
宵の口大学、そして、現在尚也達が拠点を構えている地域――川崎市高津区付近だけ、怪異の出現数が異様に増えていた。
それはまるで、蟻の巣を突いてしまったかのような。
それはまるで、眠っていた巣穴から、ぶわりと影が溢れ出すような。
「……嫌な予感、するなあ」
尚也はタブレットを覗き込み、今日で一番大きなため息を吐きだした。どうにも、怪異の出現やその目撃数が増える時は、大きな事件が起きることの前触れとも言われているのだ。実際、この立場になって既に何度か経験している。背中に流れる嫌な汗に顔をしかめて、いつの間にか身体に入っていた力を抜いた。
それから、しばらくの時間が経った頃。尚也が並んだモニターへ目を通しながら、唸り、頭を抱えていた時。沙葉がソファに深く腰掛け、ノートパソコンへ文字を打ち続けていた時。
支部長室がある階の廊下に、大きな足音が響き渡った。
――子どもじゃないんだから。
モニターから顔を上げ、向かいにある扉へ視線を向ける。こんなにも賑やかな音を出して走るのは、ひとりくらいしか思い浮かばない。
「ただいま帰りました!」
どたん、ばたん、と。更にうるさい音を立てながら扉を開き、帰還の宣言をしたのは、嶋山凌雅で間違いない。
狐の仮面を首から下げ黒いマントへ身を包んだままの彼は、玉のような汗を額に浮かべていた。肩で呼吸をしつつ、扉の傍で立ち尽くしている。大方、この後の会議の時間へ間に合うために、急いで帰ってきたのだろう。
「お疲れさん」
「……ああ、はい、どうもです。遅れそう、だったので」
声をかけてやれば、その場にしゃがみ込んだ凌雅は息を切らしながらも応えた。
「お水、どうぞ」
「ああ、沙葉も居たんだな。……ありがと」
続く沙葉はいつの間に用意したのか、冷たい水を凌雅に渡した。凌雅はそれにも律儀に応え、マントの裾で汗を拭う。
「凌雅」
「はい!」
少し呼吸が落ち着いたタイミングで声をかければ、凌雅は芯のある返事をする。
「見回りから戻ってすぐのところ悪いけど、会議の資料に目通しておいて」
「……はい、分かりました」
机の上から該当する紙の束を探し当てて凌雅へ手渡せば、彼は一瞬嫌な顔をした後に快い返事をした。そして、その場にしゃがみこんだまま資料を捲っていく。
――次の会議まで、あと十分。
「会議が終わったら、サークルも行くんですよね?」
尚也も同じく自分の資料に目を通していると、凌雅が口を開く。
――ああ、そういえば。
今日の夕刻からは、暁の練習がある。新歓も終わり、新入生が体験入部へやってくる大切な時期だ。そう簡単に休む訳にはいかなった。
「うん、そのつもり」
そう軽く答えると、「げぇ」という声が聞こえてきたような気がするが、聞かなかったことにしよう。未だ床にしゃがみ込んだまま、凌雅は水を飲み込んだ。それから勢いよく立ち上がると、大きく身体を伸ばした。
「それじゃあ、行きますかぁ」
「そうだな」
意を決した凌雅の声に、尚也が答える。そして、「行ってらっしゃい」と、沙葉の送り出しの言葉が部屋へ響いた。
次の更新予定
3日ごと 19:00 予定は変更される可能性があります
箱庭物語 らく @raku_novel
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