1-9、

「……――びっくりしたねぇ」

「ね」

「ね。見てよ、コレ」

「うわぁ、如何にもって感じ。……尚也、無事だと良いんだけど」

「連絡もつかないし心配だよ」

「先輩たちも帰ってこないしさ……」

 

 事件発生から三十分ほど経った頃。演劇サークル【暁】のブースには、二年生の三人が集っていた。少し前にSNSへ載せられた動画を小松みどりが開き、それを氷沼俊介と小松あおいが覗き込んでいる。

 

 そんな彼らを少し離れたところから観察している古川尚也は、帰るタイミングを失っていた。

 

 あれから、嶋山凌雅と行動を別にしてからは早かった。

 外へ置いたままにしてしまったジャケットとチラシを無事に回収し、汗が引くまでの間に言い訳を考えつつ、ゆっくり歩いて来た次第だ。


 大学構内の様子は、事件前と後では殆ど変わっていなかった。強いて言えば、皆の興味が「新歓」から「怪異」に移り変わったくらいか。あの群衆の中にいた誰かが流行りのSNSにアップした動画を見ながら、「大変だ」と空騒ぎ。実際、友人たちもそんな様子であるし。

 

「大丈夫だった?」

「……っわ、ビックリした」

 

 突然。ふわりと甘ったるい香水の匂いをまとわせながら、いきなり肩へ腕を回してきたのは、……黒澤陽光だった。肩を跳ねさせながら振り返れば、そこには笑顔の陽光と、その後ろには、肩を並べて歩く赤塚兼吾と白石伶がいた。

 

「おー尚也、無事だったんだ」

「心配したよ」

 

 ひょっこりと顔を出した二人は、そろって片手を振った。

 

 ――あぁ、喫煙所か。

 

 近付いてきた兼吾と伶からも、陽光と同じ匂いがする。この香りがする時は、大抵、三人で喫煙所に行ってきた後だ。今後の打ち合わせだとか、そういった三年生だけで話したい時は揃って籠るのが常である。

 

「大丈夫でしたよ。避難していたので、少し遅くなりました」

 

 尚也が手にしたチラシを見せると、皆はそれぞれ安堵の表情を見せる。

 

「そういえば、リョーガくんは?」

 

 しばらく立ち止まったまま雑談をした後、口を開いたのは兼吾だった。

 

「凌雅はついさっきまで俺と一緒に居たんですが、手続きがどうのこうので経済学部棟まで行きました」

「忙しいね。新入生は」

「ですね。でも、今日の練習から来たいそうですよ」

 

 へぇ、と兼吾が呟いた。それから、伶と他愛のない雑談をしていた陽光が兼吾の横から顔を出して、「来てくれるの?!」 と大きな声をだす。

 

「やったじゃん、陽。とりあえず入部者ゼロ回避だよ」

 

 伶がそう言えば、

「やったー」

 と、気の抜けた声で兼吾が続いて、

「よっしゃ」

 と、陽光が珍しくもガッツポーズをしている。

 

 ――……あ。

 そんな大騒ぎをするものだから、こちらに気が付いた同期たちが大きく手を振っていた。

 

「尚也! 先輩も!」

「無事でよかった……」

 

 一番に声を発したのはみどりで、あおいが続く。そして最後には俊介が「本当に良かったぁ」と呟いた。

 

 それからはもう、てんやわんやである。

 

 三年生に随分懐いてる双子は、同じ顔に同じ表情を浮かべながら真っ先に駆けつけて、どうにもかしこまった話を始めた。一方ひとり残された俊介は、長机の上に置いてあった緑茶を手にしながら、尚也の方へのんびりと歩いてくる。

 

「よっ」

「よ」

「怪異、びっくりしたねぇ」

「だな。こっちの方は何ともなかった?」

 

 短い会話の中で押し付けられた未開封のペットボトルは、まだ冷たかった。そのラベルをぐるりと回し見つつ尚也が問うと、俊介は静かに答えた。

 

「うん、何ともなかった。静かすぎて怖いくらいだったよ」

「そっか」

 

 話の途中で近くの柱に寄りかかった尚也は、一息つくと言葉を続けた。俊介はどこか遠くの空を見ているようだ。

 

「……そういや、悪かったな」

「え?」

「凌雅と話してくれてたんだろ」

 

 ふと、俊介が此方に視線を落とした隙に、受け取ったペットボトルを返す。俊介の綺麗な字で書かれた“おつかれさま”は、自分に対してではないだろう。その優しさと思いやりは、安売りしてはいけないものだ。少し眉を寄せながらも、確りと受け取った俊介は、そのペットボトルを手の中で捏ねながら歯切れの悪い回答をこぼした。

 

「……あー、まあ、うん。そうだけど。謝られるようなことはなんにも」

「何も言わずに出てきちゃったから、謝りたいって」

 

 つい先に、申し訳なさそうな表情をしていた凌雅を思いだす。そっくりそのまま伝えると、俊介は一瞬堪えた後に大きく噴き出した。

 

「はは! 律儀だねぇ」

 

 そして、騒がしさを取り戻しつつある大学構内に溶け込んでしまうほど微かな声で呟く。

 

「僕も、ちょっと変なこと言っちゃったかもなぁ」

「後で練習来るよ、アイツ」

「……、それは良かった」

 

 本当は尚也に聞かせるつもりなどなかったのだろう。尚也からの返答が来たことに僅かな動揺を見せたものの、静かに続けた。そして再び空を見上げると、今度は欠伸を繰り返す。

 と、話し込んでいた三年生と双子が、尚也と俊介を呼んだ。

 

「今行きまーす」

 

 先に手を挙げて反応したのは俊介で、「はーい」と間延びした返事で尚也も続いた。

 

 俊介は「行こう」と言い残して、小走りでかけていく。その勢いのまま話の輪の中に入っていけば、すぐに楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 

 ――……俺は、ここでいい。

 

 一歩、また一歩。仲の良い六人のそばに歩みを進めて、近付きすぎない場所で足を止めた。

 

 古川尚也にとって、【暁】での居場所は、いつだってここだった。

 

 皆の輪からは、一歩離れたところ。手を伸ばせば容易に触れることが出来て、会話に混ざろうと思えば苦無く溶け込める場所。でも、絶対に輪の中には入らない。どんなに肩を組まれても、どんなに手を引っ張られても、そこに入ることは出来なかった。自分で引いた境界線を、超えることは出来なかった。

 

 知りすぎること、関わりすぎること、それは。

 ――……皆が不幸になるだけだ。

 

 尚也は左手甲に巻かれた包帯へ指を這わせると、走った痛みに唇を噛む。しかし、すぐさま表情を緩めると、再び笑い声が上がった輪の会話に耳を澄ませた。


 

 春風が、通り過ぎていく。

 その温かさで、大学構内を、群衆を、優しく撫でるように。

 まるで、一人、また一人と、戻れない場所へ誘うかのように。


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