第六話 嘘の音

【――嘘は、

言葉より先に、

態度に出ます。】


 同心に呼ばれて、商人は座敷に通されました。


 花叢座の座敷は、芝居の場とは違い、音を抑えた造りです。

 畳は厚く、障子は重ね貼りされ、声や足音が外へ漏れにくい。

 ――話をするための部屋。


 音音は、部屋に入った瞬間、空気の鳴り方が変わるのを聞き取りました。

 舞台裏の、流れる音とは違う。

 ここでは、音は溜まり、逃げません。


 商人は畳に座ります。

 膝を折る動きは滑らかで、無駄がない。

 背筋も自然に伸びています。


 場慣れした者の所作でした。


(座る音が、軽い)


 畳がきしみません。

 力をかける場所を知っている音。


「お呼びと聞きまして」


 口元には、薄い笑み。

 焦りは、まだありません。


 声は低すぎず、高すぎず。

 耳に残らない、都合のいい高さ。


(準備してきた音だ)


 同心が、静かに切り出します。


「供養の器と一緒に、

 清めに使う布を持ち込んだな」


 商人は、間を置かずに頷きました。


「ええ。

 礼を欠くのは、商いとしても失礼ですから」


 即答。

 言葉に引っかかりはありません。


 音音の胸の奥で、かすかな音が鳴ります。

 説明の音。

 弁解ではない。


(ここまでは、想定内)


 同心が、畳の上に布袋を置きます。


「この布だ」


 布袋が畳に触れた瞬間、

 音音は、夜の台所の記憶を聞きました。


 月明かり。

 沈んだ布の音。

 床へ落ちていく返り。


(……同じ音)


 商人は、ちらりと視線を落としましたが、

 すぐに余裕のある表情に戻りました。


 その視線の動きは小さく、

 ほとんど音になりません。


「外から持ち込まれたと言うなら、

 私がいちばん疑われるのが筋でしょう」


 自分から言う。

 疑いを先に拾い上げる音。


 そして、わずかに首を傾げます。


「しかし――」


 声は、穏やかでした。


 穏やかな声は、

 周囲の音を均す働きをします。


「昨日、台所に入ったのは、

 私だけではありませんよね?」


 周囲を見回し、続けます。


「一座の身内の者たちは、

 一日中、台所に出入りできる」


「誰かが、

 何かを仕込んだ可能性も、

 否定はできないはずです」


 含みのある言い方でした。

 責任を広げる音。


 座敷の空気が、わずかに揺れます。


(場を、ばらそうとしてる)


 ですが、同心は口を開きません。


 沈黙。


 音が返らないとき、

 言葉は重くなります。


 一歩、前に出たのは、音音でした。


 畳に触れる足の感触が、

 胸の奥で、短く鳴ります。


(今)


「それは、ありません」


 商人の視線が、音音に向きます。


 驚きの音ではありません。

 値踏みの音。


「……ほう?」


 音音は、落ち着いた声で言いました。


「器を拭く布は、

 誰がどの器を拭くか、分かりません」


(台所の布は、誰の手にも回る。だからこそ、座の者は怖がる)


「その器を、

 自分が使うこともあります」


 言葉を置くたび、

 場の音が、少しずつ揃っていきます。


 商人の笑みが、わずかに歪みました。


 歪んだのは口元だけ。

 けれど、音は隠せません。


(ずれた)


「自分も使うかもしれない器を拭く布に、

 毒を仕込むことはしません」


 音音は、言い切ります。


「それは、

 自分が口にするかもしれないものに、

 毒を残すやり方だからです」


 座敷に、短い沈黙が落ちました。


 畳も、障子も、

 何も鳴りません。


 商人は、小さく息を吐きます。


「ずいぶん、言い切る」


 低い声。

 探る音。


「言い切れます」


 音音は、目を逸らしません。


 視線がぶつかる音が、

 座敷の中央で、重なります。


「だから、このやり方は、

 外から来た人のものです」


 同心が、商人を見据えました。


「お前だけだ」


 商人は、しばらく黙っていました。


 沈黙が長くなるほど、

 嘘の音は、隠れ場所を失います。


 やがて、ゆっくりと口を開きます。


「……賢いな」


 それは、褒め言葉ではありませんでした。


 計算が崩れた音。


「誰が倒れても、よかった」


 商人は、淡々と言いました。


「一座の誰かが倒れれば、

 また“事故”になる」


「だが、それだけじゃない」


 商人の視線が、音音に突き刺さります。


 その瞬間、

 胸の奥で、低い音が鳴りました。


(来る)


「最後に触ったのが、

 おまえだと分かれば、

 疑いは、自然とおまえに向く」


 音音は、何も言いませんでした。


 否定の音も、

 怒りの音も、

 もう必要ありません。


「亡くなった松平様の件を嗅ぎ回るおまえを、

 これ以上、動かせなくするには――」


 商人は、肩をすくめます。


「それで、十分だった」


 同心が、立ち上がりました。


 畳が、低く鳴ります。


「自白と取る」


「好きにしろ」


 商人は、もう抗いませんでした。


 その声には、

 諦めよりも、

 見誤った者の静けさがありました。


 音音の胸の奥で、

 低く鳴り続けていたものが、

 すっと消えていきます。


【――音は、嘘をつきません。

嘘をつくのは、

いつも人の方です。】


 同心の合図で、

 商人は連れて行かれました。


 障子が閉まり、

 足音が遠ざかります。


 座敷に残ったのは、

 静かな空気だけ。


 音音は、小さく息を吐きました。


(終わった)


 けれど、胸の奥には、

 まだ、かすかな余韻が残っています。


 消えた音の、名残。


 音は、消えても、

 記憶は、残る。


【――真実は、

暴かれたあとも、

場に、静かに響き続けます。】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る