第7話:白と黒のあいだ

1449年4月

クリミア半島の港町カッファに、春の足音と共に活気が戻っていた。


ラウロの船が帰港したことで、沈黙していた商館は巨大な生き物のように脈打ち始めた。港から運び込まれる荷の重みに床が軋み、帳場では書きなぐられた伝票が山をなす。廊下を飛び交うのは、異国の地名と膨大な数字。その中心で、主であるラウロは怒涛のような決断を下し続けていた。館は、人の熱と音で満ちていた。


しかし、その熱狂から取り残されたような静寂が、中庭の片隅にはあった。ミレーナは、その喧騒の端にいた。回廊の影に身を寄せ、ミレーナは小さくなっていた。人が増えれば増えるほど、彼女にとっての世界は遠ざかり、輪郭を失っていく。そこは彼女の居場所ではないように感じた。


中庭の石段には一人の男がいた。護衛のトゥマニ。護衛の彼は、基本的にラウロの傍を離れない。休みが与えられるのは、ジェノヴァか、こうしてカッファに腰を落ち着けた時だけだ。トゥマニには久しぶりの休暇を与えられていた。


稀な休息。だが、戦士として生きてきた彼に「休み方」という概念はない。休み方を知らない彼は、日常通りに鍛錬と武器の手入れを行う。


中庭で鍛錬を終えた今は、腰を下ろして武器の手入れをしていた。刃を磨く手つきは静かで、無駄がない。陽光を浴びて鈍く光る黒い肌。流れるような動きで武器を磨くその手つきは、静謐な儀式のようでもあった。


その様子を、ミレーナは柱の影から眺めていた。


大きい。

黒い。

静か。


ふとした拍子に、視線がぶつかった。

二人の時間は、そこで凝固する。


二人とも、そのまま固まった。


トゥマニは思う。

――この子は、誰なのだろう。

――こんな白い人が、世界にはいるのか。


ミレーナは思う。

――この人は、誰なのだろう。

――こんな黒い人が、世界にはいるのか。


敵意はない。けれど、言葉の繋ぎ方を知らない。

二人の間に横たわるのは、純粋な驚きと、どうしようもないほどの「差異」だった。にらめっこのような沈黙が数秒、永遠のように引き延ばされる。


そこへ――


「ねぇ! なにやってんのぉ!?」


間の抜けた、しかし明るい声が静寂を切り裂いた。


「うおっ」

「わっ」


二人が同時に肩を揺らす。振り返れば、両手いっぱいに包みを抱えたマッテオが立っていた。彼が運んできたのは、街の喧騒を煮詰めたような、甘い菓子と果実の匂いだ。


「ほらほら、休みなんでしょ?

 鍛錬ばっかしてたら、休んだことになんないから!」


マッテオは強引に二人の間に割り込み、包みを広げた。鋼のような黒い戦士と、透き通るような白い少女。そのコントラストを塗り潰すように、黄金色の菓子が並べられる。


「これな、港の外れの婆さんのとこで買ったんだ。『歯がなくても食える』ってのが売り文句でさ」


「……柔らかい。とけてく」


恐る恐る口にしたミレーナが、ぱっと目を丸くした。


「でしょ? ほら、こっちは西の国の干し果実。甘いぞお」


「……これは…うまいな。好みだ」


甘味好きのトゥマニが目を開き、真っ白な歯を見せ、顔を綻ばせる。


「だろ?」


マッテオは嬉しそうに笑う。


「いやぁ、屋台も色々増えててさ。

 かなり迷っちゃったよ。

 でも、この店は当たりだったな!」


最初はぎこちなかったが、やがて三人は菓子をかじりながら、ぽつぽつと話し始める。マッテオが一方的に喋り、二人がそれを聞く形だ。


「甘さは癒しだ。

 疲れるほどに、染み渡る」


トゥマニが珍しく言葉数を多くしみじみと語る。


「へぇ。

 甘さにゃ、国も民族も関係ないんだな」


マッテオは興味深そうに頷く。


「ああ。

 ……とりわけ戦場では、甘味は貴重だった」

「命が軽くなる場所ほど、甘さは重くなる」


トゥマニの何気ないひと言を、ミレーナは静かに胸の中で転がした。


「ま、まぁ…。

 食卓に幸せがあるのは最高だよな。

 これは間違いない」


喧騒から切り離された中庭で、三人はしばし、何者でもない時間を共有した。トゥマニもマッテオも、ラウロが船の上で悩んでいた存在がこの子であった事と繋がった。


しばらく、マッテオが街の話をする。港の噂、変な商人、腹を壊した話、仲間が酒場で笑いのネタになってる話、格好をつけようとしたつもりが、決め台詞を噛んで台無しになった話。



菓子が半分ほど減った頃、ミレーナがぽつりと問いかけた。


「……あの」


二人が顔を向ける。


「マスター……ラウロさんは」


少し間を置き、言葉を選ぶ。


「どんな人ですか」


マッテオが先に口を開いた。


「あー。深刻そうな人!見てる側が滅入っちゃう!」


即答だった。


「何でも真剣で、真面目に考え過ぎててさ…

 眼の下に酷い隈が出来てた時に、心配して声かけたんだよ。

 そしたらさ『お前が心配する程のものではない。人の心配する程の余裕があるのか?』て」

「心配されるぐらいの状態に見えてるから言ってるんだってばさ。

本当、そのへん勘弁して欲しいよねー」


「ふふ……それは否定できない」


トゥマニが微笑みながら低く頷く。


「マッテオの言う通りだ…。

 真面目で、誠実で… 。

 何より……逃げない」


トゥマニの断言に強い信頼が伝わってくる。

ミレーナは膝の上の菓子を見つめたまま聞いている。


「怖い人ですか?」


一瞬の沈黙。

二人は顔を見合わせ、それから慎重に言葉を選んだ。


「怖いっていうか……そう見えてしまうんだろね。

あれでも本人は怖がらせないようにしてると思うよ…多分」


マッテオが肩をすくめる。


「危険を知っている。だから、険しい空気を纏うのだろう」


トゥマニは静かに続ける。

ミレーナは顔を上げた。


「……私のことを、どう言ってましたか」


トゥマニは即答した。


「守る対象だ」


マッテオは少し考え、ニッと笑った。


「えーと、俺の言い方だと……『手放さない』かな。簡単に、切ったりしない。無責任なことしない。あの人はそういう男だよ」


ミレーナの指先から、微かに力が抜けた。


「……そうですか」


「なに?」


マッテオが覗き込む。


「いえ、ちょっと……知りたかっただけです」


三人の間に、短い沈黙が落ちる。トゥマニが無言で、干し果実をもう一つ彼女の方へ差し出した。それは不器用な、彼なりの親愛の示し方だった。

ミレーナは受け取り、小さく頷いた。


中庭を吹き抜ける風には、まだ冬の名残がある。

けれど、三人の間に流れる時間は、確かに春の暖かさを帯び始めていた。




【トゥマニ私記/覚え書き】


1449年4月 カッファ

白い少女、ミレーナ。

最初に見た時、敵か否かを測った。

敵意はなかった。

代わりにあったのは、静かな警戒と観察。

彼女は強さを誇らない。

だが、弱さを盾にもしていない。

主(ラウロ)の名を出す時、

依存でも恐怖でもなく、「判断基準」として扱っていた。


この子は、守られることに慣れていない。

それでも、守られる価値を自分で否定しない。


盾の内側に置く判断は、正しい。

守るに足る。

――以上。



【マッテオのメモ】


ミレーナって子と会った。

白くて、静かで、ちょっと不思議。

ラウロが悩んでたのはこの子だったんだな。

どんな深刻な状態なのかと思ってたけど、

ちゃんと元気にしてた。


俺が喋りすぎても引かないし、

トゥマニが黙ってても怖がらない。


ラウロのこと聞く時も、

答えを欲しがってるって感じじゃなかったな。

「確かめてる」って感じ。


ああいう子は、

無理に元気づけたり、笑わせたりしなくていい。

同じ場所で飯を食って、

同じ風に当たってりゃ、良い気がする。


それに――

干し果実を食べた時の反応、あれは信用できる。


多分、あの子、ちゃんと強くなれるよ。

また一緒に飯、食えたら良いな。

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