転生したから人生をかけて実験してみる

茶電子素

第1話 現実世界に赤子で転生

気がついたとき、俺は天井を見ていた。

いや、正確には「天井らしきぼんやりした白い何か」。

視界が妙ににじんでいて、焦点が合わない。

まるで酔っぱらいが水中から世界を覗いているような、そんな感覚だ。


「……あれ、俺、どうなってる?死んだ?」


声を出したつもりだったが、

喉から漏れたのは「ふぎゃ」という、聞き捨てならない音声だった。

……これは本格的におかしい。

だって俺から出た今の声、どう考えても赤ちゃんの声だ。


赤ちゃん。

つまり俺は、転生した。



で、今いろいろ思い出している……前世の俺は、まあ、ひどかった。

努力は嫌い、他人は面倒、世間を斜に構えて見下し、

何かにつけて「どうせ無駄だ」と言い訳しては逃げ続けた。

そのくせ、うまくいかないと「世の中が悪い」と文句だけは一丁前だった。


そんな俺が、最期の瞬間に思ったのは――

「この生き方、誰に見られても恥ずかしくね?」

という、遅すぎる反省きづきだった。


そして今、俺は赤ちゃんとして再スタートを切った。

ならば、やることはひとつ。


正々堂々と生きる。

お天道様に胸を張れる人生を、死ぬまで貫いてみる。

そしてその結果、いったいどんな現象が起きるのか――

今、この瞬間から実験開始だ!


……と、意気込んだところで、視界の端に影が差した。


「ふふ、元気な子。ほら、アキラ、抱いてみる?」


アキラ?

誰だそれは――と思った瞬間、俺の身体がふわりと持ち上げられた。

抱き上げたのは、優しげな目をした女性。

おそらく母親だろう。

その隣には、緊張した顔の男性が首を振っている。こっちは父親か。


「よし、よし……大丈夫だぞ。抱くのはまだまだ怖いが、俺が父さんだ。お前の名前は、日向陽斗ひなた はると。明るく、まっすぐ育ってほしいからだ」


陽斗。

なんだその、前世の俺の生き様と真逆すぎる名前は。

だが悪くない。

むしろ、これ以上ないほど今回の人生にふさわしいかも。


母親――日向美咲ひなたみさきは、俺を胸に抱きながら微笑んだ。


「陽斗、これからよろしくね。あなたの人生が、すくすくとまっすぐ伸びていきますように」


……なんだこの、全方位からの“真っ直ぐ育て”圧力は。

いや、ありがたいけど。

ありがたいけども。


俺は赤ちゃんの身体で、できる限りの意思表示として、泣くのをやめてみた。

すると美咲が驚いたように目を丸くした。


「泣き止んだ……! アキラ、見て、陽斗、すごく聞き分けがいいわ!」


アキラ――父親の日向晶ひなたあきらは、胸を張ってうなずいた。


「さすが俺の息子だ!」


いや、違う。

俺が勝手に“決意表明”しただけだ。

でも、こうして褒められるのって案外悪くないな。

前世では、褒められるようなことを何ひとつしてこなかったから、

なんだか胸に染みる……。



とりあえず、赤ちゃんとしての生活が始まった。

これが、意外にも想像していたより忙しい。

寝て、泣いて、飲んで、出して、また寝る。そしてまた泣く。

その忙しい合間を縫うかのように、俺はひたすら周囲を観察していた。


美咲は、家事をしながらも俺の様子をこまめに見てくれる。

晶は、仕事から帰ると必ず俺の顔を覗き込み、「今日も元気か」と声をかけてくる。

二人とも、驚くほど真っ直ぐで、誠実で、温かい。


……前世の俺が見たら、鼻で笑っていたかもしれない。

「そんなに頑張っても報われないぞ」とか、

「家族なんて面倒なだけだ」とか、

多分そんなことを言っていたはずだ。


だが今は違う……確かめてみたい。

この二人の期待に応えたらどうなるのか、どんな思いに至るのか。

この家族の一員として、胸を張って生きたら、どんな結果が待っているのか。



美咲が俺を抱きながら、ふとつぶやいた。


「陽斗は、なんだか大人みたいな目をしてるわね」


危ない。バレる?

いや、バレはしないだろうが、妙に観察されるのは困る。


俺は慌てて、赤ちゃんらしく

「ばぶ」と声を出してみた。

すると美咲は「かわいい……!」と頬を緩めた。


……助かった。

赤ちゃんの演技も、なかなか骨が折れる。



そんなある日、事件が起きた。


晶が俺を抱いていたとき、うっかり手を滑らせたのだ。

落ちる――!

と思った瞬間、俺は反射的に手足を広げ、体をひねり、

必死にバランスを取ろうとした。


赤ちゃんのくせに、だ。


晶は慌てて俺を抱きなおすと、青ざめた顔で叫んだ。


「陽斗!? お、お前、今、なんか……すごい動きしなかったか!?」


しまった。

完全にやりすぎた。

美咲が駆け寄ってきて、俺の身体を確認する。


「怪我はないみたい……よかった……でも、今の、どう見ても赤ちゃんの動きじゃなかったわよね?」


二人の視線が、じっと俺に注がれる。

俺は必死に、赤ちゃんらしい無垢あざといな表情を作った。


「……あー」


美咲は、ふっと笑った。


「まあ、元気なのはいいことよね。陽斗、これからもいっぱい動いて、いっぱい成長してね」


晶も苦笑しながら頭をかいた。


「……俺も気をつける」


危機は去った。

だが、俺は心に刻んだ。


赤子のうちは、赤子らしく。

正々堂々と生きるのは、まず“普通の成長”をしてからだ。


焦ってはならない。人生は短くも長い。

前世で怠けた分、今世は丁寧に積み重ねていくべきだ。


その夜、俺は布団の中で、ぼんやりと天井を見上げながら思った。


――この二度目の人生、きっと面白いことになる。


前世では長らく感じたことのなかった、静かな期待が胸に広がっていった。

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