クソデカため息で始まる肺活量世界大会 〜75メートル先のロウソクの火を吹き消したその向こうにあったもの〜
夜塩
突然のルール変更。欧州のお作法です。
告知があったのは、大会の1週間前だった。
肺活量世界大会。
世界政府の最高権力であるところの肺活大統領を決める、世界で最も重要な大会である。
その開催直前にもたらされた、ルール変更のお知らせ。
トロンボーンの最低音維持時間(100dB以上)で競うはずだったその試合は、ロウソクの火を吹き消せる距離で競うことになった。
ちなみに、足切りラインは2mとの通達だ。
我らが日本勢は、諦めとも呆れともつかぬため息を吐いた。
なぜなら、2週間ほど前に、そういう技能を持つ人間がフランス大王国に現れたとの情報を得ていたためである。
ルール変更の理由も、容易に想像できた。いつもの欧州ヨーロッパEU大連合のお作法である。
どういうことか?
単純な話である。
肺活量世界大会は、長らくヨーロッパ勢の天下であったが、6年前から日本や韓国を筆頭とするアジア勢の躍進により、その座は危うくなりつつあったのである。
実際、一昨年の前大会では、日本のエース田中太郎が現肺活大統領であるアンディ・マクドナルドと同率一位につけ、大騒ぎとなった。ちなみにその記録は3時間15分48秒89である。
英語の発音が良くないという理由で2位扱いとなり、惜しくも大統領の座は逃すこととなったが、彼の躍進は、アジア勢を大いに勇気付けたのであった。
さて、今年の大会はと言うと。
現肺活大統領アンディ・マクドナルドが生活習慣病健診に引っかかったことから引退するとのニュースが流れて半年。
前回とは比較にならないほど鍛え上げられた日本のエース田中太郎に続き、彼に負けるとも劣らぬ肺活量を持ち、しかも英語の発音も素晴らしいというルーキー佐藤三郎が参加することから、今回こそは優勝もありうるのではという期待が高まっていた。実際、ここ数週間はニュースもバラエティも、国営放送スペシャルも、その話で持ちきりだったのである。
そんな中でもたらされた、ルール変更のお知らせ。
今頃、ヨーロッパを除く世界中が頭を抱えていることだろう。
日本勢は、事前に仕入れていた情報から察してはいたが、やはり改めてそれが現実になると、ため息を吐かざるを得ないのだった。
ちなみにそのため息は、田中太郎が7時間57分12秒35、佐藤三郎は7時間57分10秒22もの長さであった。
それよりも、ルール変更である。
相手は、凄まじい体躯を持つ、まさしく巨人であり、力任せに吐き出した空気で10m先のロウソクの火を消したのだと言う。しかも、まだ本気ではないらしい。
その名はルイ・アンバーガー。大アメリカ民主主義人民共和国の圧政から逃れ移住してきた新興貴族の若旦那である。
その規格外っぷりに、さすがの田中も佐藤も一時は絶望的な気持ちになったりもしたのだが、我らが日本勢の頭脳である肺活花子医学博士が奇策を編み出したのであった。
肺活博士の2週間にわたる訓練により、エース田中太郎とルーキー佐藤三郎は、すでにその10mの記録を超えることに成功している。
なお、日本勢の諜報員たちが報告するところによれば、この奇策に行き着いた国は他にはなさそうであった。
つまり、この大会は実質、フランス大王国アンバーガー家の若旦那と、我らがエース田中、そしてルーキー佐藤の戦いとなるのだ。
勝利への決意を胸に、日本勢は飛び立った。肺活量世界大会の開催国、ドイツ第五帝国フィンランド自治区に向けて。空港に押しかけた1万人を超えるファンたちによる120dBもの声援を背に。
蛇足だが、肺活花子医学博士が最近難聴気味になっているのは、耳栓を忘れてこういった声援に晒されたためだと噂されている。
◆◆◆◆◆
多くの国が棄権したことから、開催日程は大幅に短縮された。
当初1ヶ月間にわたって開催される予定であった本大会は、ルール変更による1試合の所要時間短縮もあって、たった3日で行われることとなったのである。
無謀にも出場した国々の代表が、低酸素による意識混濁で倒れていく中、我らがエース田中とルーキー佐藤は順当に勝ち上がっていく。
試合形式は次のとおりだ。
一定距離に置かれているバースデーケーキ風燭台の上でゆらめく火を、吹き消す。消せなかった者は脱落。たったそれだけの単純なルールだ。
2人で順番に挑戦し、両方とも吹き消すことができれば、ロウソクまでの距離を伸ばす。2 mから始まり、どちらかが脱落するまで、1 mずつ距離を伸ばしていくのだ。
多くの代表選手たちが、力任せに空気を吐こうとする中、日本勢の戦略は全くもって異なっていた。
エース田中が大きく息を吸う。腹が大きく大きく膨らむ。
ここまでは、他の連中と同じだ。
だがここで、田中は他とは違う動きをする。とても短い時間で、腹筋に力を入れ、細く絞った口から、極めて鋭く空気を放つのだ。ボン、と音が聞こえてくるほどの瞬間的な動作である。
何をしているのか? 皆も見たことがあるだろう。空気砲というものを。吹き出した空気が、輪っか状の渦となって、どこまでも遠くへ飛んで行く。そんな光景を。
日本勢の戦略は、この空気砲と同様な空気の渦を作り出すというものだったのだ!
求められるのは、極めて強力な腹筋と、精密に調整された空気の流れ。エース田中とルーキー佐藤は幸いにも、その両方の技能に適性があった。
結果、他の選手が次々に倒れる中、2人は顔色ひとつ変えずに何十回もの挑戦をこなすことができたのである。
そうしてあっという間に時間は過ぎて、いよいよ最終決戦となった。
これまでの戦績で、2m先のロウソクなど余裕で消してきた、田中太郎と佐藤三郎、そしてルイ・アンバーガー。どう考えても長期戦が予想される。
そこで、実行委員たちは、勝負を早くつけるため、提案をしてきた。
それが、極端な設定から開始する、というものだ。
手始めに、と設定された第1戦目のロウソクまでの距離は、実に、50mもあった。
流石に少し驚く田中と佐藤であったが、ルイの方は全く驚く様子がない。おそらく、そういう手筈になっていたのだろう。
先行はルイ。
その巨躯が、さらに数倍に膨れ上がり、凄まじい体積の空気が溜め込まれる。
続いて発射された嵐のような呼気によって、火はあっという間に吹き消された。
勝負あった、と、誰もが思った。
しかし、我らがエース田中とルーキー佐藤もまた余裕であった。
大きな風を起こしているわけでもないのに、ロウソクの火は確かに消えたのだ。
空気砲の原理を知らないものたちは呆然としていたが、いわゆるズルをしていないことは、明らかである。
そうして勝負は続き、ロウソクまでの距離は、55m、60m、65mと伸びていった。
しかしそれでも勝敗が付かず、いよいよ次は70m、となった、その時だった。
実行委員たちが、休憩を提案してきたのである。
従う以外にないので、全員が休憩し、そして勝負が再開されたのだが、何やら様子が異なる。
よく見ると、ロウソクの前に、マイクスタンドのようなものが置かれている。
まるで板でも固定しているかのような外見だが、田中たちにはもちろん、会場中の誰が見ても、そこには何もないように見えた。もちろんそのスタンド自体も、ロウソクを隠すような高さではなかった。選手たちから見ると、ちょうどロウソクの手前にあって、すこしばかり目障りなだけであった。
問題は、ないはずである。
まず、田中が挑戦した。
大きく息を吸い、鋭く吐き出す。
空気の渦が飛んでいき、ロウソクの火は消えた。
審判たちから残念そうなため息が聞こえてくるが、田中は気にしない。
試合続行のため、ため息は20分後に打ち切られた。したがってこの日の審判たちのため息長さの公式記録は20分00秒00とされている。
続いて、佐藤が挑戦した。
田中と同様、大きく息を吸い込み、鋭く吐き出した。
空気の渦が飛んでいき、ロウソクの火が……消えなかった。
佐藤は目を見開いた。
今の一撃は、確実に当たっていたはずである。
田中と思わず顔を見合わせた。
一体何が起きたというのだろう。
何やら邪魔されたような気もしたが、勝負は勝負であり、脱落は、脱落である。
ルーキー佐藤は異議を申し立てず、その記録は65mとなったのである。
さて、今度はルイが挑戦した。
凄まじい呼気が放たれるが、70m伝搬する間に勢いは衰え、ロウソクの火はそう簡単には消えてくれそうにない。
だが、何度かゆらめくと、火はふっと消えたのであった。
その時だ。
田中は気づいた。
火が一定周期で左右に震えていたのだ。
そして、本当に一瞬であったが、ロウソクの前に、きらりと光る棒状のものが見えたのであった。
スタンドの先端には、透明な棒が取り付けてあったのだ!
空気の屈折率とほぼ同じ材質で作られた棒が、空気砲の威力を拡散させてしまったので、ルーキー佐藤は脱落してしまったのだ!
一方で、ルイの呼気は連続的であったので、力が多少拡散されても、棒の背後に回り込んだ空気により、ロウソクの火を消すことができたのである。火が左右に揺れていたのは、いわゆるカルマン渦だったのだ!
田中は、自身の幸運に驚愕した。
スタンドが目障りで、先の挑戦の瞬間、ほんの少しだけ意識が逸れていたのだ。
空気砲はわずかに中心を外れ、形を崩されながらも運良くロウソクの火を消すだけの力を残していたのであった。
そして、ロウソクはいよいよ、75mの距離まで移動された。
点のようにしか見えないロウソクの前に、今度はスタンドが2本。
エース田中は唇を噛んだ。
この位置に棒があるとすれば、空気砲は確実に拡散され、火を吹き消すことはできない。
今度はルイが先行だった。
ルイはこれまでにないほど大きく空気を吸い込み、一瞬、立ちくらみを起こしかけたような様子であったが、それでも、凄まじい勢いで空気を吐いた。吐ききった。
猛烈な風は、どんどん弱まり、75m先に届く頃には、そよ風ほどの力も残っていなかった。
そして、ロウソクの火は……消えなかった。わずかに揺らめいたが、消えることはなかったのである。
審判たちに緊張が走った。
なぜなら、今の一撃のあと、ルイが膝をついてうずくまってしまったからである。彼はもう限界だったのだ。
皆の視線が、エース田中に集まる。
もし、ここで田中が火を消すことができなければ、一昨年の大会と同じ運命を辿る。
同率一位なので、英語の発音のことを指摘されて、2位に落とされてしまうのだ!
英語の練習はしてきていたが、相手は純粋な英語話者。勝てるはずがない。
エース田中は、呼吸を整え、心を落ち着けた。
どうすれば、いいのか。
数秒の思案ののち、田中の目に、強い光が宿った。
エース田中は、思い切り大きく、息を、吸い込んだ!
観客たちは、息を呑む。
そして、彼らは聞いた。
美しい、声を。
朗々とした低音ボイスが、何かのメロディを、紡いでいる。
教養のある観客は、それが何かを理解した。
声は次第に次第に大きくなり、会場全体が、打ち震え始める。
観客は、息をするのも忘れて、聴き入っていた。
これは、タンホイザーの、巡礼の合唱である!
そして、150dBの主旋律が、田中から放たれた!
純粋なアカペラであり、しかも合唱であるはずのところを独唱である。
しかし150dBを超える田中の歌声は、会場全体を震わせ、多様な倍音をともなって響き渡った。さながら合唱であるかの如く。
あまりの美しさと声量に圧倒され、会場のすべての人間は身動きひとつできずに、田中太郎という人間を味わっていた。
不条理なルール変更や仕掛け、妨害を受けていた彼から放たれる、純粋なる美の歌声は、人々に、大切なことを、思い出させていた。
肺活量は、何のためにあったのか、ということを。
佐藤三郎が、歌い始めた。
ルイ・アンバーガーが、歌い始めた。
脱落した選手たちが、審判が、応援団が、観客が、野次馬が、難聴気味の肺活花子医学博士が、糖尿病のアンディ・マクドナルドが、歌い始めた。
そうだ。肺活量は、美しい歌を歌うために、あったのだ!
会場の天井は宙を舞い、壁は吹き飛び、数百dBの歌声は、地の果てをこえて、どこまでも伸びていった。
全人類による巡礼の大合唱は、高らかに宣言した。すべての人間の罪が赦されたことを。ここにタンホイザーはいないということを。
そして、次期肺活大統領が、我らがエース田中太郎であることに異議のあるものは、もはや誰1人いないのであった。
ちなみに、75m先に置かれたロウソクの火は、とうの昔に消えていた。
ハッピーバースデー、人類。
クソデカため息で始まる肺活量世界大会 〜75メートル先のロウソクの火を吹き消したその向こうにあったもの〜 夜塩 @broadleafofT
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