第12章 問いの所在
面会の時間は、これまでで一番長かった。
職員は「次は最終段階に近い」と言った。最終、という言葉の意味は説明されなかった。説明されなくても、避けられないものだということだけは分かった。
部屋は静かだった。白い壁と、二脚の椅子。向かい合う形ではない。少し角度をずらして置かれている。視線を合わせることも、外すこともできる距離だった。
彼女は、すでに座っていた。
「来たね」
「うん」
それだけで、十分だった。
しばらくは、いつも通りの会話をした。外の天気のこと、帰り道の工事のこと。どれも、特別じゃない話だ。特別じゃないことが、逆に際立っていた。
沈黙が落ちる。
彼女は待っていた。
分かっている、という顔で。
「僕から、話しておきたいことがあってさ……」
自分の声が、思ったよりも落ち着いて聞こえた。
「うん」
促すでも、遮るでもない。ただ聞く準備が整っている声だった。
「事故の前の夜」
一度、息を吸う。
「コンビニから帰る途中で、少し話をした」
彼女は首を傾げた。
「なんでだろ。覚えてない」
「そうだと思う」
その答えに、動揺はなかった。確認に近い。
「その夜が、最後のバックアップの翌日だったから」
彼女は、静かに理解したようだった。
「だから、今の私は知らないんだね」
少し間を置いて、続ける。
「あのとき、君は僕に聞いたんだ」
ここで、初めて視線を合わせた。
「もし明日、大切な人がそうじゃなくなったらどうする、って」
彼女の表情が、わずかに変わった。驚きというより、初めて自分の過去の輪郭に触れたような反応だった。
「……それで?」
「僕は、寂しいって答えた」
言い切ったあと、部屋が静かになった。
「変な答えだったと思う」
そう付け加えると、彼女は首を振り
「ううん」
短く否定して、続ける。
「それが正直な答えだったんでしょ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩んだ。
彼女は、少し視線を落としてから、話し始めた。
「じゃあ、次は私の話だね」
それは、確認ではなかった。決めていた言い方だった。
「私は、昔、家族を事故で失ってる」
その言葉を、彼女は淡々と口にした。感情を抑えているのではない。もう整理された事実として、そこにあった。
「それでそのあと、バックアップから復元された家族と暮らしたこともある」
その言葉に、何も返せなかった。知らなかった、という事実が、ここで初めて形を持つ。
「一緒に食事して、話して、今の私たちよりずっと普通の生活だったよ」
彼女は少しだけ笑った。
「周りから見たら、たぶん幸せだったと思う」
少し間を置く。
「でもね」
声のトーンは変わらない。
「私は、最後に離れることを選んだ」
理由は語られなかった。正当化もしない。
「後悔は、してない」
その一言は、はっきりしていた。
「だから」
彼女は顔を上げて、こちらを見た。
「あなたにも、同じ答えを渡すつもりはない」
それは、突き放す言葉じゃなかった。
「私の過去は、私のもの」
「あなたの選択は、あなたのもの」
ゆっくりと、言葉を置く。
「同じ道を選ばなくてもいい」
「違う道を選んでも、それは否定じゃない」
彼女は、少しだけ間を取って、続けた。
「私は、選んだ」
「今度は、あなたが選ぶ番」
それは、命令でも、誘導でもなかった。
ただ、問いを返す行為だった。
あの夜と、同じように。
ドアの向こうで、人の気配がした。時間が近い。
立ち上がる。彼女も立つ。距離は、近い。
触れそうで、触れない。
「ねえ」
最後に、彼女が言った。
「もし、あなたが、私と違う選択をしても」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「それでも、私はそれを受け入れる」
僕は自然と頷いていた。
答えは、まだ出ていない。
でも、逃げないことだけは決まっていた。
ドアが閉まる。
廊下を歩きながら、あの問いが、頭の中で繰り返された。
『明日、大切な人がそうじゃなくなったらどうする?』
問いは、完全にこちら側へ渡された。
次に進む場所で、
それに答えなければならない。
それだけが、確かだった。
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