第4章 通知

 封筒は、思っていた以上に重みを感じた。


 指で縁をなぞると、紙が擦れる音がする。宛名の文字は整っていて、癖がない。誰かの手書きというより、機械に近い印象だった。知らない名前の差出人は、知らないままでいい気がした。


 開けるまでに、少し時間がかかった。ためらっていた、というほどのことでもない。ただ、今はまだ、何かを増やしたくなかった。


 中には、案内状が一枚と、薄いカードが入っていた。


 案内状は簡潔だった。用件、日時、場所。丁寧な言葉遣いで、余計な説明はない。


《ご登録内容に関するご案内のため、来所をお願い申し上げます》


 登録、という言葉に、わずかな引っかかりを覚えた。

 何の登録なのかは書いていない。書いていないことが、逆に気になった。


 カードには番号とQRコードが印字されている。裏面には、小さな文字。


《本人確認のため、当日は身分確認書類及び本カードをご持参ください》


 文字が少しだけ現実から浮いて見える。


 行く理由も、行かない理由も、今の僕にはどちらもない。


---


 結局、指定された日時に、その場所へ向かった。


 駅から少し離れたところにある事務所ビルだった。新しくも古くもない。入口の案内板には、会社名が並んでいる。


 その中に、見覚えのある言葉があった。


 人格保存・復元サービス。


 一瞬、足が止まりかけた。


 知っている言葉だった。ニュースでも、広告でも見たことがある。ただ、それはいつも、画面の中の話だった。現実と接続されることは、想定していなかった。


 受付でカードを差し出すと、職員は端末を操作し、静かに頷いた。


「確認できました。こちらへどうぞ」


 案内された部屋は白かった。机と椅子だけが置いてある。窓はない。閉じられている、というより、最初から必要とされていない感じだった。


 しばらくして、別の職員が入ってくる。年齢は分からない。声も表情も、意図的に記憶に残らない。


「本日は、お越しいただきありがとうございます」


 書類が机に置かれる。僕の名前が、正しく印字されている。


「まず確認させてください。こちらの方とのご関係は」


「……恋人です」


 一瞬だけ、間があった。

 それから職員は、画面を見て頷いた。


「登録上の情報と一致しています」


 形式的な言葉が、思ったよりも強く響いた。


「本日お呼びしたのは、ご本人が生前に行っていた登録について、ご説明するためです」


 生前、という言葉には、もう慣れていた。慣れてしまっていることの方が、少し怖かった。


 職員は続けた。


「ご存知かとは思いますが、こちらの方は、定期的に人格バックアップを行っておりました」


 一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。


「……え?」


 声が、思っていたよりも低く出た。


 驚いた、というより、確認したかった。聞き間違いじゃないか、と。


 僕の様子を見てやや驚き混じりの反応を示す職員ではあるが、すぐに表情を戻して、同様の説明を再開した。


「事前にご本人の同意のもと、定期的に保存されています」


 知らなかった。

 本当に、何も知らなかった。


 いつからかも、どれくらいの頻度かも。

 なぜ自分に言わなかったのかも。


 疑問はいくつも浮かんだのに、どれも言葉にならなかった。喉の奥で、引っかかって消えた。


 驚きよりも先に、別の感覚が来た。


 もう本人に聞けないんだな、という理解だった。


「そして緊急時の連絡先として、あなたのお名前が登録されています。優先順位は第一です」


 第一、という言葉に、理由を探そうとしてやめた。理由があったとしても、それを確認する相手はいないのだから。


「規定により、復元の可否については、登録された連絡先の方にご判断をお願いしています」


 判断、という言葉で、ようやく話が自分のところに来た気がした。


 紙が一枚、差し出される。


 復元の希望:する。しない。


 選択肢は、それだけだった。


 あの夜の会話が、唐突に思い出された。


 明日、大切な人がそうじゃなくなったらどうする?


 そのときの自分の声も、はっきり覚えている。


 寂しいよ。


 職員は待っている。急かさない。こういう場では、沈黙も手続きの一部なのだろう。


「……少し、考えさせてください」


「承知しました。今回は生前のご本人の意向により、期限は設けておりませんので、ごゆっくりとお考えください」


 出た先の廊下は相変わらず静かだった。


---


 受け取った資料を握って外に出た。


 変わらず街は動いている。信号が変わり、人が歩き、車が通る。何も止まっていない。


 彼女は、ここまで準備していた。


 知らなかった。

 けれど、知ってしまった。


 握る手に、少しだけ力が入った。


 考える時間は、いくらでもある。


 そう思いながら、僕は駅へ向かった。

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