第四話 御手洗博士、最後の一手
「はぁ~、疲れた……」
対策室を後にした御手洗は、日比谷公園のベンチに座り『神の右手』を眺めていた。
ここからでも、その巨大な指先が見えた。あの手が出現してから、もう一年以上が経つ。季節は巡り、再び夏が来ようとしていた。
「……旅に出よう」
御手洗は独り言ちた。
どこか、あの手が見えないところへ。北海道でも、沖縄でも、いっそ海外でも――そう思った瞬間、彼の脳裏に稲妻が走った。
「見えない……そうだ、見えなければ!?」
御手洗は跳ね上がるようにベンチから立ち上がった。犯行現場の何気ないものからヒントを得る名探偵のように、あるいは風呂に入っていて浮力の原理を発見した古代ギリシャの学者のように、御手洗の中で何かがカチリと音を立てた。
「そうだ、そうだったんだ! 答えはこんなに手近なところにあったのだ!」
彼は走り出した。虎ノ門の対策室へ。まだ辞職は正式に受理されていないはずだ。やれることは、まだある。
対策室に駆け込んだ御手洗を、スタッフたちは驚いた顔で迎えた。
「博士、どうされたんですか?」
「新しい作戦だ!」
御手洗は息を切らしながら叫んだ。
「『見えなくする作戦』。正式名称は『視界遮断による認識的消去作戦』。略して『手隠し作戦』だ!」
「は?」
「いいか、よく聞け」
御手洗はホワイトボードにマーカーで図を描き始めた。
「我々は一年間、あの手を『どうにかする』ことばかり考えてきた。破壊する、追い返す、理解する――すべて、手に対して何かをしようとしてきた。しかし発想を変えるんだ。手をどうにかするのではなく、手を『なかったこと』にする」
「なかったこと…ですか?」
「そうだ。見えなければ、ないのと同じだろう? 観測できない素粒子と同じだ。存在するかもしれないが、観測できなければ、我々にとっては存在しないのと変わらない」
若手研究員が手を挙げた。
「でも博士、どうやって手を見えなくするんですか? あれは巨大すぎて……」
「壁だよ、壁。あの手をすっぽり囲む壁を作る。そして上空も飛行禁止にする。衛星からの観測も遮蔽する。完全に、誰の目にも触れないようにする」
「それで……問題が解決するんですか?」
「解決はしない」
御手洗はニヤリと笑った。
「でも、問題が見えなくなる。見えなければ、人々は忘れる。忘れれば、怖くない。怖くなければ、パニックにならない。つまり、社会的には『解決した』のと同じことだ」
会議室がざわついた。
「それは…問題の先送りでは……」
「もちろん先送りだ。だが、考えてみたまえ。我々にできることは、もうそれしかない。手と戦うことはできない。手を理解することもできない。ならば、手のことを考えないようにするしかないだろう?」
御手洗の目には、狂気にも似た輝きがあった。
「昔の人は言った。『臭いものには蓋をしろ』とね。今回は『怖いものには壁を作れ』だ!」
「手隠し作戦」は、前代未聞の大規模プロジェクトとなった。
まず、大手町一帯を完全に覆う巨大な壁の建設が始まった。高さ六百メートル、周囲三キロメートルに及ぶ円形の壁。まるで古代の城塞都市のようだった。
日本中の建設会社の支援を受け、歴史的国家プロジェクトが始まる。彼らは手に汗握る思いで、巨大な手から慎重に距離を取りながら、少しずつ壁を組み上げていった。
「おい、もうちょっと右だ右! 手に当たるぞ!!」
「わかってるよ! でもこれ以上右に寄ると、今度は読売新聞のビルに当たる!」
「どっちも当たるな! 手際よくやれ!」
現場は毎日がドタバタだった。
工事は昼夜を問わず続けられた。作業員たちは三交代制で、休むことなく壁を組み上げていった。
そして三か月後――ついに壁が完成した。
巨大な円筒形の構造物が、『神の右手』を完全に覆い隠した。外から見ると、ただの巨大な白い円筒――まるで未来的な給水塔のようだった。
「よし、次は上空の封鎖だ!」
御手洗は手を打った。
航空法が改正され、壁の上空五千メートルまでが完全な飛行禁止区域となった。民間機はもちろん、報道ヘリも、ドローンも、一切の飛行が禁じられた。
「でも博士、衛星からは見えてしまいますよ」
「それも対策済みだ」
御手洗はにやりと笑った。
「アメリカ、ロシア、中国、EU――主要国すべてに働きかけて、この区域の衛星観測データを『ノイズ処理』することで合意を取り付けた。もちろんGoogleを初めとする民間会社にもだ。つまり、衛星から見ても、ただのモザイク画像にしか見えない」
「そんなことが可能なんですか?」
「可能だよ。各国とも、パニックの拡大は望んでいない。それに……」
御手洗は窓の外を見た。
「人間というのは、見えないものは簡単に忘れる生き物だからね」
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