第二話 御手洗博士、手を焼く
この未曽有の事態に対し日本政府もただ手をこまねいていたわけではない。官邸は即座に「『神の右手』対策委員会」を設立。その責任者として、異端の物理学者であり、超常現象研究の第一人者、
五十三歳。東京大学理学部卒、MIT留学、ノーベル物理学賞候補に三度名前が挙がった天才科学者。専門は量子力学と異常現象研究。趣味は盆栽と落語鑑賞。好物は納豆。
「なぜ私なんです?」
官邸で辞令を受け取った御手洗は、総理大臣に問うた。
「君しかいないからだよ、御手洗君」
総理は疲れた顔で答えた。
「名前だよ、名前。御手洗――『お手洗い』。手の対策をするのに、これ以上縁起のいい名前があるかね?」
「それはただの駄洒落では……」
「駄洒落だろうが何だろうが、国民が納得すればいいんだ。『手』の問題を『御手洗』が解決する。完璧じゃないか。貴殿の手腕に期待していますよ」
「は、はぁ……」
御手洗博士は深くため息をついた。この国の政治家たちの思考回路には、いつも手を焼かされる。だが、せっかく任された大役だ。ここは今までの研究成果を存分に発揮する見せ場とせねばと博士は腹をくくる。
「お任せください。私の手にかかれば、神の手ごとき、すぐに空へお帰り願いましょう」
ニヤリ、不敵な笑みを浮かべ、御手洗博士は、分厚い眼鏡を押し上げた。
対策室は虎ノ門の仮設庁舎に置かれた。そこから大手町まで車で十分足らず。窓からは『神の右手』の中指の先端が見えた。
集められたスタッフは、物理学者、工学者、心理学者、言語学者、宗教学者、それに自衛隊の特殊部隊まで、総勢二百名。まさに手に手を取って問題解決に当たる体制だった。
「では、第一回会議を始めます」
御手洗がホワイトボードの前に立った。
「まず、我々が直面している問題を整理しましょう。
一、巨大な手が空から出現した。
二、その手は動かない。
三、触れたものを破壊する。
四、帰る気配がない。
以上です」
「博士、それは整理というより、ただの事実確認では……」
若手研究員の一人が手を挙げた。
「細かいことは気にするな。さあ、手始めに何をすべきか、意見を出してくれたまえ」
会議室は喧々諤々の議論となった。
「物理的に破壊すべきです!」と主張する工学部教授。
「対話を試みるべきだ!」と叫ぶ言語学者。
「いや、祈りを捧げれば……」と提案する宗教学者。
御手洗は額に手を当てた。これは、予想以上に手強い。意見を一つにまとめるだけでも手を焼きそうだ。ならば、ここはリーダーである自分が判断せざるを得ないだろう
「まずは、お手並み拝見といこうか……。諸君、とりあえず、ぶつかってみようではないか、物理的に!」
ということで、最初の作戦は「物理的排除作戦」となった。
一週間後――自衛隊の精鋭部隊が、最新鋭の兵器を持って大手町に集結した。戦車、ヘリコプター、ミサイルランチャー――まるで戦争映画のセットのようだ。
「目標、『神の右手』。攻撃開始!」
号令とともに、一斉射撃が始まった。
ずごごごぉごーーーん!
ミサイルが手のひらに命中する。爆炎が上がる。煙が晴れる。しかし――
「無傷…だと……」
地上の現場を指揮していた茂手木一等陸佐の口から驚きの声が漏れ出た。
『神の右手』は血が出るどころか、かすり傷一つついていなかった。
「く…、こうなれば、奥の手を出すしかない!」
万一のことを考え準備していた開発中の指向性エネルギー兵器を使用する。しかし、これが手痛いミスとなった。
秘密兵器から発せられた高出力レーザーが『神の右手』へと命中した途端、その手が暴れたのだ。蚊か蜂にでも刺されたかのように手は空中で暴れ回った。その動きで、かろうじて残っていた大手町ビルが次々と薙ぎ倒される。
最悪だったのは、手の平が大手町プレイスを弾き飛ばした瞬間だった。高さ百メートル超のビルが、まるでおもちゃのブロックのように空中を飛び、そして――
ドゴォォーーーォン!
皇居の堀を越え、吹上御苑に突き刺さった。
「うぎゃああぁぁあぁっ!」
御手洗は対策室で頭を抱えた。
「やめろ! 手を引け! これ以上は、手が後ろに回る事態になるぞ!!」
現場は大パニックに陥った。物理攻撃は完全に逆効果。まさに飼い犬に手を噛まれるような結果となった。
翌日の新聞の見出しは「『神の右手』、皇居を手玉に取る」だった。御手洗は新聞を見て、また頭を抱えた。
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