8章:亞の字
当初、ジェフの容疑さえ晴らせればよいと考えて請けた仕事であったが、事態はそう簡単に済む話ではなかった。
マンションに戻ったわたしは改めて5人分のファイルを広げ、次にコンタクトを取るべき人物を見定めようとした。
「エレク、次は誰にするの? 私だったら……」
アリカが無邪気なトーンで質問するが、状況はそれどころではない。
「私だったら、次はこの人かなぁ?」
そう言って指し示したのはヨシオという男だった。
日系4世にあたる人物で、キモノという特徴的な民族衣装を纏う、その界隈では有名なスモーレスリングの格闘家であった。彼が起こした数多の傷害事件はともかく、彼がいつも着用しているキモノには大きく十字架が描かれているのだ。
「十字架……」
手がかりは多いに越したことは無い。わたしはヨシオの住所を検索するとレンタルモービルを手配した。この男が住むエリアは地下鉄が通っておらず、お世辞にも治安が良いとはいえないため、モービルのほうが都合がいいと判断したためだ。
今回訪れる場所は人間の割合が多く、我々としてはパワーバランスに欠く地区。身の安全を考慮しアリカの同行をやんわりと断ろうとしたが、彼女に押し流されて結局2人でロングドライブする羽目になった。
「車……。久しぶり」
「フフ、随分とクラシックな言い方をするね。ここ50年は“オートモービル”だよ」
自動操縦に任せること3時間。
ヨシオのジムに着いた我々は、まず人間を刺激しないことを第一に静かに入口の呼び鈴を押す。暫くの沈黙のあと、ズシズシと響く足音と共に現れた巨漢の男。
「あなたがヨシオ・カクさんですね」
「ドチラサマですか?」
「アンドロイド調査員のエレクと申します。少しお話を……」
ヨシオは巨体に見合わず小心者らしく、脈拍センサーがその高まりを検知した。瞳孔も少し開き、脳波にも乱れが生じている。わたしはアンドロイドの勘ですぐさま容疑者からこの人物を除外した。
「十字架の服、似合ってますね!」
アリカが不意に声をかける。ヨシオの脈が一気に160まで上がった。
わたしは一応、テンプレ的な質問をしてみることにした。
「そのキモノ、シンボリックなデザインがとても美しいですね」
こちらの問いが意外だったのか、ヨシオは急に緊張がほどけたようで表情からもそれが見て取れた。
「驚かせないでください、あなた方も事情聴取に来たのかと思いました」
「いえ、事情聴取です」
今度は178まで脈拍が上がる。
このままでは可哀想だと思い、静かに助け舟を出した。
「そのキモノのデザインについて、何か知っていることはありますか?」
「自分はアジア地区からの移民で、漢字という文化が好きだから……。
そう、それだけです」
「カン…ジ?」
怪訝そうに尋ねるわたしにヨシオはひょいと背中を向けてこう言った。
「背中の字は ア・ジ・ア という漢字です。亞細亞、って読めますか?」
キモノの文様をスキャンすると、それはアジア圏で用いられている文字、漢字であることが判明した。十字架ではない、亞の字だったというワケだ。
「こ、これは大変失礼いたしました……!」
周囲を見渡すと、いつの間にか野次馬ができていた。
これ以上の長居はトラブルの原因になりかねないと判断し、わたしはアリカをモービルに押し込みその場を退散した。
つづく
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