〇日記
―あの人は、他の人たちと違った。
「あの人」に関する記述の最初にそう書かれていた。
――大久保公園に来る人って、だいたい似たような感じ。
――目つきが悪かったり、服が汚れてたり、触り方が乱暴だったり、臭かったり。
ページを進めると、具体的な描写が増えていく。
――でも、あの人は違った。
――靴がきれいだった。
――コートも、小物もブランド物で、嫌な臭いもしなかった。
私は、そこで一度読むのを止めた。
妙に細かい。
覚えている、というより、大切に保存しているような書き方だった。
――顔に、少しだけ傷がある。
――左の頬。笑うと引きつるみたいになる。
――最初は怖かったけど、見慣れると気にならなくなった。
傷。
その一語が妙に胸に残った。
――その傷のことを聞いたら、
――「昔ちょっとね」って笑ってた。
――それ以上は言わなかった。
――でも、無理に聞かない方がいい気がした。
――あの人は、たぶん優しい。
優しい、という言葉が、何度も出てくる。
――ちゃんと目を見て話を聞いてくれた。
――私の家のことも、親のことも、学校のことも。
――「大変だったね」って言ってくれた。頭を撫でてくれた。
私は、ノートを握る手に力が入っているのを自覚した。
この男は、娘に何をしたのか。
それとも何もしなかったのか。
――帰るとき、
――「無理しなくていいから、いつでも俺に言ってね」って言われた。
――それが、すごく嬉しかった。
――たぶん、私のこと、ちゃんと人として見てくれたんだと思う。
ページの端が、少しよれている。何度も読み返された跡だった。
私は、ようやく理解した。
この日記は記録ではない。
これは、恋文だ。「あの人」に向けた、返事の来ない恋文。
その男の顔は、私の中で、もうぼんやりと形を持ち始めていた。
――身なりがよくて、
――顔に傷があって、
――娘の話を、否定せずに聞き、逆に甘い言葉を吐いた男。
そんな男が、娘を壊したのだとしたら。
そう思ってしまった瞬間、私はもう、このノートを閉じることができなくなっていた。
娘を買い、消費し、そして捨てた男を呪った。
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