第2話 あなたたちのデートに付き合う気はない
金曜日の午後、プロテスタント系の女子高の教室は、授業が終わった解放感でざわついていた。
凛華はショートカットのボーイッシュな黒髪を揺らした。かつての長いポニーテールを切り落としたのは、冬を前にした自分なりの決別だった。鋭い目つきはいつものように「近寄るな」と周囲に警告を発している。彼女を形作る「凛華マインド」――筋金入りのテーソー観念――は、今日も彼女の背筋を冷たく支えていた。少しでも自分を変えたいと願って髪を切ったはずなのに、結局、守るべきマインドは変わらない。むしろ、この短く切り揃えられた髪が、以前よりも強固で鋭い「新しい盾」のように感じられていた。
そんな凛華の机の前に、突然、
「ねえねえ、ねえねえ……」
美咲が、まるで飼い主にじゃれる子犬のようにはしゃぎながら声をかけてきた。凛華は眉をひそめ、冷たく切り返した。
「『ねえねえ』が多い。何の用?」
美咲はそんな凛華の態度をまるで意に介さず、にこにこしながら話を続けた。だが、その爛漫な笑顔の裏には、ほんの少しだけ狡猾な企みが隠れていた。(凛華のガード、ちょっとでも緩められないかな……)美咲は、凛華の頑なな「凛華マインド」をどうにかしたいと思っていた。親友として、凛華が自ら高い壁を築き、孤独の中に自分を閉ざしているのが、なんだか寂しく、そしてもどかしかったのだ。
「凛華、明日はどうするの?」
凛華はカバンのジッパーを引きながら、そっけなく答えた。
「予備校がないから、野毛山通りの横浜市中央図書館に行こうと思ってるの」「え、いいな!私も一緒に行っていい?」
美咲の目がキラキラと輝いた。凛華は一瞬、何を目論んでいるのかと怪訝な顔をしたが、追い払う手間を考えてため息をついた。
「いいけどさ、邪魔しないでよ?……当然だけど、恋バナとかしないでね!」「しない、しない!」
美咲は調子よく手を振って笑い、凛華は渋々うなずいた。だが、美咲の頭の中では、すでに別の計画が毒のように動き始めていた。(凛華、ちょっと刺激を与えてみるよ。その固い殻、私が破ってみせてあげる)凛華の胸に、正体の知れない不安がよぎった。美咲のこの過剰な笑顔には、何かを企んでいる気配がまとわりついている。
「じゃあ、いいわよ」
美咲はさらに勢いづいて、スマホを手に持ったまま話を続けた。
「それでさ、それでさ、桜木町駅から映画館の横浜ブルク13近いじゃん?勉強終わったら、息抜きに映画でも見ない?」
凛華は眉をひそめた。暗闇で他人の気配を感じながら座り続ける映画館は、今の彼女にとってあまり好ましい場所ではなかった。
「え~……何が上映されてるかによるわね」
美咲はスマホをいじりながら、楽しそうに画面をスクロールした。彼女はわざと、凛華が最も嫌悪しそうなロマンス映画を最初に提示してみた。
「え~っとね、え~っとね……『ストロベリームーン』?」凛華は即座に顔をしかめた。「却下!題名からして吐き気がするわ。却下!」
美咲はくすくす笑いながら、スマホをさらにいじった。(やっぱりね、こうなると思ったよ。じゃあ、もうちょっと凛華の好みに寄せてみるか)
「じゃあね、え~っとね……『ラスト・ブレス』?『沈黙の艦隊』?」
凛華は少し考えて、答えた。
「……『ラスト・ブレス』だね。プレビュー見たよ。飽和潜水士の実話の話でしょ」
美咲は目を丸くして、スマホの画面を見ながら、あえてさらに食い下がった。
「『ストロベリームーン』、『余命半年の恋』だよ?本当に見たくない?『余命半年と宣告された日、生まれて初めてあなたに恋をした』だってさ。素敵じゃん」
凛華は一寸の迷いもなく一蹴した。「興味なし!」「ダメ?」
美咲が少し拗ねたように唇を尖らせると、凛華は釘を刺すようにきっぱりと言い放った。
「ダメ!『余命半年の恋』だなんて、聞くだけで蕁麻疹が出るわ」
美咲は内心でニヤリとした。(凛華、そうやって過剰に反応してくれると本当に面白いんだから)凛華は美咲のこの透かしたような態度に、言いようのない苛立ちを覚えながらも、それでも傍に居続けてくれる親友を拒みきれない自分に気づいていた。美咲がいなければ、私の世界はもっと空虚で孤独かもしれない。その自覚が、凛華の心をさらに複雑にさせた。
翌日、横浜市中央図書館の静かな自習室。凛華は参考書を広げ、黙々と問題を解いていた。ペン先が紙を刻む音だけが、彼女の集中力の高さを証明していた。彼女の周囲には、他者を一歩も立ち入らせないバリアのような静寂が漂っている。
一方、美咲は隣の席で、参考書をパラパラめくりながら、明らかにそわそわしていた。何かに落ち着かない様子で、話したくてウズウズしているのが、横目に映る指先の動きから目に見えてわかった。彼女の頭の中では、(どうやったら凛華の心、開けるかな?)という思いがぐるぐると渦巻いていた。凛華のテーソー観念は、親友として尊敬しつつも、美咲にとってはどこかで「もったいない」と感じる、古びた宝箱のように見えていたのだ。
凛華はチラリと美咲を鋭く睨みつけた。(静かにしてよ、頼むから。私のペースを乱さないで)その視線に気づいた美咲は、慌てて口を閉じ、ペンを手に持って問題集に目を落とした。だが、彼女が発する特有の落ち着きのなさは、見えない波となって凛華の神経を逆撫でするばかりだった。凛華の心に、ぼんやりとした苛立ちが積み重なっていく。美咲、今日は特に、肌に障るくらいうるさい。
数時間後、ようやく勉強を終えた二人は、野毛の坂を下って桜木町駅に向かった。
秋の風はひんやりと涼しく、夕暮れの重厚なオレンジ色が港町の街並みを染め上げていた。美咲は歩きながら、取り憑かれたようにスマホをいじり続けていた。彼女は凛華に気づかれないよう、こっそりと悠真にメッセージを送っていた。『ねえ、悠真くん、桜木町駅で待ってて!凛華、びっくりするかな?』美咲は、凛華に少しでも感情の揺れ、人間らしい動揺を見せたかった。それが親友としての「荒治療」だと信じて。
凛華はそれを横目で見ながら、(何やってるの、こいつ?)と内心で不審に思った。画面を必死に隠す美咲のスマホの動きが、いつもより明らかに怪しい。自分に隠れて誰かと、それも今この瞬間に繋がっているような気配。
桜木町駅の改札口に着くと、そこには見慣れた背の高い影が、夕闇に溶け込むように立っていた。高橋悠真だ。かつての恋人が、優しげな笑顔を浮かべ、軽く手を振っている。凛華の瞳が一瞬、凍りついたように鋭くなった。(美咲……この野郎……さっきからスマホいじって、悠真を呼び出したな!)胸の奥で、猛烈な怒りと一緒に、引き摺り出された懐かしい痛みが蘇る。
「美咲、私はあなたたちのデートに付き合う気はないぞ!」
凛華は腕を組んで、防衛本能を剥き出しにしながらキッと美咲を睨んだ。美咲は、そんな彼女の反応すら楽しむようにケラケラと笑い、肩をすくめた。
「い~から、い~から。三人のほうが、ずっと楽しいじゃん!」
凛華は激しく舌打ちしそうになったが、ここで逃げ出せば負けを認めることになると思い、渋々ついていくことにした。
これ、絶対後悔するパターンだよね。彼女の胸の奥では、不吉なざわめきが波紋のように広がっていた。悠真の顔を見るだけで、彼を突き放したあの別れの日の記憶が、鮮烈な色を持って蘇ってしまう。なぜ今、こんな残酷な状況に置かれなければならないのか。凛華は自分の「盾」を握り直すように、カバンのストラップを強く握りしめた。
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