第五話 朽ち行く体
俺は焦っていた。
翡翠本人は気付いていないかもしれないが、あの体は直に限界を迎える。
初めて手当をした日のことを思い出す。
後孔は赤く腫れ上がり、爛れている。
中が傷ついているのか、常に血が滲んでいた。
足の付け根は曲がり、動かせば痛みが出そうなのに、本人は全く何も感じていない。
背中の褥瘡も酷かった、ずっと同じ体位だったのだろう。血が僅かに滲み、変色していた。
目が見えないのが幸いしていたと思いたくはなかったが、もし自分の傷ついた体を見ることがあれば、相当堪えただろう。
自分を善人と思ったことはないが、翡翠を抱いていた男たちは総じて最低だと思った。
こんな体の子供を抱いて、何を感じていたのだろう。
正直、吐き気がした。
炭となった遊郭を通り過ぎ、商人が通う大きな街を訪れた。
翡翠の話ぶりからして、飢饉に見舞われた村の生まれのはずだ。
六年ほど前に銭を持って食料を購入した村がないか聞き込みを行った。
しかし、結果は芳しくなかった。
この街からさらに遠い村なのだろうか。
他に何か手掛かりがあればいいが、翡翠から話を聞き出すのは憚られた。
きっと、思い出したくもないことを思い出させてしまうだろう。
夜中、うなされているのだ。
ずっと謝罪を続ける時もあれば、助けを求めて泣いている日もある。
不用意に聞いて心を壊すことがあれば、俺が正気を保てる自信がなかった。
「……なぜ俺はこんなに入れ込んでいるんだ?」
自分はなぜこんなにも甲斐甲斐しく世話を焼き、あまつさえ故郷に帰してやりたいと思うのだろう。
俺は口元を押さえて考える。
翡翠の顔が頭をよぎる。
日差しを浴びる横顔。
雛鳥のように口を開けて飯を食べる顔。
そして、火事に見舞われた際に見た、壊れたような笑顔。
しかし、本当に見たい顔はどれも違う気がした。
もっと子供らしい、年相応の表情が見てたい。
「……俺は、翡翠の笑った顔が見たいのか?」
口に出した言葉は思いのほか、腑に落ちた。
あの子供が笑ったら、どんな顔をするのだろう。
儚いのか、年相応なのか。
「……俺も、人のことをバカにできんな」
西の空を見る。
陽が少しずつ傾き出していた。
そろそろ帰らねばならない。
「土産でも買っていってやるか」
適当な店で団子を二つ買うと、足早に帰った。
小屋にたどり着いたのは日が山に沈み、山際に橙の裾を広げている頃だった。
随分遅くなってしまったと思いながら戸を引く。
「おかえりなさい」
布団に横になった翡翠が体を起こしながら声をかける。
平坦な声にどこか安堵が混じっているように聞こえる。
「ただいま。遅くなったな、腹減ってないか?」
「……あんまり」
もとより細い食が今日は一段と細いようだ。
俺は懐から街で買った団子を持って、翡翠のそばに座る。
「土産だ、団子好きか?」
「だんごって、あの団子……?」
馴染みがないのか、翡翠はこてんと頭を傾げる。
遊郭では食べられなかったのだろうか。
串を取り、翡翠の顔に近づける。
よくある醤油を垂らした団子だ。
翡翠はすんすんと匂いを嗅ぎ、口を開く。
「よく噛んで食えよ」
翡翠の口に団子を一つ入れる。
モゴモゴと時間をかけて咀嚼し、飲み込む。
「おいしい」
わずかに口の端を上げながら、もう一度口を開く。
「気に入ったか?」
「おいしい、すき」
そうか、と言いながら口を開ける翡翠にもう一度団子をやる。
食欲がないと言っていたが、この調子なら団子二串をペロリと食べてしまうだろう。
わずかでも腹に何かを入れてくれて良かったと思う。
満足したのか、翡翠は上機嫌に鼻歌を歌う。
「ご機嫌だな、そんなに気に入ったか」
「すき、また食べたい」
「なら、今度は二人で店に行こう。色々種類があったぞ」
「……外に、行っていいの?」
「良いに決まって……」
そこまで口にして、はたと思い直る。
遊郭にいて自由に外に出られるはずがない。
だから許可がいると思っているのだろう。
「外に行きたきゃ俺に言え。好きなところに連れて行ってやる」
「本当に、いいの?」
翡翠はなおも質問を重ねる。
「いいよ、お前はもう遊女じゃないんだ」
「……そう、か」
翡翠は何か考えるように下を向く。
声をかけては悪いと思い、俺は昨日残った冷飯を椀に盛って食べる。
「団子、明日食べたい」
翡翠は不安そうな顔で俺に伺いを立てる。
「ああ、いいよ。行こう」
俺は笑って、できるだけ明るい声で答えた。
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