第2話 偽装
縄が手首に食い込む。
猿轡が口を塞ぐ。
私は、裏切られた。
レイド。ヴァルムス伯爵家の生き残り。
あの男なら、正妃派閥に恨みがあるはずだった。私を守る理由があると思った。
甘かった。
目の前で、あの男はガモと商談を始めている。
「——なぜ正規軍ではなく、子爵様の私兵が派遣されたのか。疑問に思われませんでしたか?」
レイドの声は穏やかだ。商人の声。
「記録を残したくなかったからだろう。王女の処分は、表沙汰にできん」
「その通りでございます。では、もう一歩踏み込んで考えてみてください」
レイドは声を落とした。
「王女の『死体』は、政治的に利用価値が高すぎる。正妃様にとって一番綺麗なシナリオは——王女が『暴徒』に殺され、その暴徒を正妃派が処断して英雄になること」
ガモの顔が強張る。
「……何が言いたい」
「私の耳に入った情報では、正妃直属の暗部が、子爵様の部隊の後ろからついてきているそうです」
「何だと?」
「任務完了の合図と共に、『王女を殺した不届き者のガモ子爵』を処刑するために」
沈黙が落ちた。
ガモの顔は蒼白だった。
「……馬鹿な。私は命令に従っただけだ」
「ですが、正妃様にとっては『命令した証拠』を消す方が都合がよろしいでしょう」
レイドは首を傾げた。
「ところで子爵様。昨夜、正妃様のお使いから『書面』での命令書はいただきましたか?」
「い、いや……口頭だったが……」
「でしょうね」
レイドは肩をすくめた。
「『証拠を残したくない』からです。死人に口なし——口封じの定石ですよ」
ガモの顔から、さらに血の気が引いた。
「そ、そんな……私は、私は正妃様に忠実に——」
「忠実だからこそ、でございます。忠実な犬ほど、用が済めば始末しやすい。吠えませんから」
ガモは震えていた。
小心者だ。疑り深いくせに、自分の判断に自信がない。だからこそ——「もしかしたら」という可能性に、心が折れる。
「……それで、お前は何を提案する」
「王女は、私が処分いたします。今、ここで。子爵様の目の前で」
心臓が凍った。
「子爵様が直接手を下す必要はございません。私がやります。子爵様はそれを見届けて、外の部下に『王女は自害した』とお伝えください」
「……」
「筋書きはこうです。『店に踏み込んだら、王女はすでに自害していた。情報屋が火を放って逃げた』——子爵様は追い詰めた功労者。手を汚さず、証拠も残らない」
ガモは俺を睨んだ。
だが、その目には怯えが混じっている。
「……お前を信用しろと? お前も、口封じに私を売るかもしれんぞ」
「私は情報屋でございます。信用が命。一度でも客を売れば、二度と商売ができなくなります」
レイドは微笑んだ。
「それに、私にとって子爵様は上客でございます。今回の報酬——王女の首の値段、いくらでお考えですか?」
ガモの目が泳いだ。
「……いくら欲しい」
「金貨百枚」
「ひゃ、百だと!?」
「王女の命でございますよ。安いものでしょう」
ガモは歯噛みした。だが、背に腹は代えられないのだろう。
「……五十だ。それ以上は出せん」
「では、七十で」
「……六十だ。これが限界だ」
「承知いたしました」
レイドは深々と頭を下げた。
「では、今から仕事をいたします。子爵様はそちらでお待ちください」
◇◇◇
レイドが振り返った。
その目は——穏やかだった。いつもの営業用の笑み。
「お嬢様」
近づいてくる。
手には、短剣。
「んんっ——!」
猿轡の下で叫ぶ。逃げようとする。だが、縄が手首を縛り、動けない。
——殺される。
本当に殺される。
あの男は、私を売ったのだ。金貨六十枚で。
最後の希望だった。
十年前に全てを失った男なら、正妃派閥を憎んでいるはずだと思った。私を守る理由があると思った。
馬鹿だった。
結局、あの男もただの商人だった。金で動き、金で人を殺す。
「では、失礼いたします」
レイドが私の前に立った。
ガモが、その背後から見ている。
短剣が振り上げられる。
「——っ」
刃が閃いた。
衝撃。
痛みは——なかった。
いや、あったのかもしれない。わからない。
視界が暗くなる。
意識が遠のいていく。
最後に見たのは、レイドの顔だった。
その目は——
冷たかった。
氷のように冷たく、どこまでも暗い。
私を見ているようで、見ていない。
もっと遠くの、もっと深い場所にある何かを見ている。
そしてその奥に——
凄まじい憎悪が、燃えていた。
——何だ、あれは。
そう思った瞬間、意識が途切れた。
◇◇◇
「……終わったか」
ガモの声が、遠くから聞こえた気がした。
「ええ。間違いなく」
「よし。火をつけろ。骨も残すな」
「承知いたしました」
足音が遠ざかる。
扉が閉まる音。
そこで、私の意識は完全に闇に落ちた。
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