第5話 火の手 後編

せめてこの体が盾になるなら、と目を閉じかけた、そのとき。


「——退け」


 低く通る声が、夜気を切り裂いた。


 次の瞬間、赤い光が視界を横切る。

 禍鬼の首が、音もなく吹き飛んだ。


 炎をまとった刃が、闇に軌跡を残す。

 血と黒い液が焼かれ、焦げた臭いが立ち上る。


「間に合ったな」


 その男——焔守レンは、短く言った。


 火の粉を纏った刀を構え、その背中から熱が溢れている。


 路地の入口から、もう三つの影が滑り込んだ。


「右はもらう」


 闇に溶けるような声とともに、一人が禍鬼の背後に回り、喉を一閃する。

 影尾ソウマ。朧影の隠刃と呼ばれる男だ。


「結界、張るわよ!」


 白い衣の女——白波ユイが、短い祈りの詞を紡ぐ。

 澄んだ鈴の音と共に、水の膜のような光が路地を覆った。


「おっせーぞレン! 一番いいとこ持ってくなよ!」


 若い剣士——久遠ツバサが、叫びながら突っ込んでいく。

 刃が火花を散らし、最後の禍鬼の胸を貫いた。


 全てが終わるのに、十秒もかからなかった。


 ユウマは、半ば呆然とその光景を見ていた。


(……なんだよ、あいつら)


 この世界の英雄は、遠い噂だと思っていた。

 自分たちとは関係のない、誰かの栄光だと。

 それが今、土埃と血と火の粉の匂いを連れて、目の前で動いている。


「まだ息はあるな」


 レンが、ユウマの肩に視線を落とした。


 右肩の服が裂け、そこから黒ずんだ血が滲んでいる。


「……大した根性だ」


「褒め方、間違ってんぞ……」


 ユウマは、薄く笑おうとして、痛みに顔を歪めた。


「ツバサ」


「了解!」


 ツバサが、ユウマの体をひょいと担ぎ上げる。


「重っ! 見た目のわりに詰まってんな!」


「黙れ、ガキ」


 口ではそう言いながらも、意識はどんどん遠のいていく。


「ユナ!」


 ユウマが最後の力で呼ぶと、ユナが少女と一緒に駆け寄ってきた。


「ユウマ……ユウマ……!」


「……社、行け。あいつら……従っとけ」


「一緒に行くよ!」


「それは命令されるまでもなく行く」


 ユナの代わりにそう言ったのは、レンだった。


 彼は短く周囲を見渡し、指示を飛ばす。


「ソウマ、先行して道を掃け。ユイは結界を維持しつつ、負傷者の優先度を判断しろ。ツバサ、そのまま運べ。——村人たち、俺たちの背中から絶対に離れるな」


 誰かが「四英雄隊だ……」と呟いた。


 炎と悲鳴の中、ユウマは揺れる視界の端から、村の光景を見た。


 燃える屋根。

 倒れる影。

 逃げ惑う人々。


(レンたちが来てなきゃ……とっくに詰んでたな)


 そんな冷めた感想と、胸の奥のわずかな安堵を抱えたまま、彼は目を閉じた。


 ◆


 「……ん、」


 まぶたを開けると、低い天井と、すすけた梁が目に入った。


 社の中だ、と気づくまでに数秒かかった。


「起きた?」


 顔をのぞき込んでいたユイが、安堵と緊張のまじった声を出す。


「ここは……避難所、か」


「そうよ。あんた、外で派手に吹っ飛ばされてたんだから」


 そこで、ユイの視線がユウマの右肩に落ちた。


 小さく息を呑む気配が伝わってくる。


「……ユウマ、その肩、ちょっと見せて」


「え?」


 言われるまま、上体を起こそうとして——ずきり、と右肩に鋭い痛みが走った。


「いって……」


 ユイが包帯をほどく。白い布には、乾きかけた黒ずんだ血がべったりと染みていた。


 露わになった肩には、丸く抉られたような傷跡が残っている。人間の歯型より大きく、深い。


 一目で、それが何にやられたものか分かった。


「……噛まれて、る?」


 自分で口にして、血の気が引いていく。


 すぐそばで、誰かがごくりと喉を鳴らした。


「禍鬼に……噛まれた傷よ……」


 ユイが、かすれた声で言う。


 社の中が、ざわ……と揺れた。近くで様子を見ていた村人たちが、一斉に距離を取る。


「ま、禍鬼……?」


「ちょっと待て、じゃあこいつ——!」


 ざわめきが一気に恐怖に変わっていく。


 この世界の常識では、禍鬼に噛まれた者は五分も経たないうちに目が濁り、同じ化け物に変わる。


 その“常識”を、ユウマももう聞かされていた。


「お、俺……今までずっとここに……?」


 情けないほど震えた声が出る。


 噛まれてから避難所に運ばれ、目を覚ますまで——どう考えても五分どころの話ではない。


 本来なら、とっくにこの場にいる全員を食い散らかしていてもおかしくないのだ。


「おい、目を見ろ!」


 誰かが怒鳴り、ユウマの顔をのぞき込む。


「まだ濁ってねえ……」


「だからって安心できるか! おっそく変わる奴だっているかもしれねえだろ!」


「ここは女や子どももいるんだぞ!」


 恐怖と怒りがごちゃ混ぜになった声が、次々に浴びせられる。


「待って! 騒いだって——」


 ユイの制止も空気を割らない。


 そのとき、扉の方から落ち着いた靴音が近づいてきた。


「そこをどけ」


 低い声とともに、レンが人垣をかき分けて進み出る。


 鞘に収めたままの剣を片手に、ユウマの肩の傷を一瞥する。


「……禍鬼の噛み跡だな」


 その一言だけで、再び社の中がどよめいた。


「レ、レン様……!」


「どうすればいい!? まさか、このまま——」


「決まっている」


 レンは淡々と言った。


「普通なら、もうとっくに禍鬼になっている時間だ。それでもまだ人のままなのは——“例外”か、“より性質の悪い何か”か、そのどちらかだ」


 剣の柄に、静かに手がかかる。


「ここで首を落とせば、被害は出ない。英雄隊として取るべき選択はひとつだ」


 その言葉に、村人たちの視線が一斉にユウマの首筋へと集まった。


 

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2026年1月18日 21:30
2026年1月19日 21:30

終末世界で頑張ります 深蒼 理斗 @curtis0419

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