第十二話:川は、今も流れている

 あれから、私の指先にバグが起きることは二度となかった。


 放課後の美術室。隣の席で、足立君は相変わらずあのステッドラーを走らせて、マサキモールの向こうに見える山々を写し取っている。


 私は真っ白なキャンバスを前に、重信川の「青」をどんな色で作ろうか、ずっと迷っていた。


「高橋、筆が止まっとるよ」


 足立君が、おじさんそっくりの屈託のない笑顔で茶化してくる。


「分かっとる。今、地層を塗っとるんよ」


「地層を塗る? 変な言い方やね」


 彼は笑ってまたスケッチに戻ったけれど、私は本気だった。


 この青の下には、嘉明よしあき公が築いた石積みの記憶、半助おじさんが泥を掻いた汗、じいちゃんが工事のたびに守り抜いた「線」がある。


 それら全部が重なって、今の、この穏やかなマサキの景色ができているのだ。


 ふと窓を開けると、重信川の土手を撫でてきた風が、カーテンを大きく揺らした。  その風は、四百年前のあの激流の匂いがした。


 けれど、もう怖くはない。


 名前を「器」にして守られてきたこの街で、私は今を生きている。


 いつか私が大人になって、この景色がまた少しずつ変わっていったとしても、この「器」に溜まった想いは、次の誰かへと受け継がれるはずだ。


 私は新しい筆をとり、一番深い色をパレットに乗せた。  


  川は今も流れる。


 四百年前の約束を、未来へ運ぶために。


(完)

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