第九話:消失点への回帰

 視界が、昭和五十四1979年の荒い粒子へと分解される。


 意識の輪郭が曖昧になる中で、私の脳は、先ほどまでいた慶長けいちょうの「土の重み」を、電気信号として必死に符号化エンコードしようとしていた。


みなと? 湊、どこにおったんじゃ!」


 気がつくと、森松もりまつの河川敷に立ち尽くしていた。


 スマホの画面が点灯し、「2026年1月18日」という無機質な数字を示す。


「帰って、きた?」


 隣には、年老いた祖父・源蔵げんぞうがいた。


「じいちゃん。昭和五十四1979年の道具箱を抱えたまま、一瞬、消えた気がしたんよ」


 源蔵は、私が握りしめていたステッドラーの芯ホルダーが、四百年の年月を研磨剤にしたかのように激しく磨耗しているのを見て、すべてを悟り、私の肩を抱いた。


「お前も、引いたんじゃな。あの川の『線』を」



 源蔵は納屋に戻ると、一枚の古い設計図を広げた。それは昭和五十四1979年、彼が現役の土木作業員だった頃の重信川改修工事の図面だ。


「見てみろ、湊。昭和の設計では、ここはもっと急激に曲げるはずじゃった。だが、工事を始めると、土の底から『意志』を持つ不思議な石積みの跡が出てきてな。その曲線が、あまりに理にかなっていて、当時の設計士たちは結局、その古の線をなぞることにしたんじゃ」


 物質は風化し、土に還る。だが、私がステッドラーで刻み、半助おじさんが大地に写した「論理ロジック」としての境界線は、地質学的な記憶として現代の地図を規定していた。


 昭和五十四1979年に、じいちゃんがその線を守り、令和八2026年に私がその始まりを見た。


 私は、汚れを拭ったステッドラーをじっと見つめる。


 指先にはまだ、結束バンドタイラップを引き絞った時の痺れと、おじさんの手の熱が、消えないノイズのように残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る