第三話:雪之丞の筆と、青い魔法の杖

 森松もりまつの現場は、みなとが持ち込んだ結束バンドタイラップによって劇的な変化を遂げていた。だが、強固な材料があっても、それを「どこに置くか」という設計図がなければ、暴れ龍あばれりゅうは抑えられない。


 人足にんそくたちが泥を運ぶ傍らで、一人の若い男が静かに筆を走らせていた。


 雪之丞ゆきのじょう


 半助おじさんの右腕として、工事の進捗を絵図に残す絵師えしだ。彼は湊が懐から取り出した「青い棒」を、まるで異国の呪物を見るような目で見つめていた。


「湊様。その、筆でもなく墨でもない不思議な棒は、一体何なのですか?」


 湊は、手の中のステッドラー。――青い真鍮しんちゅう製の芯ホルダーを握り直した。


「これ? これはステッドラー。私の国では、絵を描く人や建物を建てる人がみんな持っとる、魔法の杖みたいなもんよ」


無骨な銀色の軸から、筆とは違う、理の線が刻まれる


「筆は『情』、これは『ことわり』やけん」


 湊は雪之丞が広げた和紙の端に、一点、強く黒鉛を置いた。


「これが消失点パース。雪之丞さん、今から私の国の視点を見せるけんね」


 湊は竹尺たけじゃくを使い、その一点に向かって、何本もの斜線を引いた。  カリカリ、と乾いた音が、湿った空気の中で鋭く響く。


 それは、線路や道路を眺めたとき、遠くに行くほど幅が狭まり、最後には一点に吸い込まれて消えていく、あの視覚の仕組みだ。


 和紙の上に、奥行きのある『穴』が空いた錯覚が生まれた。


 雪之丞たちの描く絵図は、どこまで行っても「平らな地図」だ。しかし、湊が引いた線は、紙の奥に向かって無限に続く「空間」を強制的に作り出していた。


「目が、目が騙される。紙の中に、道が、川が、そのまま続いておる。これは、神の眼差しですか」


 雪之丞が筆を落とした。彼が描く大和絵やまとえ風の川図にはない、圧倒的な「距離」がそこにはあった。


「美術部やけん、空間を切り取るのは得意なんよ。おじさん、見て。この線が交差するところに、一番高いくいを打って。そうすれば、堤防は崩れんよ。私の頭の中にある『未来のマサキモール』の場所まで、この川を安全に導くための、目に見えんガイドラインやけん」


 半助おじさんは、湊がステッドラーで引いた「消失点パース」を、祈るような目で見つめた。


「消失点か。そこが、我らの向かうべき『果て』なのだな。よかろう。雪之丞、この線を大地に写せ! この小娘が見ている『未来』まで、溝を繋ぐのだ!」


 湊が芯ホルダーの頂部をノックする。


 カチッ。


 その硬質な音が、ドロドロの戦国時代に、冷徹なまでの工学的精度を刻み込んでいく。それは、泥にまみれた人足たちの勘頼みの工事が、初めて「設計」という概念を手にした瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る