第二話:一九七九年の武装と「魔法の紐」

気がつくと、私は令和の自宅の畳の上に倒れ込んでいた。


みなと! 湊、しっかりせえ!」


 心配顔の祖父・源蔵げんぞうが私を揺さぶっていた。


「じいちゃん、スマホ死んでしもたわ。あそこの石積み、なんかおかしなことになっとる。誰かが、あそこで戦いよるんよ」


 湊の制服の泥汚れ、そして何よりその怯えた瞳を見て、源蔵はすべてを悟ったかのように深く頷いた。


 彼は郷土史家きょうどしかである前に、かつて四国の険しい山々でダムを築き、重信川の改修に携わってきた現場の人間だった。


 源蔵は納屋の奥から、ほこりを被った古い木箱を引き出してきた。


「湊、あの川は、かつて伊予川いよがわと呼ばれた暴れ龍あばれりゅうじゃ。誰かが命懸けで線を引いたから、今の町がある。」


「デジタルが死ぬなら、物理アナログで戦え。これを持っていけ」


 手渡されたのは、昭和五十四1979年製のステッドラーの芯ホルダー。太い黒鉛こくえんの芯をガッチリと掴んで離さない、図面を引くための無骨な工業用ペンだ。そして、工業用の大判結束バンドタイラップの一束だった。


「結束バンド? これ、何に使うん。ただのプラスチックの紐やん」


「魔法の紐じゃ。一度締めれば、切るまで緩まん。昭和五十四1979年の現場でも、ワイヤーが切れた時の緊急用にはこれしかなかった。お前が信じる『未来の正解』を、これで繋ぎ止めてこい」



湊は、再びあの重信川のほとり――森松もりまつの石積みに向かった。手に伝わるペンの冷たい感触が、時空の壁をこじ開ける。


 視界が反転し、再び慶長けいちょうの現場へ。


 そこでは、半助おじさんが濁流を前に立ち尽くしていた。竹を編んだ籠に石を詰める蛇籠じゃかごが、水の勢いに負けてバラバラに崩れていく。


「くそっ、縄では締まりが足りぬか。これでは龍の首を押さえられん!」


「おじさん、これ使って! 縄よりずっと強いけん!」


 湊はリュックから白い結束バンドを取り出し、竹の交点に回して一気に引き絞った。


 ――ジッ。


 鋭いラチェット音が静寂を切り裂く。


「なんや、今の音は。小娘、そんなひょろい紐で何ができる!」


 現場監督の勘助かんすけが怒鳴る。湊は構わず、もう一本、さらに強く引き絞る。


 ――ジ、ジジッ!!


「見て。指一本で締まるのに、大の大人が引っ張ってもビクともせんのんよ。これが『四百年後の知恵』やけん!」


 半助はその「紐」を撫でる。


「恐ろしいほどに食い込んでおる。まるではじめから竹と一体であったかのように。勘助、これをすべて使い、蛇籠を組み直せ! 一刻も早くな!」


「へい! おもしれぇ仕掛けだ、これならいける!」


 戦国時代の泥臭い現場に、昭和五十四1979年の「実利」が突き刺さった。結束バンドの白さが、泥の色の中で異常なまでに輝いている。湊は、自分がアイスを食べていたあの場所を、この紐が守っているのだと自分に言い聞かせた。

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