第3話 見知らぬ天井
重たいまぶたをようやく持ち上げると、そこに広がっていたのは、見知らぬ天井。 粗く編まれた木と土の梁が、ゆらめく橙色の光に照らされている。 鼻をかすめるのは、湿った土と、かすかに焦げた草の匂い。
……竪穴式住居だ。
ホンモノ……?
虚ろだった意識が、急速に覚醒していく。
おおー、凄い。なんやかんやでテンション上がるぞ。
ホントにタイムトラベルできたのか?
つまりこれはリアル竪穴式住居。
博物館とかで観るのとは違う。生活臭漂う本物の竪穴式住居だ。
てことは、ここは縄文時代か弥生時代?
いや、庶民は古墳時代になっても竪穴住居に住んでたケースもあったみたいだから、もう少し後の時代の可能性も有るか。
おーし、もっと詳しく観察してみよう。
そう考え、身体を起こそうとした瞬間――。
「……っ、え?」
力が入らない。
いや、それどころか、腕が……短い。
必死に上げたはずの手は、ぷにっとした小さな拳で、布にくるまれて胸の前でわずかに震えているだけだった。
……え、待て、なんでこんなに……ちっちゃい?
視線を落とすと、丸っこい腕、ころころした足。
力を込めても、思い通りに動かない。
「……お、おぎゃ……っ?」
思わず声を上げると、自分の口から漏れたのは、間の抜けた赤ん坊の声だった。
――その瞬間、全身に冷水を浴びせられたような衝撃が走る。
俺……赤ん坊になってる?
竪穴式住居。焚き火。土と草の匂い。
すべてがリアルで、本物で。
そして、自分自身は……赤ん坊。
「……っ、ちょっと待て……なんで俺、赤ん坊になってんだよ」
ぷにぷにの手を必死に動かしながら、どうにか状況を理解しようとする。
だが、思考は混乱の渦に沈んでいく。
「お、お目覚だね」
不意に声がした。
視線を動かすとそこには、あのナビとか言う少女が、宙に浮かんでこちらを覗き込んでいた。
にこにこ顔。お気楽そのものだ。
「……っ。テメェ」
一瞬で怒りが込み上げる。
殴り殺された。その事実が頭をよぎり、赤ん坊の喉からは奇妙な泣き声とも叫びともつかぬ声が絞り出された。
「うぎゃぁぁぁ!!!」
「いやいや、そんなに怒らないでよ〜。アレは必要なプロセスだったんだって」
ナビはひらひらと手を振る。
「必要?必要で人を殴り殺すか普通」
いくら叫んでも、口から出るのは赤ん坊語。飛びかかりたいのに、短い手足をバタつかせることしかできない。
ますます理不尽さが募る。
ナビは俺の怒りなど気にしていないように、笑顔のまま続ける。
「まあまあ、落ち着いて。過去にキミの身体ごと転送なんてできないの。連れてこれるのはキミの精神だけ。
その精神を元々のキミの身体から引き剥がす必要があった。
その方法が私のこの拳で魂に直接インパクトを与えることだったの」
「イヤイヤ、物理的にもめちゃくちゃ痛かったぞ」
騒ぐ俺にナビは笑顔のまま、またあの時のように拳を輝かせる。
――それ怖いからやめて下さい。
「とりあえず“ルール説明”をしとくね。重要だからメモ……いや、赤ん坊だから無理か」
俺が大人しくなったのを認めて、ナビが光り輝く拳を収めた。
「まず、この世界でのキミの役割は“観測者”。
やたらと歴史に干渉するのはNG。普通に生活して、この時代を見届ければいいんだよ。
あとね、重要なのが“恋愛禁止”。
そもそも子孫を残すことはできない仕様になってるし。
その身体はね、本来この世界に生まれてくるはずじゃなかったもの。
だから……キミはあくまで“外から来た存在”」
ナビの声は柔らかいが、その内容は残酷な現実を突きつける。
……干渉禁止。恋愛禁止。子孫も残せない……。
俺はただ、この時代を生きて、見て、記録するだけの存在。
何かを、自分の意志で決めることも許されない。
そんなことって……。
全然構わない。歴史をこの目で見られればそれで。恋愛とかにも興味ないしね。
そんなことを考えていると、入口の方から足音が近づいてきた。
さっきまでナビと騒いでいたから、赤ん坊が泣いているのだと思われたのだろう。
布をかき分けて現れたのは、髪を後ろで束ねた女性だった。 土の匂いをまとった手で、俺をそっと抱き上げる。
「…………、……」
やさしげな声色なのに、何を言っているのかさっぱり分からない。 音は耳に届いているのに、脳が意味を結びつけてくれない。
……嘘だろ。言葉が、分からない……。
慌ててナビの方を見る。 ナビは相変わらずにこにこしながら宙に浮いていた。
「な、なあ。言葉が分からないんだけど」
「そりゃそうでしょ。古代語なんだから」
「えっ……いやいや、そういうのって普通さ、“特別な力”で理解できるようにしてくれるんじゃないの? なんかこう、自動翻訳的な……」
俺の問いかけにナビが吹き出す。
「マンガやアニメの見過ぎ。そんな便利な機能を搭載できるわけないじゃん。現実をなめすぎだよ〜」
「……じゃあ、まさかこのまま、意味不明のまま生きろって言うのか」
「しばらくはね。でも大丈夫だから安心して。幼児の脳なら新しい言語もすぐに定着する。全く問題無いでしょ?」
「問題有り有りだ!」
女性はそんな俺の叫びをただの泣き声と勘違いし、あやすように優しく揺らしながら、何かを囁きかけてくる。
このゆっくりとした揺れと優しい声音が何とも心地良い。
むむ、悪くないぞ。
「…………、……」
……というかこの人誰なんだろう?いや、たぶん母親……なんだろうけど……?
疑問をぶつけるように視線をナビに向けると、例のにこにこ顔で答えが返ってきた。
「そりゃあ、キミの“お母さん”かもしれないし、ただの親族のお姉さんかもしれないね」
「……どういうことだよ?」
「この時代はね、まだ“核家族”って感覚が薄いの。 婚姻も一対一に固定されてるわけじゃないし、男が女の家に通う“妻問い婚”みたいなのも普通にある。子どもは母系の親族に属して、村ぐるみで育てるのが一般的だったんだよ」
「……じゃあ、お母さんが実子だけを育てるって、現代みたいにカチッと決まってないのか?」
「そうそう。キミを抱いてる彼女が実母かもしれないし、叔母や姉みたいな立場かもしれない。この社会じゃ“血縁”より“共同体”の方が大事だからね」
ナビはさらりと言い放つ。
そういえば、何かそんなような書籍も読んだ気が。戦争とかそういうのに興味が行き過ぎて、文化史はあまり学んでこなかった。
その後もその女性は俺を抱え続ける。
俺は抱かれたまま、胸の奥に妙な不安と安心が入り混じった感覚を覚えていた。
……じゃあ俺は、誰の子として育つんだ? いや、そもそも俺は“観測者”であって、本当の意味では誰の子でもないのか……?
女性はそんな俺の動揺など気づかず、土の匂いのする手でやさしく背中をさすってくる。 不思議とその仕草に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「なぁ、具体的にここはいつの時代なんだ。周りの様子や、今のお前の話から、おそらく弥生時代くらいだと思うんだけど」
「お、ご明察。ここは西暦でいうと148年の北九州地方だよ」
「148年?ずいぶん中途半端な……。歴史を観測して修復するっていうなら、縄文時代とか、旧石器時代なんかは見なくてもいいのか?」
いや、原始時代は興味あるけど、そんなに行きたくはないか……。
マンモス狩るとか怖すぎる。
俺の質問に対して、ナビはなぜか得意げに腕を組んだ。
「いやいや、むしろ“ちょうどいい”んだよ。この頃の倭国は、各地のクニがひしめいて大乱の最中。魏志倭人伝にも“倭国大乱”って書かれてるでしょ?」
「あー……あったな、授業で聞いた気がする」
「それと、旧石器?縄文時代?いや〜、正直あのへんは“観測”する意味が薄いんだよね。ここに来る前に歴史をタペストリーに例えたよね?
人はいるけど、文明的に未熟だからタペストリーの模様はシンプルなんだ。
修復して欲しいのはもう少し刺繍が複雑になってくる時代から。
この時代はさ、人と人、クニとクニとが争い始め、統合し、やがて“国”へとまとまっていく。日本が本当の意味で、歴史を紡ぎ始める時代なんだよ」
「なるほど。確かに農耕が発達し、人が土地に縛られるようになってから、争いが起き始めるんだもんな。つまりこの辺りが、ある意味で日本の歴史の出発点なのか」
ちょっと納得したかも。
「そう、そうなの。そういうことなんだよ。そんな日本史のスタートラインを間近で観測出来る。これって、めっちゃ貴重な体験だと思わない?」
「……思う。正直、ワクワクしてきた」
ナビはきらきらした目で続ける。
「でしょでしょ。とにかく今は、西暦148年、北九州。ここからキミは“弥生人の一生”を通じて、この時代の人々を見届けるんだよ」
「……弥生人の一生、か。どうなることやら……」
ん?
「おい、ちょっと待て。一生ってなんだよ?まさか死ぬまでこの時代にいなきゃいけない。なんてこと無いよな?きりの良いところで次の時代に飛ばしてくれるんだよな?」
「そんなこと出来ないよ。 魂は肉体の死と共に剥がれる。それが自然でしょ。私が殴って引き剥がすのは魂にかなりの負担がかかるから、あんなことができるのは一回だけ。今後はしっかりと生を全うして、転生を繰り返しながらキミの時代まで歩んでもらうことになるよ?」
何を当たり前のことを言っているのだ?みたいなきょとん顔で言い放ちやがった。
「そ、そんなこと聞いてねえよ!というかやっぱりあの方法の転生は危険だったんじゃないか!
あと、つまり、何か?今サラッと言ったけど、俺が元いた所に戻るには、こっからリアルタイムで何周も人一人分の人生を経験しないといけないのか?」
「そうだよ。いや〜、やっぱり21世紀以降の若者はこの手の話に理解度があって助かるね。あと、ついでに言うけど、例えば今の弥生時代でキミが亡くなって、次の転生先は200年後の古墳時代〜。ってことは有り得ないらよろしくね。しーっかり歴史を観測してもらわなきゃなんだから、年代が飛ぶにしてもせいぜい10年前後だからね」
「嘘だろ、てことはオレはこの先2000年間は生きなきゃいけないのか?」
さっきまで静かだった俺が急に騒ぎ出したので、俺を抱っこしていた女性も慌て出す。
「……、……」
女性は穴の空いた布を被って腰紐で結んだだけの貫頭衣(……と言うはず)の結び目を緩めると、胸元の布地を横にずらした。
となると無論そこには。
――おー、おー、おぱ……おぱおぱおぱお……。
予想だにしなかった光景が目前に迫り、俺はさっきまでのナビへの怒りはどこへやら。完全にフリーズした。
ちょ、ちょっと待て。これ、まさか……いや、まさかだろ。
お腹が空いたと思われたのだろうか。女性は自身の乳房を近づけてくる。
ふにっと温かい感触が口元に押し当てられる。
女性は優しく微笑みながら、俺の後頭部を支えている。
おいおいおいおい。俺、中身は立派な大人だからな?
心は成人男性が今、母乳を……?
頭の中で警報が鳴り響く。
しかし身体は赤ん坊。反射的に吸啜運動が働き、否応なく口は……。
「……むぐぅっ」
「ふふふ、いいねぇ〜実に自然な反応」
ナビが横で頷いている。
「ちょ、お前は何を冷静に観察してんだよ」
と叫んでいるつもりだが、外には「んぎゃぁ」しか出ていない。
ナビは相変わらず楽しげな口調で言う。
「人が哺乳類であることは、弥生時代でも変わらない。栄養も免疫もバッチリ供給される。授乳は原始的かつ最良の食事法だよ。
観測者としても体験しておくべきイベントの一つだね」
ふざけるな。何がイベントだ。
顔が真っ赤になるのを感じながらも、赤ん坊の本能は止まらない。
俺の理性と生理現象の間で、どうしようもない戦いが繰り広げられていた。
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