食べ物を粗末にするなって教わらなかった?
「はあー、なんとか抜け出せた」
村外れの丘で、ミアは地面に座りながらため息をつく。
勇者誕生を祝ってお祭り騒ぎになった広場から、何とか逃げ出してきたのだった。
落ち着いた瞬間、先ほどの出来事が自然と思い出される。
「がああああああ!なんで、あたしなんだあああああああ……」
ミアは隣にあるカゴからパンを取り出し、豪快にかじりつく。
パン屋の娘であるキャサリンが、家から持ってきてくれたのだ。何とか理性を保てているのも、このパンのおかげだ。彼女には一生頭が上がらないと思う。
一緒に来ていたキャサリンが同情するようにミアを見た。
「まさか、ミアが剣を抜いちゃうとはねえ。でも、村を出れるのはうらやましいわ」
「他人事だと思って……。キャサリンは男狙いでしょ」
「まあね。ミアだって、国中を回って各地の料理を食べれるかもよ」
キャサリンの何気ない一言に、ミアは固まった。
国中の美味しいものが食べれる……?
その発想はなかった。
見たこともないご馳走が、次々とミアの脳内に浮かんでくる。なんかちょっとだけ、勇者やってもいい気がしてきた。
「ミアって本当分かりやすい性格してるわよね……」
ニンマリしてるミアを見て、キャサリンが呆れたように言う。
「そういえば、あの剣はどうしたの?」
「知らない。使者の人たちがまだ持ってるんじゃない?」
ミアはできることなら、あの剣をもう見たくなかった。
いっそ夢だったら良かったのにと思う。
現実から逃げるように、新しいパンを取り出してかじりつく。キャサリンの家のパンはやはり美味しい。
束の間の幸せをかみしめていたとき、村からこちらに向かってくる人影が見えた。
「あら、あの方は?」
キャサリンの声色が、一段階高くなる。
やってきたのは、あの紫髪の若い騎士だった。
腕に勇者の剣を抱えている。ミアは見ないフリをした。
「騎士様。お一人でどうされたんですか?あ、わたしは勇者ミアの親友のキャサリンと申します」
キャサリンがしれっと自己紹介しながら、声をかける。
「俺の名はマルス。勇者の剣を抜いた娘を探してたんだ」
名指しされ、ミアはしぶしぶとマルスに視線を向ける。
「勇者ミア、お前にはまず王都へ行ってもらう。王への挨拶、勇者として戦うための鍛錬。やることは山ほどあるぞ」
「え……鍛錬……」
露骨に嫌がるミアを無視して、マルスは続ける。
「出発は明日だ。王都へは俺が同行する。勇者の誕生を王に知らせるため、仲間たちは一足先に王都へと戻ったからな」
「明日!?そんな、いきなり……」
「勇者の剣を抜いた時点で、お前には勇者になる義務がある。これは王の命令でもある、拒否は許されないぞ」
マルスが有無を言わせぬ口調で告げる。
王の命令かもしれないが、あまりに横暴である。
「勇者の剣に選ばれることはこの上ない名誉だ。選ばれたことを幸運に思うんだな」
「はあ…………」
ミアは、つい気のない返事をしてしまった。
村の生活はそれなりに気に入っている。適度な労働で体を疲れさせ、ご飯を美味しく食べる。そんなささやかな繰り返しがミアは好きだった。
だからミアにとって、名誉なんて腹の足しにもならないのだ。不満が顔に出ていたのか、マルスが声を荒げる。
「なんだその態度は!勇者の剣を使いたくても、使えない者もいる!もっと剣に選ばれたという自覚を持て」
ミアだって、好きで選ばれたわけじゃない。
勝手に選ばれて、やらないことを怒られるのは理不尽だと思う。相手が王都の騎士だとしても、少し腹が立ってきた。
そんなミアの気配を感じたのか、キャサリンが慌てて間に入ってくれた。
「騎士様、お許しください。私たちは田舎の村娘です。名誉とは無縁の暮らしをしておりまして……」
「……ふん。平民とはそういうものか」
ミアはじろっとマルスを見る。
なんかこいつ、爽やかな見た目のわりに感じ悪いな。貴族ってみんなこんな感じなんだろうか。
「……認めたくないが、この勇者の剣はお前のものだ。これからは肌身離さず持て」
マルスは持っていた勇者の剣を、座っているミアに押しつける。持ってみると、重厚な見た目のわりに驚くほど軽く感じた。
「……フン」
マルスが不満げに鼻息を鳴らす。
その足が、ミアの横に置いてあったカゴに当たった。
カゴは倒れ、中から出たパンが地面に転がっていく。
ちょうど土がぬかるんだところで止まり、パンは泥まみれになってしまった。
ミアは思わず叫ぶ。
「あ……最後のパン!!」
「あれはもう食えないな。新しいのを買え」
マルスは悪びれもせずに言う。
その瞬間、ミアの中で何が切れた。
ミアは勇者の剣を地面に置くと、その場からすっと立ちあがる。そして、勢いよくマルスの腕をつかんだ。
「……あやまれ」
「何だと?」
「あのパンは、キャサリンがあたしにくれたものなんだ」
ミアの声は自分でもわかるほど、怒気をはらんでいた。
「ミア、いいから……」
キャサリンが止めようとするが、ミアはマルスを離さない。
「食べ物を粗末にするなって教わらなかった? あのパンは、あたしにとって大切なものだったんだ」
「…………」
「それを粗末に扱うなら、誰だろうと絶対に許さない!」
いくら身分が高くても、食べ物を粗末にする人間をミアは許すことができなかった。後先なんて、これっぽっちも考えていなかった。
ミアの迫力に押されたのか、マルスがじりじりと後ずさった。不満を顔に出しつつも、それ以上マルスが何かを言うことはなかった。
マルスを掴んでたミアの腕はキャサリンに引き離される。
「騎士様。申し訳ありません。ミアは食べ物が好きすぎるところがあって……」
「……いや、俺は…………」
マルスが何か言いかけた、そのときだった。
――バキッ
空間に亀裂が走ったような音が響く。
ミアは思わず、音の方向へ顔を向けた。
「!」
目の前の空が、歪んでいた。
歪みは黒い渦となり、周囲の景色を押し潰していく。
そして――渦の中心から巨大な影が姿を現した。
「何だあれ…………」
突如現れたのは――黒い龍だった。
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