第三話:働かせてください(直談判)

  


 ルミナス王国の王宮を貫く中央回廊。

 豪奢な装飾が施されたその廊下は、国の命運を握る重鎮たちが行き交うメインストリートだ。

 

 そこへ、場違いな影が一つ。

 数日間の「ニート生活」という拷問に耐えかね、隈を極限まで深くした男――有馬弥太郎が潜んでいた。

 彼はよれよれのスーツを無理やり整え、獲物を待つ獣のように柱の陰で呼吸を殺している。


 ターゲットは、財政を司る高官、カリウス男爵だ。

 やがて、書類を抱えた数人の部下を連れて、恰幅のいい貴族が歩いてきた。


「……来ましたね」


 弥太郎は背筋を正し、スッと廊下の中央へ躍り出た。

 最初は極めて丁寧な、熟練の営業マンのような態度で歩み寄る。


「恐れ入ります、カリウス様。この度この世界に召喚されました有馬弥太郎と申します。お忙しいところ、少々お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」


「む? 異界の男か」


 カリウスは足を止め、怪訝そうに眉を寄せた。


「どうした、何か不自由でもあるのか? 必要なものがあるなら係の者に伝えよ。我々は今、戦費の調達計画で多忙なのだやるべきことが山積みでな……。其方の相手をしている暇はない」


 多忙。その言葉が、弥太郎の理性を一瞬で焼き切った。

 彼の肩が、小刻みに震え始める。


「多忙……。やるべきことが山積している……。ああ、なんて、なんて羨ましい響きなんだ……!」


「な、なんだ? 其方、顔色が悪いぞ」


 カリウスが後ずさりした瞬間。

 弥太郎の膝が、壊れたバネびように崩れ落ちた。

 そのまま、脱兎のごとき勢いで床を滑り、カリウスの足元へスライディング土下座を敢行する。


「ひっ!? な、何事だッ!」


「我慢できないんだ……もう限界なんだよ! お願いだカリウス様、俺に、俺に仕事をくれ!」


「な、なんなんだ!? 仕事だと? 意味がわからん。不自由はないはずだろう。さらなる賠償金か? それとも女か? 金なら後で――」


「金なんて一銅貨もいらない! 俺が欲しいのは、一日の予定が埋まっているという安心感だ! 修正が必要な書類の山だ! 誰かに必要とされているという『労働の悦び』を俺に味あわせてくれ!」


 弥太郎はカリウスの磨き抜かれた靴を掴み、泣きながら縋り付いた。

 その目は、獲物を逃さない飢えた獣のようであった。


「最悪、掃除でもドブさらいでも、便所掃除でも構わない! 贅沢を言えば数字を触らせてくれ! 俺の真っ白な予定表を、どす黒く、真っ黒に塗りつぶしてくれ! 俺を社会の歯車に戻してくれーーッッ!」


 回廊にいた役人たちが、足を止めてこの異常な光景を凝視している。

 カリウスは、自分を見上げる男の瞳に宿る『真の狂気』を察した。


 こいつは、普通ではない。

 金や贅沢では決して満足しない。

 今ここで適当な仕事を与えて引き剥がさない限り、一生、呪いのように付きまとわれる――。

 そう、本能が警告していた。


「わ、わかった! 狂っておる、其方は正気ではない! よかろう、財政庁の末端、算術士補佐の空きが一つある。そこへ行け! そして、二度と私の前で土下座はするな!」


「……! 本当ですか!? 算術、つまり事務作業ですね!?」


「ああ、そうだ! 今すぐ行け! 衛兵、この男を案内してやれ!」



 ◇



 案内されたのは、王宮の最果てにある、石造りの古びた庁舎だった。

 

 王宮の華やかさとは打って変わり、湿っぽく、埃っぽい空気が漂っている。

 中に入ると、数十人の算術士たちが山積みになった羊皮紙と格闘していた。

 あちこちで万年筆のインクが飛び、計算間違いを指摘し合う怒号が飛び交っている。

 窓は小さく、淀んだ空気が充満し、皆が絶望に染まった顔で数字を追っている。


 普通の人間なら、一歩足を踏み入れただけで逃げ出したくなるような、劣悪な環境。

 ところが、弥太郎の目には、そこが黄金色に輝く楽園に見えた。


「……ああ。なんて美しいんだ。このカオス、最高じゃないか」


 弥太郎の瞳が、これまでにない熱を帯びて輝き出す。

 案内役の役人が、薄気味悪いものを見る目で彼を見た。


「ここが其方の配属先だ。見ての通り、戦費の計算が追い付かずパンク状態だ。……って、なぜ笑っている? 奇妙な男だな」


 弥太郎は深呼吸をし、埃っぽい空気を肺いっぱいに吸い込む。

 ようやく、自分の心臓が正しく鼓動し始めたのを感じた。

 彼は表情をシュッと引き締めると、案内役に深々と頭を下げた。


「ご案内ありがとうございます。本日よりお世話になります、有馬弥太郎です。不備だらけの帳簿、整合性の取れない請求書、そして終わりの見えない残業……。これほど素晴らしい職場をご用意いただき、心より感謝申し上げます」


「か、感謝……? 狂っているのか……?」


 案内役が震える手で差し出したのは、一本の万年筆と財政庁の制服だった。

 この国の算術士たちが使う、安価な、何の変哲もない筆記用具。


 弥太郎はそれを、伝説の聖剣でも受け取るかのような恭しさで手にした。

 



「さて」


 弥太郎はデスクに座り、山積みになった書類の一番上を手に取る。

 その瞬間、彼の周りだけ空気の密度が変わった。

 

「まずはこの可愛い子ちゃんの山を整理するところから始めようか。一銅貨の誤差も、俺の目の前は通り抜けさせないぞ」


 ニヤリと、不敵な笑みがこぼれる。

 

 有馬弥太郎、二十八歳。

 彼は、ついに自分の『戦場』を手に入れた。



――――――ଘ(੭ˊウ​ˋ)੭✧あとがき✧――――――


弥太郎くんったら、本当に仕事好き。

次の話で同僚が出てくるんです。果たして、新しい職場でちゃんとやっていけるのでしょうか。

弥太郎くん、ちょっと空気読めないところあるからなぁ……。パパ心配です。

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2026年1月18日 06:02

蒼墨のロジスティシャン〜異世界に誤召喚された社畜は無能な将軍を差し置いて無双する~ 算術士のペンは剣より強し ―― 《社畜戦記》 いぬがみとうま🐾 @tomainugami

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