第二話:聖女ではなく「隈のひどい男」

  


 まばゆい閃光が引いた後の広間は、音を失ったように静まり返っていた。

 立ち込める魔力の残り香と、焦げたような匂いが鼻を突く。

 その中心で、有馬弥太郎ありま・やたろうは呆然と立ち尽くしていた。


 数日間の連日残業で、すっかりよれよれになったスーツ。

 死人のような深い隈を刻んだ顔。

 手には、中古で買った格安SIMのスマホが握られている。


 そんな彼の周囲を、白銀の鎧に身を包んだ近衛騎士たちが取り囲んでいた。


「……そ、そんな。馬鹿な」


 正面にいた高位司祭が、震える声で呟いた。

 彼は膝を突き、絶望に染まった目で弥太郎を凝視している。


「伝説にある『金色の髪をなびかせ、癒やしの光を纏う聖女』はどこにおられるのだ!? なぜ、あのような……死んだ魚のような目をした男が立っている!?」


 隣に控えていた魔導師も、青ざめた顔で呪文の書を落とした。


「召喚の術式が暴走したか!? 座標は正しかったはずなのに……引き寄せられたのは、聖女様とは似ても似つかぬ、ただのくたびれたの男だというのか!?」


 散々な言われようだった。

 弥太郎はゆっくりと周囲を見渡す。

 煌びやかな法衣、重厚な石造りの柱、そして自分に向けられた鋭い剣先。


「……コスプレ大会の会場に迷い込んだわけじゃなさそう……だな」


 弥太郎は冷静に分析した。

 これだけ大掛かりなセットとエフェクトを個人で用意できるはずがない。

 それ以前に、自分の部屋からここへ飛ばされたプロセスも科学的に説明不能だ。


 彼はそっと両手を上げた。


「すみません、ここはどこですか? ああ、それから、その物騒な刃物を下げてくれないですかね。このスーツ、安物だけど俺にとっては唯一の正装なんですよ」


「静まれ」


 重厚な威圧感を放つ声が、広間に響き渡った。

 騎士たちが左右に分かれ、道を作る。

 そこを、王冠を戴いた壮年の男がゆっくりと歩いてきた。

 その眼光は鋭く、一国の主としての風格を漂わせている。


「……異界の者よ。其方は何者だ。聖女ではないのか?」


「有馬弥太郎。しがない社会の歯車です……」


 弥太郎は正面から王の視線を受け止めた。

 税務調査の詰めに比べれば、王の威圧感などまだ可愛げがある方だ。


「聖女? そんなわけないじゃないですか。ここはどこですか?。……それより、さっきから電波が入らないんですが、この部屋は地下ですか?」


 王は困惑したように眉を寄せた。


「何を言っているのか理解できぬが……。不測の事態が起きたことだけは理解した」



 ◇



 それから、三日が経過した。


 弥太郎に与えられたのは、王宮内でも最高級の客室だった。

 天蓋付きの巨大なベッド、踏みしめれば足が沈むほどの厚手の絨毯。

 テーブルには最高級の果実と、芳醇な香りの紅茶が常に用意されている。


 ここは本来、聖女のために用意された特別な部屋らしい。

 次の聖女召喚に成功するまでは、暫定的に弥太郎がここに住んでよいということになった。



 この国はラミルサント王国、という国らしい。

 召喚は不可逆。弥太郎を元の世界に戻す術は、今の王国にはない。

 王族は不手際を認め、その代償として弥太郎の生涯の安泰を約束した。

 何不自由ない贅沢を与え、一生遊んで暮らせるだけの保証を。


 夢のような話だろう。普通ならば。

 ところが。


「…………地獄だ」


 弥太郎は、シルクの寝巻きに身を包んだまま、窓の外を眺めていた。

 その顔色は、深夜までオフィスにいた時よりも遥かに悪い。

 指先が小刻みに震え、膝はガクガクと落ち着きなく揺れている。


「三日。三日間、一文字も数字を見ていない。メールの一通も届かない。電話も鳴らない。そもそも、スマホの充電が切れている。予定も……真っ白だ」


 その事実が、弥太郎の心を粉々に打ち砕こうとしていた。


 社畜として生きてきた彼にとって、予定の空白は「社会からの拒絶」を意味する。

 何も生産せず、何も計算せず、ただ生かされているだけの状態。

 それは、彼にとって死よりも恐ろしい拷問だった。


 コンコン、扉がノックされた。


「ヤタロウ様、お加減はいかがですか? さらに柔らかいクッションをお持ちしましょうか?」


 入ってきた若いメイドが、にこやかに微笑みかけてくる。


「不要です!」


 弥太郎は跳ねるようにベッドから飛び起きた。


「クッションなんていらない! 俺が欲しいのは、膨大な量の伝票だ! 修正が必要な帳簿の山だ! 社会という巨大な歯車の一部に組み込まれているという実感が欲しいんだよ!」


「な、何を仰っているのですか……?」


 メイドが、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。


「ここにいれば、何もせずとも一生遊んで暮らせるのですよ? これ以上の幸せがどこにあるというのですか」


「それが最大の問題なんですよーーッッ!」


 弥太郎は自分の髪をかきむしった。


「俺は……俺は社会の歯車ですらない、ただの『無意味』な物に成り下がったのか!? ソワソワする。いや、ゾワゾワする……働かないと、心が、魂が……死んでしまうんだッ!」


 彼は震える手で、脱ぎ捨ててあったスーツの胸ポケットをまさぐった。

 ところが、そこには使い慣れたボールペンも、愛用のそろばんも入っていない。


 仕事道具すら奪われた事実に、弥太郎は戦慄した。


「決めた。このままじゃ俺は異世界から来た亡霊になってしまう」


 弥太郎の瞳に、ギラリとした狂気が宿る。

 彼はメイドの肩を掴み、至近距離で言い放った。


「おい、案内してくれたまえ。この国で一番『事務作業』が詰まっている場所に。俺を働かせろ。無償でいい、むしろ金を払ってもいいから数字をいじらせろ!」


「ひ、ひぃっ……!」


「さもなければ、この豪奢な部屋で絶食してでも死んでやる。……いいか、よく考えてくださいよ。もし俺がここで死ねば、君も責められるだろう。君の上司たちは、とてつもなく面倒で無駄な手間が増えることになるんだぞ! 王宮への報告書、遺体の処分費用、召喚事故の事後処理……その膨大なペーパーワークを、お前たちの手でやることになるんだ!」


 あまりにも理不尽で、あまりにも「社畜」らしい脅し文句だった。

 弥太郎の剣幕に、メイドは恐怖で腰を抜かし、その場にヘタリ込む。


「ハァハァ、分かったか……分かったなら、今すぐ偉い奴のところに連れて行ってくれ! 俺に、俺に仕事をさせろぉぉぉーーーーッッ!」


 王宮の豪華な客室に、働きたくてたまらない男の悲鳴が、虚しく響き渡った。



――――――ଘ(੭ˊウ​ˋ)੭✧あとがき✧――――――


いやはや、弥太郎さん。異世界に来ちゃいましたね。

オイラ自信も社畜時代がございましてですね。毎日、終電なんてなくって歩いて帰っておりました。

しかも、理由は「数字が合わないから」。

夜、目を瞑ると瞼の裏にエクセルの表が浮かぶんですよねぇ。

なんど、異世界に転生したいと思ったことか……。


今日(2026/01/17)は、12:05時に第3話を投稿します。

お楽しみに!

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