第2話「捨て駒の説明会」


 石造りの床は冷たく、埃っぽい。


 召喚陣のある部屋から移動させられた俺は、窓の少ない執務室みたいな場所で、粗末な木の椅子に座らされていた。背もたれが妙に低くて落ち着かない。

 目の前には、仰々しい机。そこに書類の束を抱えた役人が鎮座し、その横に——胃薬の匂いをまとった宰相ヴァルツがいる。


 ほんの数十分前まで、俺は結婚相談所のパステルカラーの壁を見ていたはずなのに。

 今は、石と鉄の匂いだ。


「——というわけで、貴殿には『平和のための礎』となっていただく」


 役人は、まるでゴミの分別ルールを読み上げるような口調で言った。声には感情がない。責任もたぶんない。


「今回の『異種族間婚姻実証実験』、通称『プロジェクト・ブライダル』の要項は以下の通りだ。よく聞け」

「はい」


 反射で返事をしてしまった。日本の会社員の習性って怖い。


「まず、貴殿は北の国境にある『緩衝地帯』の村へ移住する。そこでオーガ族の女性と共同生活を送るのだ」

「……はい」

「期間は原則一年。中間評価あり。必要に応じて延長」

「延長って……」


 語尾が勝手に尖りかけたが、役人は気にしない。気にしたら仕事が増えるからだろう。


「目的は『多種族間の愛と信頼の醸成』。なお、成功した場合の功績はすべて発案者であるローデリク国王陛下に帰属する」


 俺は瞬きをした。


 ここまでは予想通りだ。組織において、上層部が手柄を独占するのは異世界も日本も変わらない。むしろ安心感すらある。人間、どこでも同じように嫌なものだ。


「次に、評価基準だ」

「評価……」


 来た。人間は何かにつけて採点したがる。たぶん、採点できると安心するからだ。


 役人は羊皮紙を一枚引き抜き、机に叩くように置いた。


「第一、共同生活が継続していること。別居、逃亡、婚姻の破綻は失格」

「はい」

「第二、当事者間、ならびに周辺地域で重大な暴力沙汰を起こさぬこと。報復も含む」

「……はい」

「第三、当該地域における生活基盤の確立。食料備蓄、燃料備蓄、衛生の改善」

「衛生……」

「第四、近隣住民との交易、共同作業の実績」

「はい」

「第五、問題発生時に合意形成、または裁定を行い、拡大を抑止すること」


 役人は淡々と続けた。説明しているというより、読み上げている。


 俺は聞きながら、別のことも考えていた。

 ——この評価基準、生活そのものだ。


 戦争を止めるために、暮らせ、と言っている。

 理屈としては分かる。分かるが、雑だ。人一人を投げてどうにかなる話じゃない。


「なお」


 役人が、言葉を一拍置いた。

 嫌な予感がした。だいたい、なお、の後はろくでもない。


「信頼関係の指標として、同衾および食事の共有を推奨する。これはあくまで推奨であり、強制ではない」

「どうきん……」


 一緒に寝る、あの同衾か。まさかこの場でその単語を聞くとは思わなかった。俺は思わず、結婚相談所の面談ブースを思い出す。あの人、マジで何者だったんだ。


 隣で宰相ヴァルツが、こめかみを押さえた。胃薬臭が濃くなる。


「……次に、失敗した場合についてだ」


 役人の声は相変わらず平坦だったが、言っている内容は血が冷える。


「貴殿が逃亡、死亡、あるいは婚姻関係の破綻を招いた場合。全責任は貴殿にあるものとし、損害賠償ならびに『国益を損ねた罪』で極刑もあり得る」

「……リスクとリターンが釣り合ってないんですが」

「口答えをするな。これは王命だ」


 俺はため息をつきかけたが、喉の奥で止めた。

 パニックにはなっていない。むしろ、過度のストレスがかかったことで、俺の脳は勝手に『緊急モード』へとシフトしていた。


 ——思考が、冷える。

 視界に入る情報が、かつて読んだ膨大な書籍のデータとリンクし始める。


(状況:圧倒的不利な契約の強要)

(参照データ:『ブラック企業サバイバル読本』第3章、『交渉術の基礎』第5項、『リスク管理入門』第2章)

(対策:抵抗は無意味。相手は武力を持っている。まずは生存ラインの確保を優先せよ。次に条件の“運用”を握れ)


 俺の頭の中に、本のページがめくられるような映像が浮かぶ。

 俺はただの物流管理事務員だ。剣も魔法も使えない。

 だが、『手順(マニュアル)』を読み解くことだけは、誰にも負けない自信がある。


 不利な契約は、避けられないなら——穴を探す。

 穴がなければ、運用で丸める。


 つまり、今ここでやるべきことは一つだ。


「あの、質問いいですか」

「なんだ」


 役人の目がわずかに細くなる。質問されると仕事が増える顔だ。


「『共同生活』の定義についてです。生活基盤はどうなっていますか? 家、食料、燃料。これらが支給されない場合、実験は『婚姻の成否』以前に『餓死』で終了しますが、それでも陛下の顔に泥を塗ることになりませんか?」


 言いながら、俺は思った。

 俺、けっこう図太いな。


 役人が言葉に詰まった。さっきまでの平坦さが、ほんの少しだけ崩れる。


 そこへ、横でこめかみを押さえていた宰相ヴァルツが口を開いた。


「……彼の言う通りだ。陛下は『とりあえず送れ』としか仰っていないが、死なれては困る」

「し、しかし宰相閣下。予算が……」

「予備費から出せ。最低限の家財道具と、二週間分の保存食だ。あと、防寒具もな。北は寒い」


 宰相の声は疲れているのに、言葉だけは鋭い。仕事の刃だ。


「それと——監察官は月一で現地に入れる。記録も取らせろ。最初から“成果ゼロ”では話にならん」

「は、はい……」


 役人が慌てて書類をめくり始めた。胃薬の匂いが一瞬だけ勝った気がする。気のせいかもしれない。


 ヴァルツ宰相は血走った目で俺を見た。

 そこにあるのは憐憫と、それ以上の『疲労』だ。心配というより、後片付けを増やされたくない顔でもある。


「すまないな、異世界人。……私が止められればよかったのだが、あの人は一度言い出すと聞かないんだ」

「あの人?」

「国王陛下だ。思いつきで国を動かす天才だよ。……我々の胃壁を削りながらな」


 宰相は深々とため息をつき、懐から小瓶を取り出して中身を一気に飲み干した。間違いなく胃薬だ。


「君に期待はしていない。ただ、死なないでくれ。君が死ぬと、私が事後処理書を百枚ほど書くことになる」

「……善処します」


 正直な人だ。

 だが、この国で唯一、話が通じる相手かもしれない。俺は脳内の『重要人物リスト』にヴァルツの名を刻み、備考欄に『胃薬』『良心(たぶん)』と追記した。


 役人は、最後に念押しするように言った。


「貴殿の拒否権はない。王命であり、国家事業だ。理解したな」

「理解はしました。納得は……後でします」


 役人が眉をひそめる。宰相が小さく笑いかけた気がしたが、たぶん胃が痙攣しただけだ。



 数時間後。

 俺は国境へ向かう馬車の荷台に揺られていた。


 渡された荷物は、バックパック一つ。中身は干し肉と乾燥麦の小袋、水袋、着替え、それから火打ち石セット。毛布は薄いが一応ある。

 最低限の家財道具は「現地の家に先に置いておく」と言われたが、信用はしていない。こういうのは大体、現地で揉める。


 荷台の縁に背を預けながら、俺は揺れに合わせて呼吸を整えた。


(まあ、いい)


 日本での生活に未練がないわけじゃない。読みかけの本もあったし、予約していた新刊もあった。

 でも、俺は『変化』に対して鈍感だ。


 独身で、友人も少なく、休日は家で本を読んで過ごすだけの日々。

 それが異世界に変わったところで、やることは変わらない。


 情報を集め、整理し、最適解を選ぶ。

 ただ、それだけだ。


 ……いや、違うか。

 日本では最適解を間違えても、せいぜい上司に叱られるだけだった。

 こっちは、極刑もあり得る。


 俺の人生、急にスケールだけでかくなったな。


 馬の蹄の音と車輪の軋みが単調に続く中、前方に座る兵士がちらりとこちらを見た。


「おい」

「はい」

「……怖くないのか」


 意外な質問だった。俺は少し考えてから答えた。


「怖いです。たぶん、普通に」

「じゃあなんでそんな顔してる」


 俺は自分の顔を触る。平坦だったのかもしれない。


「怖い時ほど、考えることが増えるんで。顔が追いついてないだけです」

「変な奴だな」


 兵士はそれだけ言って前を向いた。

 変でいい。変じゃないと、生き残れなさそうだ。


「おい、着いたぞ!」


 御者の怒鳴り声で、俺は顔を上げた。

 馬車が止まったのは、荒涼とした平原の真ん中。風が乾いていて、土の匂いが薄い。


 その先には、ボロボロの柵に囲まれた貧相な集落——国境の引き渡し地点が見える。

 柵は歪み、見張り台は傾き、畑らしき場所は半分放棄されている。戦争って、戦場じゃなく生活から先に壊れるんだな、と妙に納得した。


 そして、柵の向こうから数人の人影がこちらへ歩いてくるのが見えた。


 筋骨隆々の大男たち。歩幅がでかい。額には角が生えている。

 オーガ族だ。


 彼らの中心に、一人だけ異様に小柄な影があった。

 華奢な体躯に、ボロ布のような服。肩が狭く、風に煽られて頼りなく見える。


 そして、雪のように白い、小さな角。


 ——あれが、俺の『妻』になる相手か。


 俺はバックパックの肩紐を握り直した。

 息を吸って、吐く。


 ここまで来たら、あとはやるしかない。

 たぶん俺は、結婚相談所で「効率的な手順を組むのが得意です」と言った時点で、もう詰んでいたのかもしれない。


 俺の異世界婚活は、どうやら最底辺からのスタートになるらしい。



次回予告


次回、第3話「村にいるのに、居場所がない」


「見ろ、あの角を。不吉の白だ」

オーガの村に到着した透真が見たのは、同族からすら迫害されるヒロイン・ユラの姿だった。

配給の列で弾かれ、石を投げられても無抵抗な彼女を見て、透真の中で何かが静かにキレる。

「……効率が悪い。いじめなんて、時間の無駄だ」

インドア陰キャなりの義憤が、小さく燃え上がる。


あとがき


お読みいただきありがとうございます!

「成功したら王の手柄、失敗したらお前のせい」という、理不尽なスタートを切りました。

宰相ヴァルツさんは良心寄りですが、胃薬臭いのはだいたい本当です。


次回、いよいよヒロイン・ユラが本格登場します。

「白角」として虐げられる彼女と、透真がどう出会うのか、ぜひ続けて読んでいただけると嬉しいです!


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