2、確認

 次の授業が始まっても、和真の頭はまだ完全には戻っていなかった。


 椅子に座り、教科書を開いてはいるが、文字が滑っていく。

 夢の中の銃声が、まだ耳の奥に残っている。

 気づけば、また意識が沈みかけていた。


 和真は深く息を吸い、立ち上がって教室の後ろへ戻る。

 その途中、隣の席から視線を感じた。


「和真……大丈夫?」


 声をかけてきたのは、同級生の如月澪きさらぎみおだった。

 低く、周囲に聞こえないように抑えた声。


「顔色、悪いよ」


 和真は一瞬、どう答えるか迷い、曖昧に肩をすくめた。


「……寝不足かも」


 それだけで十分だというように、澪は小さく頷いた。

 それ以上、無理に踏み込んでこない。

 だが、ただの寝不足ではない。

 和真は、ここ1か月、謎の不眠症に襲われていた。


 教室の空気が、微妙に変わる。


 何人かの視線が、こちらに向いているのが分かった。

 露骨ではないが、隠そうともしない視線。


 ――未接種。


 それだけで、和真と澪は同じ枠に入れられる。

 危険。遅れている。理解が足りない。

 そんなラベルを貼られているのが、肌で分かる。


 澪は気づかないふりをして、和真の方を見た。


「……ね。

 ここじゃ、話しにくいよね」


 和真は一瞬、周囲を見回し、それから小さく頷いた。


「屋上、行く?」


 澪の口調は、提案というより確認だった。

 和真は答える代わりに、鞄を手に取る。


 二人は、何も言わずに教室を出た。


 背中に、いくつもの視線が刺さる。

 だが、振り返らなかった。


 屋上への階段を上るにつれ、校舎のざわめきが遠ざかる。

 最後の扉を押し開けると、冷たい風が吹き抜けた。

 空は高く、雲がゆっくり流れている。


「……ここなら、大丈夫」


 澪がそう言って、フェンスの方へ歩く。

 和真も、その隣に立った。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


「最近、顔色良くないよ」


 先に口を開いたのは、澪だった。


「……夢、見る?」


 唐突な質問。

 一瞬、言葉に詰まる。


「……見る」


 澪は、少しだけ目を伏せて笑った。


「……やっぱり」


 和真は驚いて彼女を見る。


「え? 何それ」

「私もさ、寝つき悪い時あるんだけど……なんか、みんな最近変じゃない?」

「考えすぎじゃない?」


 澪は小さく笑った。


 「そうだったらいいけど」


 風がフェンスを鳴らし、遠くで部活動の声がかすかに聞こえる。

 和真はしばらく黙っていたが、意を決したように口を開いた。


 「……そういえばさ」


 澪が、ゆっくり振り向く。


 「ん?」

 「まだ打たないのか?

  あの……エデンベクター」


 「うん。打たない、じゃなくて……打てない」


 澪はあっさり言って、腕につけられたリストバンドを見つめた。

 国が認可して全世界でも義務付けられているワクチン、エデンベクター。

 それを打っていない未接種対象者にバンドはつけられる


 「なんで?」


 和真は眉をひそめる。


 「アルコールアレルギーがあるの。

  消毒しただけでアナフィラキシーショック起こして倒れたことあるから。

  注射どころじゃなくて、医師の判断で正式に免除」


 澪の口調は淡々としていたが、少しだけ苦笑いしていた。

 まるで、もう何度も説明してきた言葉のように。


「便利でしょ」

「…でも」


 その先を、和真は言わなかった。

 澪が続きを知っているからだ。


「でも、周りは関係ないよね」


 澪は小さく笑った。

 笑っているのに、どこか疲れている。


「『選ばなかった』って思われる。

 『怖がって逃げた』って」


 フェンスを握る指に、少し力が入る。


「理由を話してもさ、『言い訳』って言われるんだよ。

 本当は打てるんでしょ、とか」


 和真の胸が、重くなる。


「でもさ」


 和真の方を振り返る。


「打ったから安心、打ってないから危険、って…なんか逆じゃない?」

「逆?」

「”考えなくていい”ってことが、一番怖い気がして」


 風が強く吹き、澪の髪が揺れた。


「だからね……和真が“打たない理由がある”って聞いたとき、ちょっと、安心した」


 和真は驚いて、澪を見る。


「一人じゃない、って思えたから」


 和真は、ゆっくり息を吐いた。


「……怖いって言っていいんだよな」


 澪が、少し驚いた顔で和真を見る。


「みんなさ、『怖くない』か『考える必要ない』って言う。

  でもそれって……怖いって思う自分を消してるだけじゃないのかなって」


 フェンスをつかむ。


「オレさ、弱いままなのは嫌だけど……

  感じなくなる強さは、いらない」


 澪はゆっくり頷く。


「……和真って、変なとこ、ちゃんとしてるよね」

「それ、褒めてる?」

「うん。

  少なくとも、自分の気持ちから逃げてない」


 澪は、一拍置いて、


「それでいいと思う。

  理由が軽いとか重いとか、誰が決めるの?」


 澪はフフッと笑って、顔を伏せた。


 「選ばないって選択も、あると思う」


 二人は並んで、空を見上げる。


 ――夢の中で、最後まで撃たずに済む相手がいたとしたら。

 ――それは、澪みたいな存在なのかもしれない。


 口には出さず、ただ胸の奥で、その考えを握りしめた。


「だからさ。和真も無理しないで」

「……なんだ、それ」


 屋上の風は冷たかったが、二人の間には、わずかな温度が残っていた。


 フェンス越しに空を見ていると、背後で金属がきしむ音がした。

 屋上の扉が、ゆっくり開く。

 和真と澪が同時に振り向いた。


 立っていたのは、杉山隆平だった。

 ネクタイは少し緩み、いつもの無表情に近い顔。

 怒っている様子は、ない。


「……サボりか?」


 口調は相変わらず硬い。

 だが、声の調子は低く、落ち着いている。


「すみません」


 和真がそう言うと、杉山は手を軽く上げた。


「いい。叱りに来たわけじゃない」


 その一言で、空気が少し緩んだ。


 杉山は二人から数歩離れた位置で立ち止まり、風に吹かれながら、フェンスの向こうを見る。


「……和真。さっき、授業中……夢を見てただろ」


 質問というより、確認だった。

 和真は一瞬、澪を見る。

 澪は何も言わず、視線を逸らした。


「……はい」


 短く答えると、杉山は小さく頷いた。


「いつものやつか」


 和真の喉が、かすかに鳴った。

 杉山はそれ以上、追及しない。

 代わりに、視線を澪に移す。


「お前もだな」


 澪は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに観念したように頷いた。


「……はい」


 三人の間を、風の音だけが流れる。


「二人とも、未接種だ」


 杉山は事実を述べるように言った。

 そこに評価はない。


「だから、こういう反応が出る可能性がある」


 和真は思わず口を開く。


「先生、それって……夢、なんですか?」


 杉山は、すぐには答えなかった。

 しばらく空を見たまま、静かに言う。


「確認しているだけだ。

  ――“夢だと思えているかどうか”をな」


 その言葉に、和真の胸がざわつく。


「もし、それが夢じゃなくなったら――」

 

 杉山はそこで言葉を切り、二人を見る。


「そのときは、必ず俺に言え」


 叱責でも、命令でもない。

 約束のような口調だった。


 杉山は踵を返し、扉の方へ歩き出す。


「屋上は、長居するな。

 風、冷えるぞ」


 それだけ言い残して、扉の向こうに消える。

 残された二人は、しばらく動けなかった。


 澪が、ぽつりと言う。


 澪「……ねえ。

  先生、なんであんな聞き方したんだろ」


 和真は、戦闘服の男の顔を思い出していた。


 あのとき、助け起こされた瞬間の声。

 重なる背中。


 和真「……確認、してるんだと思う。

  オレたちが、まだ“こっち”にいるかどうか」


 屋上の空は、相変わらず澄んでいた。

 だが、和真にはそれが、薄い膜一枚向こうに別の世界がある空に見えていた。


 ――西暦2030年12月初旬

 日本では近年、原因不明の精神疾患と凶悪事件が増加していた。


 厚生労働省の内部資料によれば、過去5年間で睡眠障害の訴えは約38%増加。


 特に、『同じ夢を繰り返し見る』『現実感が希薄になる』といった症状を伴うケースは、全体の21%を占める。


 そして、明確な外傷やトラウマが確認できない症例が、全体の17%に到達。


 警視庁の統計では、突発的な凶悪事件は前年比で12%増。


 犯行動機が『説明不能』『本人も理解できない』と供述する例は、全体の約3割に及んでいた。


 専門家の間では、これらの現象は『偶然の重なり』として処理されている。



 だが――


 もしこれが、個人の問題ではなく、世界そのものの歪みだとしたら?


 ――この世界の人々は、まだそれに気づいていない。

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Last Lesson 駄文のヒロ @door37

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